彼女は今僕の腕の中にいる。その事実に僕は酔ってしまいそうだった。一体どれほどの時間そうしていただろう。
「えっと、雷蔵、そろそろ離して、」
「いやだ」
腕の力を緩めたら彼女が逃げてしまうと思っているわけではないけれども、すべて夢幻のように消えてしまうのではないかと思った。
「ごめん、もうちょっとだけ。お願い」
そう頼み込むとはぎゅっと僕の服を掴んだから、それを了承と捉えてなおも彼女を抱き締めた。彼女の細い体は僕がもう少し力を入れたら折れてしまいそうだと思った。僕はそっと、用心深く、込める腕の力を調節する。
「を、他の男のところへ行かせたくないんだ」
たとえ一瞬だとしても。に惹かれない男なんていないんじゃないかと気が気でないのだ。それを級友に言ったのなら惚れた欲目だと笑い飛ばされるに決まっているけれども。今の僕は割りと本気でそう思っている。は良いお嫁さんになるだろうと、誰もが思うに決まっている。の人柄が良いことなんて少し会話をするだけですぐに分かるはずだから。やさしいその笑顔を見せられて落ちない男なんていないに決まってる。
「あの、雷蔵。大丈夫だよ。私、断りに行くつもりだったから」
「え…?」
思考が一瞬停止した。
「もう家にはその旨の手紙を出していたの。でも一応一度帰って直接お話した方がいいかと思って」
最初からお父様も私が嫌なら断るって言ってらしたし、私もまだ忍術学園で学びたかったしと言うの言葉は半分くらいしか頭に入って来なかった。断りに行くつもりだったってなんだ。はとっくに僕を選んでくれていたということか。そう考えるとじんわりと胸の奥が熱くなった。
「それに何より雷蔵のことが頭から離れなくて。雷蔵以外の人のところへお嫁に行くなんて考えられなくて」
ほのかに赤く染めた顔を隠すように俯き、きゅっと僕の服の裾を掴む彼女を純粋にかわいいと思った。こんなにかわいい子を手放せるもんか。
「僕も以外はほしくない」
頼んだって放してやらない。やっぱり間違いでしたって言ったって一度手に入ったと思ったものを簡単に手放せるはずがない。それが、長年焦がれていたものとなればなおさら。どうか今だけはこの腕に力が入ってしまうのも許してほしい。こんなのかわいい顔を見るのはだけでいい。独り占めしたい。僕の頭をぎゅうぎゅうと自分の胸に押し付けていると「らいぞ、あの、くるし、」とくぐもった声が聞こえた。
「あ、ごめん。大丈夫?」
そう言って慌てて力を緩める。けれども、放すことはせずに今度はの肩を抱いた。これもまた小さくて細い肩だった。僕とはまったく違う。必死な僕の様子にはくすくすと笑う。の肩に埋めた顔に彼女の髪が掛かってくすぐったかった。僕も笑って、の顔が見えるくらいまで距離を取った。肩に両手を置いたままだったけれど。彼女の瞳を覗き込むとふわりといつものやさしい笑顔で目が細められて、「どこにも行かないよ?」と彼女の唇が動く。
「でも断ってご両親は平気なの?」
「お父様は私に甘いから。私を幸せにしてくれるのはこの人しかいないって言えば大丈夫」
「ん、もしが怒られるようなら僕が君の両親に土下座しようと思って」
「雷蔵ならきっとお父様もお母様も認めてくれるに決まってる」
「どちらにしろ、お嬢さんをくださいって土下座しなきゃいけないけどね」
そう言って笑うとはぼんっと音がするような勢いで顔を赤く染めた。僕は今さらと思うけれど、そんな風に照れるは見ていて面白い。数時間前まではこうしてに触れることなんて考えられなかったのに。ただ一言言葉を交わすだけでしあわせだったのに。ねぇ、僕は段々欲深くなっていくようだ。
「いやかな?」
「ううん、ちがうの。まるで夢みたいなの」
僕にしがみついてそう小さく呟く彼女の髪をゆるゆると撫でる。するとが顔を上げた。僕の服を握ったままだけれども、僕との距離がゼロから少し空く。視線が僕のものと絡み合った。
「雷蔵、ありがとう」
そう言って自分の足で立って真っ直ぐ僕を見つめるが眩しくて僕は目を細めた。そうだね、
君はいつも頑張っていたね。