あっという間に夏が過ぎ去っしまったように思う。始まる前は夏休みは一ヶ月以上あり、とても長いものだと思っていたのだけれど、毎日部活に明け暮れていると思ったよりもすぐに終わってしまう。終わってしまってからこんなにも夏休みは短かったのかと思うのだから学習しない。毎年、こうなのだ。

毎年同じように暑さの残る体育館で始業式に参加して、校長先生の長い話を聞いて、「夏の間に焼けたねー」なんて話したりしながら教室に戻る途中だった。ぼーっとしていたら友人たちの輪から少し遅れてしまった。まるでそのタイミングを狙ったかのようにポンと肩に手が置かれ、振り向いてみると幸村が立っていた。幸村から私に話しかけてくるなんて珍しいと思いながら、私は夏の間ずっと言いたかったことをさっそく口に出した。

「聞いたよ。花音に言ったんだって?」
「さすが。情報が早いね」

私からその話をされるのは予想済みだったらしく幸村はにっこりと笑顔を作って私に答えた。本当にこの男は底が見えない。

「多分もう吉川さんがすべて言ってしまっただろうから俺から改めて説明することはないと思うよ」
「まさかこのタイミングで告白するとは思わなかった」
「はは、驚かせてしまったかな」
「本当、幸村は抜け目ないというか……」

掴めない。幸村はすべて受け入れているような感じがする。私が何を言っても彼は私の言葉を笑って流してしまうような気がした。

「それよりも、さん夏休み中に倒れたって聞いたけど?」
「……どうして知ってるの」
「部活中に蓮二が血相変えて飛び出してくからね」

それ以上幸村は語らなかったけれど続きは言われなくったって分かる。部活中とはいえ携帯を確認出来たくらいだから休憩時間だとは思うが、それでも申し訳ないことをしてしまった。休憩時間はきちんと体を休めるべきだし、柳のことだから休憩時間にもやるべきことが沢山あっただろう。

「なんか、ごめん……」
「休憩時間中とはいえ、急に蓮二がいなくなったものだから困ったよ。蓮二はうちの部にはなくてはならない存在だからね。まぁ、これは蓮二が勝手に飛び出していっただけでさんは悪くないんだけど」
「やっぱり私のこと責めてるでしょ」
「いやだなぁ、責めてはいないよ?」

幸村の顔はいつも以上ににこにこしていて嘘くさい。とはいえ、本気の怒りは感じられないから半分私をからかっているといったところか。本当に質が悪い。

「でも、本当に体調には気を付けなよ」

突然幸村の声色が真面目なものに変わった。再び肩に置かれた手から幸村の真剣な様子が伝わってくる。幸村まで心配してくれたのかと思って顔を挙げると次に彼の口にした言葉は予想外のものだった。

「夏休みとか長期の休みは蓮二と毎日会えるわけじゃないんだからさ」
「どういうこと?」
「蓮二はさんの些細な変化も見逃さないから。一緒にいたなら絶対に無理はさせないだろうね」
「……なにそれ」
「心当たりあるんじゃない?」

幸村の言葉にドキリとする。確かに言われて思い当たる節はある。柳は私に対して過保護だ。

「大切にされてるんだよ」

私が何も言えないでいると幸村はがらりと雰囲気を変え、明るい調子で「でも一歩間違えればストーカーだよねえ」と言って笑う。私も出来ることなら笑い飛ばしたかった。

「精市」

不意に幸村の笑い声に静かな声が被さる。一瞬で全身の筋肉が強張った。

「あれ、蓮二いたの?」
「とっくに気付いていたくせに、白々しいな」

とぼける幸村にそう言って柳は私の肩に乗せられたままだった幸村の手を払い落とす。隣に並んだ柳の横顔からは不機嫌そうなオーラが漂っていた。誰でも自分がストーカー呼ばわりされたら機嫌が悪くなるのは自然なことだけれど、柳が幸村の冗談を流せないのは珍しかった。

まるで他人ごとのようにふたりのやりとりを見ていると不意に「」と名前を呼ばれる。柳が人の名前を呼ぶとき多くの意味を含ませていることに気が付いたのはいつのことだったか。

目が合った瞬間、全身の血が逆流したような感覚がした。ドクドクと心臓が血を送り出す音が聞こえるようだった。私の名前を呼んだ声は特別やさしかったような気がした。

大切にされてるんだよと言う幸村の声がフラッシュバックする。

私は体調不良で倒れてお姫様抱っこで運ばれるようなタイプではない。そんなことは私の身には起こらない。それでも倒れたと聞いて柳が駆けつけてくれたのは事実だ。そのことについて勘違いするのは簡単だけれど、多分違う。確証がない。柳蓮二はなかなか表情を見せない男だ。彼がやさしいのは知っていてもその奥の感情までは読み取れない。ただただ友人にやさしいだけなのか、それとも――

「どうした?」

私の様子がおかしいのに気が付いたのか、柳はそう言って私の肩に触れた。先程幸村が手を置いていた場所だ。幸村と同じことをしたはずなのに柳が触れるとひどく熱い。反射的に振り払ってしまいそうになるのを押さえて、一歩下がることでその手のひらから逃れる。

「ごめん、ちょっと用事思い出した」

するりと柳に背を向けて教室を出る。後ろから「逃げたね」と柳に言う幸村の声が聞こえる。それに対する柳の返事は聞こえなかったけれど、柳に限って幸村の言う意味が分からないなんてことはないから、多分もう柳も私の嘘に気付いてしまっただろう。本当は用事なんてないなんてこと。

教室へ向かう生徒の流れとは逆方向に走る。人気のないところに向かいたかったのだけれどそれがどこなのか考える余裕すらなく、ただただ走った。

花音は――花音はどこへ行ってしまったのだろう。先に教室へ戻ったはずだと分かってはいたのだけれども、早く花音に会いたかった。会って話したかった。花音もあの夜、電話の向こうでこんな風に思っていたのだろうか。それとも自分の感情を抱えきれないのは私だけ?

柳に手を握られたりしたことはあっても私から柳に触れたいと思ったのはあのときが初めてだった。今となってはどうして自分があんなことを出来たのか分からない。今でも握りしめた彼の手の感触が残っているような気がする。あのときの柳の声が、表情が思い出されて平常心ではいられなくなる。あの日から夏の間、ふとした瞬間に何度も何度も思い出して、その度に私が私でなくなってしまうような気がして必死で蓋をした。柳はどうしてあんな姿を私に見せたのか。いつも弱さを見せない人なのに、どうして。どうして。

そんなに走っていないはずなのに息が苦しい。短く息を吐いても心臓がいつもより大きく脈打ってキリキリと痛い。上手く呼吸が出来なくなりそうで、走るのをやめて思わず私はその場にしゃがみ込んだ。海の底にいるみたいだ。どんどんどんどん沈んでく。

、どうしたの?」
「花音……」

顔を上げると花音がそこにいた。私と視線を合わせるようにしゃがみ込んでいる。偶然通りかかったのだろうけれど今の私は花音がそばにいるという事実にひどく安心した。

「どうしよう、花音。私、柳のことが……」

そう言ったきり次の言葉を言うことの出来ない私を花音は包み込んでくれた。「うん、うん」と途切れ途切れの私の言葉に相槌を打ってくれる。花音が話を聞いてくれているということに安心して、私はまたぽろぽろと言葉をこぼした。

柳の特別になりたい。

もう、気付いてしまった。私は柳が好きだ。

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