今日もいつものように花音の前の席の椅子を借りようと思っていたらそこに人がいたものだから驚いた。
座っている人物はこの椅子の持ち主である柳蓮二その人なのだから座っていて当然なのだけれどこの二週間、彼が昼休みに教室にいることはなかったものだから予想外のことに戸惑ってしまった。
一瞬どうしようかと悩んでいるとそれまで文庫本を読んでいた彼が顔を上げた。しまったと思う間もなく柳と目が合う。
「座りたいのか?」
「いや、柳がいるならいいよ。他の空いてる席から椅子だけ借りて持ってくる」
そう言って斜め前の席の椅子を持ってくる。確かこの席の橋本くんはさっさとお弁当を食べて教室を出ていったはずだ。どうやら彼の所属する野球部は昼休みに二年生で集まって話し合いをするだとかでクラスの他の野球部員もいない。きっと昼休みいっぱいは戻ってこないだろうからこちらは無断で借りても問題ないだろう。その椅子を引き寄せて座ろうとするとまだ柳がこちらを見ていた。
「何か用?」
「いや、何でもない」
そう言って柳はふいと前に向き直ったがそれから何かを考えるような空白の時間があったあと再びこちらを振り返った。今度は少し椅子を引いて体ごとこちらを向く。
「と吉川は仲が良いんだな」
改まって何を言われるのかと思ったらそんなことで少し拍子抜けした。クラス替え当初から随分と仲が良い私達ふたりがそんなに不思議だったのか、それとも単にお昼ご飯を食べ終わったあとで暇だったのだろうか。
「まあね。去年はクラス違ったけど、一昨年一緒で仲良くなったんだ」
こちらも椅子に座ってお弁当の包みを開きながら答える。花音とは中学三年生のときたまたま席が近かったことがきっかけで仲良くなった。私と花音は部活も違ったが、妙に気が合い、高校に入ってクラスが別れてしまっても疎遠になることはなかった。
「吉川は確か去年弦一郎と同じクラスだったな。部活は文芸部だったか」
「そう、です」
柳に突然話を振られた花音は小さな声で答えた。柳に突然話しかけられて戸惑っているようだ。花音は人見知りをするタイプで初めて話す人とは緊張して上手く話せないと本人も言うくらいだ。これは間に入るべきかと考えて、不自然でないように柳に向かって話しかける。
「よく知ってるね。さすが立海テニス部の、えーっと……参謀!」
「こそよく知っていたな」
「誰かがそう言ってるの聞いたよ。よく式とかでも表彰されてるしテニス部強いから有名だし」
確か去年の夏休み明けの始業式でも表彰されていたし、元々我が立海テニス部は強いと有名だ。私達の代の男子テニス部は中学一と二年のときに全国優勝、三年のとき全国で準優勝したと聞いている。内部進学で高校に上がってきたならばそのとき活躍したメンバーは一度くらい名前を聞いたことはあるだろう。つまり、柳は十分立海において有名人なのだ。
「は吹奏楽部所属だろう?」
「正解! すごいねー」
「これくらい基本のデータだ」
「いや、データ集めてることもすごいけど関わりない人の部活覚えてる柳の記憶力がすごい」
「俺も全て暗記しているわけではないが」
そう言うが柳なら全て暗記していてもおかしくないと思う。無駄な謙遜をするような人間ではないと思うから本人が言うのならば全部は覚えているわけではないのだろう。私の部活はクラスが同じだから確認したというのが本当のところだろうか。それでもクラス全員のデータを暗記するなんてすごい記憶力だと思う。思わずご飯を運びかけた箸を空中で止めて柳の話に食いついてしまった。
「じゃあこのクラス全員の部活言える?」
「……それよりも、米がぽろぽろと落ちているがいいのか?」
そう言われて「えっ?」っと声を上げながら慌てて確認するとブレザーの胸元に白い米粒が付いていた。柳との話に夢中で箸でご飯を口に運んでいる途中であることを忘れていた。
「……本当だ」
「、ティッシュ使う?」
「ありがとう」
花音が鞄の中から取り出して差し出してくれたポケットティッシュをありがたく受け取る。その様子を黙って見ていた柳が笑う。
「フッ、まるで子どもだな」
「なっ?!」
柳の人を小馬鹿にしたような笑いにカチンとしてしまった。確かに米をこぼすなんて落ち着きがないかもしれないけれど、それを特別親しいわけでもない柳に子どもだと言われる筋合いもない。ほぼ初対面の人にどうして馬鹿にされなければならないのか。私にだってプライドはある。
前言撤回。柳は思ったよりも嫌なやつだ。
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