その日は予報通り晴れだった。梅雨に珍しく爽やかな風の吹く過ごしやすい気候で、スポーツ観戦日和といえた。

花音と一緒に会場に着くとすでに立海の生徒が沢山いた。テニス部は毎年優秀な成績を収めているから注目度も高く、応援も多いのだろう。他の立海の生徒に混ざりながら歩いていけばさほど目立つこともなさそうだった。

「そういえば切原くんも試合出るのかな」
「どうだろう。一年生だし分からないね」

柳が目をかけるくらいだから実力はあるのだろうけれど立海テニス部は選手層が厚いので高等部に入学したばかりの彼がすぐにレギュラーに食い込めるのかどうかは判断がつかない。ただテニス部である以上はこの会場には来ているはずだ。彼にはなかなか会う機会がなかったのでもし少しでも会えたら嬉しいのだけれど。

「無事辿り着けたようだな」

近付いてくる足音に気付いて振り返ればジャージ姿の柳が立っていた。私よりも一瞬早く柳の姿に気付いた花音が「柳くん」と名前を呼ぶ。

「時間もぴったりでしょ?」
「ああ、立海の試合は丁度このあとだ」

本当はもう少し早めに着く予定だったのだけれど迷わないように確認しながら歩いていたら思った以上に時間をくってしまったらしい。しかし例えギリギリでも間に合って良かった。

「頑張って。せっかく観に来たんだし勝ってよね」
「当然だ」
「うわ、自信過剰」

そう言ったものの、柳には本当に自信があるように見えた。過剰なのではなく、三強と呼ばれただけの強さと努力の裏打ちがあるのだろう。

「ほら、花音も応援!」
「えっと、柳くん、頑張って」

私が促せば花音は柳にエールを送る。柳はそれに対して「ああ」と短く応えた。花音が柳に声援を送るよう仕向けることも出来たし、これで私の目的の半分は達成されたと言えるだろう。柳もこれである程度は満足したはずである。

「見ていろ」

そう言って柳はこちらをちらりと見やってからコートへ向かう。柳としっかり目が合って、その瞳から強い意志のようなものが垣間見えてドキリとする。

「試合始まるみたいだね」

花音の言葉にコートが見える位置まで移動する。どうやら柳の試合はシングルスらしい。

それから先の柳の試合は見事だった。テニスに詳しくない私でも柳が強いことは分かった。それほど圧倒的だった。立海テニス部の三強というのは高等部でもまだ健在のようであっという間に次々とポイントを決めていく。まるでボールがどこに打たれるか分かっているかのように柳の動きには無駄がなく、流れるようなテニスをするのだなと思った。それなのにたまに柳の全力で走ったり力強く球を打ち返したりと時折普段の柳と対照的な姿を見せるものだから目が離せなくなった。走る柳なんて体育の時間に見ているはずなのに、こうして意識したことはなかった。初めて柳が走る姿を見たような気さえする。いつも涼しげな柳でもテニスではこんな姿も見せるのか。

いつの間にか隣に花音がいることも忘れ、フェンスの金網を強く握りしめて食い入るように柳の試合を見ていた。

「どうだ?」

気が付くと背後に柳が立っていた。試合はいつの間にか終わっていたらしい。しかも柳の試合が最後だったようで立海テニス部がわらわらと移動していた。団体行動はどうしたと思ったが、移動のその隙を狙って柳は話しかけてきたようだった。

「あー、えーっと、お疲れ様」

先ほどまでコートの中にいた柳と、今目の前に立っている柳とが結びつかなくて戸惑う。テニスをしているときの柳はまるで別人のようだったとさえ思う。知らない人を前にしたような気分になって緊張からドキドキと心臓が鳴る。

「俺のテニスはどうだった、と聞いているんだが」

私が意図的に質問からずれた答えを返したことを柳は見抜いているようだった。はっきりと問いかけられて逃げられなくなる。

「柳の集めてるデータってこういう風にちゃんと役に立つんだなって」
「俺が無意味にデータを集めているとでも?」

柳が無駄なことをするはずがないとは分かっていたけれどもデータがこんな風にテニスの役に立つとは想像していなかった。正直に言えばテニスなんか関係なく、ただ柳の趣味で集めているものなのではないかと半分疑ってすらいた。

「私はテニスのことよく分からないけど柳のテニスはすごいなと思った。格好良かったよ」

私が素直にそう言えば柳はいつもは閉じている目を開いてこちらを見つめていた。

「何?」
「……お前はこういうとき意外とストレートに褒めてくるんだったな」
「いつもひねくれてて悪かったですね」

せっかく見にきたのだからと褒めればこれだ。柳はらしくないと言いたいのだろうが、あんなテニスを見せつけられては褒めるしかないだろうと思う。

「私もすごいなと思ったよ。柳くんはきれいなテニスをするんだねえ」
「そうか? ありがとう」

花音の言葉を柳はすんなり受け取った。柳が花音に褒められたのだからこれで私の目的は達成したと言える。

きれいなテニス。言われてみれば、その言葉は柳のテニスを表すのに適しているように思えた。柳のテニスはとても綺麗だった。柳が流れるような動作で打てば、ボールが柳の思う場所に返ってくる。その姿は確かに綺麗だった。

