学園に戻ってくるとすぐに試験が待っていてそれの勉強に追われてあっという間に時間が過ぎていく。そんな今までと変らない日常が戻ってきた。
「先輩!」
私を呼ぶ声がして振り返る。見ると後輩のくのたまが数人こちらに駆け寄ってくるところだった。よく私に話しかけてくる仲の良いくのたまだ。そんなに慌ててどうしたのだろう、何か問題でも起きたのかなと思ったけれど、彼女達の顔はどこか楽しそうだった。悪いことではないのだな、とそこには安心しながら、そちらに体を向ける。しかし何か問題が起こったのでないとしたらそんなに急いで一体何が起こったのか予想がつかなかった。
「先輩!おめでとうございます。ついに不破雷蔵先輩と恋仲になったんですね!」
「え、ちょっと…!」
「私たちずっと先輩のことこっそり応援してたんですよ」
「むしろ何故くっつかないのか不思議でたまりませんでした!」
一体いつの間に噂が広まっていたのかと驚く暇もなく彼女らは私の周りを取り囲む。きっとどこかから噂を聞きつけてそのまま私のところへ駆けつけてきたのだろう。しかし、そんな風に他人に見られていたのかと思うと恥ずかしくなる。後輩にまでバレバレだったなんて。後輩にばれていたということは同年や先輩達も当然皆知っていたと考えていいだろう。皆知っていて黙っていてくれたのだろうか。
「不破先輩が先輩の縁談相手の家まで乗り込んで行って、先輩を奪い返してきたって本当ですか?」
「私が聞いたのは雷蔵先輩が結納の前日に先輩をこっそり攫ってきたって」
そう好き勝手に自説を披露する彼女達は喋っているうちに白熱してきてしまったらしく声に力が入っている。そんな後輩を見て私はくすりと笑みをこぼす。
「どれもハズレ」
皆御伽草子の読みすぎじゃないの?と言うと彼女達は照れたように笑った。そうしてきゃっきゃと来たときと同じ様に散らばっていく。きっとまた新しい噂話をして回るのだろう。くのたまは噂話が大好きだから。悪意のない噂話なので咎めることもしない。噂話はくのたまの数少ない娯楽のひとつだから。
私が自室へ戻ろうと一歩歩き始めると、その中のひとりだけが私と行く方向が一緒だったらしく彼女は私の隣に並んで歩く。私は自分を慕ってくれる後輩がかわいくてしかたがない。
「でも不破先輩で良かったんですか?不破先輩は優しいけれど優柔不断だしちょっと頼りない感じがするって言うか。先輩ならもっと良い人がいたんじゃないかと」
そう言って彼女は私の顔色を窺うようにして覗き込む。それに対して私は怒っていないよという意味も含めてにっこり微笑んでみせる。
「雷蔵ほど素敵な人はいないよ」
「分からないです」
「うん、分からなくてもいいよ」
私がそう言うと彼女はきょとんとした顔で私を見上げた。きっとこの言葉が意外だったのだろう。
「ずっとずっと雷蔵が好きだったから私は今すごくしあわせなの」
この気持ちは誰にも分からなくていい。分かってほしくない。雷蔵の良さを分かるのは私一人でいいとすら思う。だって、皆が雷蔵が一番だと思ったら困る。皆が皆、雷蔵に惚れてしまったら困るもん。そんなことを考えているなんて言えない。私はこんなに欲深い人間だっただろうか。
「それよりも今日食堂の当番だって言っていなかった?急がなくて良いの?」
「ああ、そうでした!すみません、失礼します!」
これ以上この話を続けるのが恥ずかしくて、そう言うと彼女は本当に忘れていたらしく、ぺこりと頭を下げて廊下を真っ直ぐ走って行ってしまった。慌てて転んだりしないといいけれど、と思いながら私は廊下を右に曲がろうとした。考え事をしていたせいで、そこに人影があったのに気付かず、軽くぶつかりそうになってしまった。
「あ、ごめんなさい」
「やぁ、」
聞きなれた声が上から降ってきて、驚いて見上げるとそこには口元に手を当てた雷蔵その人が立っていた。もしかして今の話を聞かれていただろうかと恐る恐る窺うと雷蔵と視線が合う。
「そんなにはっきり言われると照れるよ」
「ら、雷蔵!聞いてたの?」
「立ち聞きするつもりはなかったんだけど…」
そう言って彼は視線を外した。本人がいないと思って自分はなんて恥ずかしいことを言っていたのだろう。一体どこから聞かれていたのだろう。少なくとも最後の恥ずかしい台詞は聞かれていたことは確かだけれど。それ以外は聞かれていなかっただろうか。
「本当に僕で良かったの?」
どうして雷蔵までそんなことを言うの?私は雷蔵以外考えられないのに。思えばずっと雷蔵ばかりを見てきた気がする。雷蔵だけを追いかけて、追いつきたくてずっと走ってきた。
「それを言うなら雷蔵こそ私なんかで良かったの?この学園には私より可愛い子なんて沢山いるのに」
私こそ雷蔵に聞きたい。本当に私で良かったのか、と。雷蔵ならもっとかわいくてやさしい子が合うのではないかという思いは消えない。雷蔵が私を選んでくれたことは何かの間違いじゃないかと思うのだ。雷蔵は私のどこを見て好きになってくれたの?雷蔵が好きになったのは本当の私?雷蔵が思うような子に私はなれた?私なんかが雷蔵の隣にいてもいいのだろうか。考え始めたらそんな不安がとめどなく押し寄せてくるようで。こわい。
「ごめんね、わざと意地悪言った」
そう言って雷蔵は私を引き寄せて、ゆるゆると頭をなでた。
「僕はこんな素敵な子に好かれるなんてしあわせだっていつも思ってる」
雷蔵も私と同じことを思っていてくれているのだろうか。もし、そうだったならとても嬉しいことなのだけれど。雷蔵に好かれることはずっよ夢のようなことだと思っていたから。
「以上の子なんていないよ」
そう言って雷蔵は本当にやさしく微笑む。私はあの子に雷蔵の良さが分からなくて良かったと思っている。雷蔵に惚れる子がこれ以上増えなくて良かったと安心しているのだ。
「雷蔵に頭をなでてもらうの好き」
私は思ったことをそのまま小さな言葉にした。こうして雷蔵に褒めてもらうのがすき。
雷蔵は私の目標だった。私の世界のすべてだった。私は雷蔵の言うような素敵な人になれたのかな?もしそうだとしたらそれは全部雷蔵のおかげ。内気でいつもおろおろしていた私を変えてくれたのは雷蔵で、雷蔵がいたから私の世界はこんなにも色づいた。ずっとこの人の隣にいたい。もしもその願いが叶うなら、私は、もう他に何もいらないとさえ思うのだ。こんなにも世界が美しく映るのは世界中探してもきっとあの人の隣だけなのだろう。
「よく頑張ったね」
そう言って彼は再び私の頭に手を置く。彼の笑顔が眩しくて、私は目を細める。
君に追いつくために出来ること