部活が終わり、ひとり足早に昇降口に降りて行くと柳が壁に寄りかかって立っていた。彼は私の姿を見つけると「遅かったな」なんてまるで待ち合わせでもしていたかのような台詞を言う。
「なんでここにいるの」
「お前が部活を休む確率は低かったからな」
私が呆れ声を出しても柳はどこ吹く風である。どうやら私の部活が終わるじかんを見計らってここで待っていたらしい。一体何のためにと言いかけて、もしかして私が花音の家まで見舞いに行くと見越して待っていたのではないかという可能性に気が付く。
「ごめん、私今日は花音の家にお見舞いに行くつもりないんだ。あ、でも柳が行くって言うなら付き合おうか」
「何を言っている」
「私がいない方がいいなら地図書く?」
「違う。何を勘違いしているかは知らないが、俺はそういう目的で待っていたんじゃない」
下駄箱から靴を取り出しながら、「じゃあ何」と尋ねると柳は深い溜め息をこぼした。
「俺は、お前の様子を見にきたんだ」
意味が分からなくて「私の?」と尋ねると彼は再び溜め息を吐く。そんなに呆れなくたっていいじゃないかと思う。気にするべきは昼間倒れた花音のことだと考えるのが普通だろう。
「体調のことだ。お前は言っても聞かないだろうからな」
「これくらい大丈夫だよ」
「帰って寝れば明日までには治るとお前は言うだろうが、無茶はするな」
「皆これくらいは普通我慢するって」
まさかこんなことでわざわざ部活終わりに待っているだなんて思いもよらなかった。私は自分がしたことが無茶だなんて思ってはいない。熱も出ていないし、頭痛も、吐き気もない。少し体がだるいかなと思う程度だ。そもそも私は部活を終えたあともこうして普通にしている。この程度で無茶して部活に出たとは言わないだろう。部活を休んだり早退したりはしなかったが、いつもはだらだらと友達とお喋りしたり寄り道したりしながら帰るのを今日は急いでいるからと断って少し早い時間に帰宅出来るようにした。帰ってからおとなしく寝ればいいだけの話なのに今日の柳は少ししつこい。
「家まで送ろう」
「いいよ、悪いし。柳だって部活後で疲れてるでしょ」
柳はあの立海テニス部できつい練習をしたあとなのだ。明日も朝練があるだろうし早く帰って体を休めるべきだ。私と柳の家は近くないはずだし、そんなことで余計な時間を使うべきではないと考え、断ったというのに柳は引き下がる気配がない。
「途中で倒れられては困る」
確かに同じ日にまた人が倒れたら気分は悪いかもしれない。でもそこまでしてもらう必要はない。そう断っているのに柳は勝手に歩き始める。送ると言った人が送られる人を置いていってどうするのか。ぽかんとその場に突っ立っていると「早く来い」と言われてしまったので慌てて柳を追いかける。私が隣に並んだところで柳がゆっくり再び歩き出す。結局柳のペースに乗せられてしまっている。
「お前が無理をしていれば心配するだろう」
「花音が?」
「ああ。それに俺もだ」
柳の顔は私よりも遥か上にあって首を傾けないと表情が見えない。こんな風に並んで歩いているときは特に。それがもどかしい。
チリンチリンと後ろから自転車のベルの鳴る音が聞こえて、私は一歩柳の側に寄る。一拍あとに自転車のライトの明かりとチェーンの立てる音が通り過ぎた。
柳が私のことを心配したという事実がじわりじわりと胸に広がる。そうするとどこかむず痒いような心地がして今度は柳を見ないように視線を下げた。
「お前の悲鳴なんて初めて聞いたからな。吉川が倒れていることよりもその悲鳴に何があったのかと焦った」
「取り乱してすみません……」
あのときの私の叫び声はほとんど悲鳴と言っても差し支えないものだっただろう。それほど花音が倒れたことはショックだった。本来ならば落ち着いて先生を呼びに行ったりしなければなからなかったのに、何も出来なかった。それに引きかえ、花音を運んだ柳の行動は迅速で、その場を動けなくなった私とは違っていた。私はまるで役立たずだった。
「責めてはいない。誰だって親友が倒れれば驚くし、不安にもなる」
私が考えていることを読んだのか柳がぽんと慰めるように私の頭に手を置いた。そのままくしゃりと柳の手のひらが頭を撫でる。触れるその手がとても心地良かった。
「大したことなくて良かったな」
今度は車が私たちの傍を通って、そのライトが柳を照らしたけれども丁度顔は影になってしまって彼の表情を読み取ることは出来なかった。柳が何を考えているか知りたいときに限ってこれだ。
柳が何を考えているか分からないのは以前と変わらない。けれども、前より柳の隣は妙に安心する。柳とこんなに長い時間ふたりきりになったのは初めてだった。以前一緒に下校したときは途中の道で別れたが、学校から私の家まで帰るのはそれなりに時間が掛かる。五分十分の話ではないのだ。
授業の話、この間柳に借りて読んだ本の話、花音や幸村の話。あれやこれやと話していたが、歩いているうちにふと会話が途切れることが何度かあった。しばらく無言の時間が続いて、そうしているうちに「そういえば」とどちらかが喋りだす。
柳を隣に歩いている時間は心地良かったけれど、私は通学に電車を使う。柳がどこに住んでいるかは知らないが、同じ小学校ではなかったしきっと遠回りになるだろう。駅までで構わない、もし電車の方向が一緒なのだとしたらそこまででいい。そう言っているのに柳は私の言葉が聞こえないふりをして私と同じ電車に乗って同じ駅で降りた。
「ねえ、柳」
「どうした?」
駅から少し歩いたところで改めて柳に声を掛ける。すぐに返事が返ってきて、柳の視線も前から私の方へ移動する。日もすっかり暮れてしまっている。このまま送ってもらっては柳が帰宅するのは何時になるか分からない。テニス部は当然明日も朝練があるだろうから、これ以上迷惑は掛けられないと思った。
「家もうすぐだからここまででいいよ。ありがとう」
「家まですぐ、というのは嘘だな」
「なんで分かるのよ。柳この道知ってるの?」
「通ったことがあるかと言う意味ならないな。だが」
そこで柳は言葉を区切って道路端の電柱を指差す。柳の流れるような動作につられて私の視線は彼の指先を追った。
「俺が記憶しているお前の住所とは随分遠い場所だ」
彼の指差す方向には街区表示板があった。確かに私が住んでいる丁と違うどころか町名まで違った。しかし私の家が町の境にある可能性だってあるじゃないか。柳はこの辺の地図ごと記憶しているとでもいうのか。
「記憶しているぞ」
「……そうですか」
「ついでに言うとお前がこうして嘘を吐くことも予測していた」
私の考えることなんて柳には何でもお見通しらしい。こういうことに関しては柳に敵わない。
「おとなしく送られるんだな」
そう言う柳の顔は楽しそうだった。その笑い顔と言葉がなんとなく落ち着かなくて私はふいと顔を逸らしてみせた。
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