けれどもそれ以上に私は必死にボールを追いかける柳が印象に残った。ボールの打たれる場所が分かっていてもそこに辿り着かなくてはならない。データを集めてそれをテニスに役立てていることは日常の生活からもうかがえたが、ボールに追いつくための基礎練習や、確実にポイントを決めるためのショットを練習する姿は知らなかったから。そのことを伝えようと思ったけれどうまく言葉に出来なかった。花音みたいに思ったこと、感じたことをすっと一言で言い表せたら良いのに。

どうにかして言い表せないかと適切な言葉を探していると「柳」と彼の名前を呼ぶ声がした。その声のする方向を見ると立海ジャージを着たテニス部の先輩らしき人物が立っていた。

「柳、ちょっといいか」
「はい」
「相手校の例のダブルスペアのことなんだが」

そう言って一歩離れてテニス部の先輩が柳と話し込む。柳はテニス部でも頼りにされているらしい。優等生の柳はクラスでも信頼されているが、部活ではそれ以上のように思えた。先輩から相談されるなんて幸村と同じように柳も部内で重要なポジションにいるらしい。

同じクラスになるまでは『テニス部の柳蓮二』しか知らないと思っていたけれどそれすらも正しく理解していなかったのだと知る。噂でも柳蓮二は強いと聞いていて、柳は噂にたがわぬ強さだったけれど実際そのテニスをする姿を見るのとでは全然違う。

柳と先輩の話を聞いていいものかいつ話が終わるのかも分からないためそろそろ行こうかと目配せしていると人影が近付いて来た。

「吉川さん、さん、来てくれていたんだね」

幸村が嬉しそうな声を出す。誰よりも花音が来るのを望んでいたのは幸村だ。あれほど熱心に誘ってくれていたのに試合前は姿が見えなくて柳のように声を掛けることが出来なかったなぁなんて今さら思った。もっとも柳が試合前にやってきたことの方がおかしいのだけれど。

「俺の試合も見てほしかったな」

幸村もレギュラーだったがあいにく彼まで回る前に団体戦としての勝敗が決してしまったらしい。幸村は不満そうな表情だ。

「まぁ、俺のテニスを見てもらうのは次の機会にするとして。立海の生徒はもう移動してるんだ。おいで。案内するから」

言われてみれば周囲に立海生の姿はなかった。人混みから少し離れて観戦していたから気が付かなかった。帰り道は応援しに来た他の立海生の後ろについて帰るつもりだったからはぐれては困る。案内してくれる幸村に感謝してついていこうとすると瞬間、手首を掴まれた。そのことに驚いて振り返ると、柳と視線が交じる。

「どこへ行く」

花音と幸村は私が引きとめられていることに気付かず歩いて行ってしまう。

「話はまだ終わっていないぞ」

それだけ言って柳は再び先輩に向き直る。柳が手首を掴んだのは一瞬で、すぐに離したはずなのに私はまるで根が生えたようにそこから動けなくなってしまった。ぎゅっと掴まれた力が先ほどのテニスをしている柳を思い出させてドキリとしてしまった。

「ではそのふたりのデータは来週までにまとめておきます」

その一言で丁度話は終わったのか先輩は私に一瞥をくれるとそのまま何も言わず去っていった。一体どんな風に思われたのだか分からないが少し気まずかった。

「……団体行動しなくていいの」
「俺はデータを取るためにこれから他校の試合も見なければならないからな。特別に許可をもらってるんだ」
「じゃあ早く行きなよ」
「その前に今日来てくれた礼を言おうと思ってな」

わざわざそのために引き止めたのか。クラスメイトなのだから学校で会ったときに言えばいいはずなのに、今言うということはそれだけ柳は私に感謝しているということか。

「柳の思惑通りに事が運んで満足した?」
「ああ。とても満足だ」

深い声。柳が喜んでいるのと同時に私に感謝していることが伝わってきて気分が良くなる。柳が満足したのなら良かった。私はそのためにやってきたのだから。

「さて、お前を吉川のところへ送り届けよう」

そう言って柳は私の隣に並ぶ。今さら柳の背が随分と高いことに気が付いた。見上げている私の視線に気付いたのか柳が「ん?」とこちらを見たので私は慌てて顔を伏せた。柳は試合を見ることはテニス部のことを知らない花音が幸村を理解するのにいいだろうと言っていたけれど、その効果は私にもあったらしい。知っているつもりで知らなかったことが沢山あったのだと思い知らされた。

なんだか柳のボールを打ち返す音が耳に残っているような気がした。

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