「有理に話したいことがあるの」
花音の電話越しの声を聞いたのは昨日の夜のことだった。夏休みも半ばを過ぎた。開けた窓から入ってくるぬるい風を浴びながら私は「明日会ってくれる?」と言う花音のどこか震えたような声を聞きながらもそれに気付かないふりをして「いいよ」と答えた。
*
花音と連れ立って駅前のカフェに入る。しかし、席に着いて注文した飲み物を前にしても花音はなかなか口を開かなかった。私は注文したカフェオレをマドラーでくるくるかき混ぜながら待っていた。ここは花音が自分から話し出すまで根気強く待つべきなのか、促してやるべきなのか、それともしばらく関係ない話をして気を紛らわせた方がいいのか。迷ったけれども結局はわざわざ電話までして呼び出したのだから花音も覚悟あってのことだろうと、私は彼女の言葉を待つことにした。
ようやく「あのね」と花音が口にした言葉は小さかったけれども、目だけはしっかりと私を見据えていた。
「幸村くんに告白されたの……」
いつかはきっとこういう話を聞かされるのだと思っていた。けれども予想よりも随分早くて驚いた。何よりも夏休み中に花音と幸村が二人で会っているということに驚いた。夏祭りも私と柳を含めた四人で行くことを提案した幸村だ。割りと慎重なタイプだと思っていた。そして何よりも花音が幸村とふたりきりで出掛けるのを承知したということが一番意外だった。
「いつ?」
「昨日。植物園に行こうと誘われて」
思えば私抜きで花音が幸村と会っているのは知っていたはずだった。そもそもが幸村と花音の出会いは私のあずかり知らぬところであったし、夏休みに入る前も中庭でふたりで話しているのを見かけたはずだった。あの男子の苦手な花音が唯一私を介さずに仲良くなった。それだけでもう幸村は特別だった。花音が幸村に心を許しているのは事実なのだから幸村がいつ行動を起こしてもおかしくない状況ではあったのだ。
「それで、なんて答えたの?」
「幸村くんのことそういう風に考えたことなかったって正直に答えた」
男として意識されていないことは幸村も分かっていただろう。振られることは覚悟していたのかもしれない。それでも花音に一番近い異性は幸村だから賭けに出たのだろうか。
「そしたら」
「そしたら?」
「私が幸村くんのこと好きになるまで待つって言われた……」
そう言って俯いてかすかに頬を染める花音はかわいらしかった。もしも幸村が花音に異性として意識させるための手段として告白したのならその作戦は成功しているように思えた。異性として意識させたその先はまだ分からないけれど、なかなか賢いやり方のように思えた。告白しながらも花音の意思を尊重して待つと言うなんて幸村らしい。
「幸村ってすごく人気があるじゃん」
幸村は中性的な容姿のせいか、女子から人気がある。確か去年のバレンタインもものすごい数のチョコを渡されていたはずだ。中学ではテニス部部長、高校に上がってからもその実力は健在で先輩からも一目置かれている。やわらかい物腰から彼に憧れる女子生徒は後を絶たないと聞く。
「付き合っちゃいなよ」
なるべく軽い調子で言ってみる。すると花音はこの言い方を予想していなかったのか眉根を寄せた。こういう言い方をしたら花音は嫌がると分かってはいた。花音が俯いていた視線を上げ、目が合ったのを確認してから真面目な声色に変える。
「幸村は花音のこと特別に思ってる。大切にしようとしてる。幸村と個人的に親しいわけじゃない私でも分かるよ」
それだけはきっと確かなのだ。
「幸村も待つって言ってるんだしゆっくり考えてみなよ」
「……うん、分かった。考えてみる」
私が諭すように言えば花音はゆっくりと頷いた。それだけで花音にとっては大きな前進だと思う。この先遅かれ早かれ花音は誰かに取られてしまうのだろう。なんとなく幸村は完璧イメージがある。それを本人に言えばきっと嫌そうと困ったような間の表情でそんなことないと言うのだろうけれど、彼が振られるところなんて正直想像が出来なかった。
そんなことを考えながらカフェオレを啜っていると、それまで黙って考えこんでいた花音が唐突に口を開いた。
「ねえ、有理はどうなの?」
「何が?」
「柳くんと」
花音が真っすぐな瞳で私を見つめる。彼女の瞳はどこまでも澄んでいた。予想外に出てきた名前に私は一瞬言葉につまってしまった。いつもだったら笑ってすぐに言葉を返せるのに。
「どうして柳と?」
花音に気付かれないように生唾を飲み込む。花音はこういう話に敏感な方ではない。どちらかと言えば疎くて、まさか相手を名指しされるとは思ってもみなかった。しかも出てきたのは柳の名前。よりにもよって柳。
「お祭りのときも気が付いたらふたりいなかったね」
「あー、うん」
あのときのやりとりを花音が見ていたはずがないと分かっていてもぎくりと私の体は強張った。正しくは幸村と花音がふたりきりになったのであって、私と柳がふたりきりになったわけじゃない。
それを言うとややこしいことになりそうなので黙っておく。幸村は私たちが気を遣って離れたことを察してはいるだろうが、幸村はそのことを花音には悟られたくないだろうから。あのときのことをどう説明しようかと考えを巡らせていると先に花音が「なんて」と口を開いた。
「実はこれ、私が気付いたんじゃなくて幸村くんに言われたの」
「幸村が?」
花音がこんなことを言い出したのも意外だが、それを教えたのが幸村だというのも意外で間抜けな声を出してしまった。
「残念だけど花音が期待しているようなことはないよ」
なんとかいつも通り答えることが出来た。今まで自分がこうした話題の対象に鳴ることがなかったからか変に心臓がドキドキしている。そういう相手は今まで花音だったし、他の女の子たちだった。私はもっぱらからかう側だったのだ。
「本当に?」
今度は言葉に詰まってしまった。不意打ちでもなかったのに、咄嗟に言葉が出てこなかった。最初、柳は嫌味なやつだと思っていた。けれども親しくなるにつれて良い部分も見つけられるようになった。好きか嫌いかと聞かれれば嫌いじゃない。嫌いじゃないのだ。
「本当だよ」
笑顔を作って言ってみせると花音はここにきてからずっと張り詰めていた表情をやっとゆるめた。きっとこれも花音が私を呼び出して話したかったことのうちのひとつだったのだろう。
「もしも、何かあったら相談してね。力になれるかどうかは分からないけど……」
「ううん、嬉しいよ。好きな人が出来たら一番初めに花音に相談するから」
*
それから私たちはしばらく他愛のない話をしてから店を出た。カランコロンと鳴るドアを開けると外は夏の日差しが容赦無く降り注いでいた。目が眩むような暑さだった。
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