「のおかげでちょっと元気出た! 愚痴聞いてくれてありがとー」
「どういたしまして。こんなんで良ければいつでも聞くよ」
「嬉しい! スキ!」
部活が休みだから放課後ちょっと話を聞いてほしいと部活の友人に言われ了解するとその話の内容というのは彼氏に対するいわゆる愚痴というやつだった。何か悩み相談かと身構えていたので少し拍子抜けしたがそれほど深刻な内容でなくて安堵した。人に話してすっきりしたのか今の彼女は晴れ晴れとした笑顔を浮かべている。
「明日お礼になんかお菓子買ってくるね」
「期待してる」
好意はありがたく受け取ることにすると彼女は「張り切って手作りにしちゃおうかな」なんて言う。つい先ほどまで荒んでいたとは思えないほどだ。でもそれも私が話を聞いたからだと思えば気分が良い。大したアドバイスは出来なかったけれど聞くだけで役に立てたのなら良かったと思うし、何よりも私を頼りにしてくれたという事実が嬉しかった。
「それじゃあ、バイバイ!」
用事があるからと一段飛ばしで階段を駆け下りる彼女の後ろ姿は元気な少女そのものだった。この切り替えの早さは彼女の長所だと思う。
そんなことを思いながら図書室へ寄ってから帰ろうとトン、トンと一定のリズムで階段を下りているとちょうど踊り場の辺りで後ろから元気な声で名前を呼ばれた。
「センパイ!」
その聞き覚えのある声に振り向いてみると、想像した通り切原くんがブンブンと勢いよく手を振りながらこちらへ駆け寄ってくる姿があった。
「切原くん、こんなところでどうしたの? 部活は?」
もう放課後になって三十分は経っている。普通の生徒はもうとっくに部活に行っている時間だ。運動部の掛け声が窓の外から聞こえてくる。この中にきっとテニス部のものも混じっているはずだ。
「ちょっと職員室に呼び出し食らってて……」
そう気まずそうに切原くんは言う。きっと授業中盛大に居眠りでもしていたのだろう。練習が厳しい運動部員にはよくあることだった。
「先輩こそ今日は柳さんと一緒じゃないんすね」
「え、なんで?」
突然柳の名前が出てきたものだから思わず素で返してしまった。
「柳は部活でしょう? それともテニス部今日はオフなの?」
「いや、練習は普通にあるけど……」
そう言って切原くんは言葉を濁す。テニス部の練習があるのならこの時間柳は部活にいるのが普通だ。柳はレギュラーでもあるしこんなところで意味もなくうろうろしているはずがない。それとも最近の柳は部活をサボっているのだろうか。そんなまさか。柳に限ってそれはない。じゃあ切原くんが勘違いした理由はなんだろう。
「そうだ、センパイ! またテスト前に勉強教えてくださいよ!」
あからさまに話題を変えられた。それに気付いたけれども私はあえて追及しなかった。切原くんにも、そして柳にも何か理由があるのだろう。
「また柳さんと吉川先輩も誘ってさ!」
その並んだふたつの名前にギクリと体が強張った。
「アンタは遠くから見かけることが多いけど、吉川センパイはたまに会うんスよね。この間は柳さんとふたりで歩いてるとこにばったり出くわして」
彼の言葉に何故だか心臓が嫌な音を立てた。先ほどまで満たされていた気持ちが急激に萎んでいく。私は柳の隣で笑う花音を何度も見ている。花音と柳がふたりきりでいたからといって不思議なことは何もない。不思議はないのに、私は私の預かり知らないところでふたりが会っている可能性を今まで少しも考えたことがなかった。
「吉川先輩ってあんな風に笑うんスね。前に勉強会したときはもっとおどおどしてるように見えたけど」
「……花音は人見知りだから」
まだ切原くんに慣れてないんじゃないかなと言えば彼は納得したような表情になった。花音の気持ちを確認したことはない。花音が柳をどう思っているかは知らない。きっと花音はもし恋をすれば真っ先 に私に教えてくれるだろうから、花音は自分の気持ちにまだ無自覚なんだろうと思っている。でもそれを正直に切原くんに言う気にはなれなかった。
「ごめん、私そろそろ行かないと……」
やはり私以外から見ても柳と花音は特別なのだろう。並んで歩いていても謙遜のないふたり。私自身もそう思っていたはずだ。だから柳を応援しようと思ったはずだったのに。
「そういえば今日は吹部は部活休みなんスね。そういやクラスの吹部のやつも帰りに買い物行くって言ってたな」
「切原くんは早く部活行きなよ?」
「はーい。じゃあまた!」
そう言って切原くんは元気に廊下を駆けていった。その背中をしばらく見送ってから私は踵を返す。廊下を歩く足音は私ひとりのものだけだ。他に誰もいないからこそ、余計なことを考えてしまいそうになる。
柳と花音は着実に距離を縮めている。分かりきっていたはずのことがどうしてこんなに心に引っかかるのか。やっぱり花音を柳に渡すのが悔しいのだろうか。この感情は娘を嫁にやる父親の気持ちに近いものなのかもしれない。微力ながら柳を応援していたけれども、実際に柳と花音が親しくなった姿を目の当たりにして、親友を取られたようでさみしい気持ちになっただけに違いない。私はきゅうと締め付けられるような痛みを半ば無理矢理、そう結論づけた。
この廊下の突き当たりが図書室だ。もやもやとした気持ちを振り払うようにドアを開けるとどこか懐かしい図書のにおいが鼻をかすめる。その中で花音は入り口近くのカウンターの中に座って本を読んでいた。窓も閉じられた図書室内は運動部の声も聞こえず、まるで別世界のように思える。聞こえるはずのない、花音が本のページをめくるぱらりというかすかな音さえ聞こえるようだった。そこには私の心の中とは正反対の静かな空間が広がっていた。
「、来てくれたのね」
私が図書室に入ればその音に気付いた花音がぱっと顔をあげ、鈴を転がすような声で私の名前を呼ぶ。
「嬉しい。ちょうど仕事もなくて暇だったの」
「仕事の邪魔にならないんだったら良かった」
今日は放課になってからしばらく時間が経っているせいか図書を貸し出しする生徒はいないらしく、勉強のためにやってきた生徒が奥の方でノートを広げていた。本当に図書の貸し出し業務もなく、少しくらい喋っても周りに迷惑がかからないことを確認してから、カウンターに肘をつく。そんな私を見て花音は嬉しそうに口を開いた。本当に退屈だったのだろう。
「そういえば今日の好きな作家の新刊が発売日だけど知ってた?」
「えっ、知らなかった! そうなの?」
「でも図書室ではその新刊入れるの遅くなっちゃうかもって司書さんが言ってて……」
「じゃあ帰りに本屋寄ろうかな。その場で財布の中身と相談して、余裕があったら買うよ」
言いながら財布の中身を頭の中に思い浮かべる。おこづかいから考えて今月本を買うのは少し厳しいけれど、買い食いをやめたらそれくらいのお金はひねり出せるかもしれない。そんな風に考えていると花音は「ごめんね」と謝る。他にもリクエストされている本が多くて私の希望する本が入れられないのは花音のせいではないのに。
「今月は新刊のリクエストが多くて……」
「そうなんだ。じゃあ図書委員も仕事大変だね。花音は確か文芸部の部誌発行も近いからまた原稿書かなくちゃいけないんでしょ? 」
「まぁ、ね。大変だけどどっちも楽しいから」
「無理してまた倒れないでよ?」
「うん、気を付ける。また迷惑を掛けるといけないから」
部の活動も委員会の仕事も楽しいと言って笑う花音はすごいと思う。私にはないものを沢山持っている。もしも私だったらこんな風に笑って言えるだろうか。時間がないことにイライラしてしまうかもしれない、もう全て投げ出したいと思いはしないだろうか。部活は楽しいし、皆でひとつの音楽を作ることは好きで私なりに部活に打ち込んでいるつもりだ。けれども花音のようには出来ないと思う。花音のように純粋に楽しむことは出来ないし、花音ほど純粋に物事に没頭出来ない。全てのエネルギーをひとつに集中させるような生き方は私には出来ないんだろう。ある意味不器用とも言える生き方だけれども、私はその一途さが羨ましい。
「?」
花音が心配そうに私の顔を覗き込んだところでガチャリとタイミングよく花音の背後にある扉が開いた。隣の部屋から司書さんがひょこりと顔を出す。
「吉川さん、ちょっといいかしら?」
司書さんはちょいちょいと手を動かして花音を呼ぶ。きっと向こうの部屋で仕事があるか長引く話なのだろう。そう思い私はすっと腰を浮かせた。予定よりはほんの少し早い時間だったけれど初めから図書室にはちょっと顔を見せるだけのつもりだった。
「私がいると仕事の邪魔になるね。もう帰るから」
「気を遣わせてごめんね? 来てくれてありがとう」
そう言って花音はにこにこと手を振る。見慣れた花音の笑顔のはずなのに、それに柳の顔がちらついてまた胸がざわざわと不穏な音をたてる。
「またね」
図書室を出てドアを閉める直前に振り返ると花音はまだ笑顔で手をひらひらさせていた。
最近の私は変だ。花音のことを尊敬しているのは以前からだが、それでも花音に嫉妬に似た感情を抱いたことはなかった。花音と私は違う。違うけれども、友達は 私に相談をしたいと言ってくれるし、何よりも尊敬している花音が私を頼ってくれるから、私は私でいいんだと、私なりに良いところがあるのだと思えた。私には私の役割があるのだと。そう思っていたはずなのに、その花音を尊敬する純粋な気持ちはいつの間にか歪んで、大きくなって、今の私は花音になりたいと願っている。
<<