の様子が変だ。
それに気が付いたのは彼女の姿を図書室で見なくなって5日目のことだった。僕も毎日図書室で貸し出し当番をしているわけではないから、もしかしたらは僕のいないときに本の貸し出して続きをして自室でそれを読んでいるのかもしれない。試験が近くなって図書室も利用者が多くなってきたから、自室の方が集中して勉強できると判断したのかもしれない。それでも毎日のように見ていたがいないのは気になる。
彼女に惚れている僕だから余計に。
「、最近図書室に…」
「ごめんなさい、ちょっと今急いでるの!」
そう言って僕がすべて言い切る前に彼女は小走りにどこかへ行ってしまう。そんなことが何度もあればさすがに僕だって気付く。食堂で見かけて目が合ったから挨拶しようとすると彼女はすいっと視線を逸らして女子の群の中へ入っていってしまう。そうするともう僕は声を掛けられない。
避けられるようなことをした覚えはない。覚えはないのに。
は僕を見るとすっとどこかへ行ってしまうから、その前に声を掛けなければならなかった。何かいい方法はないのかと考えていると、丁度彼女が後輩のくのたまふたりとお喋りしているのが目に入った。こんなやり方は失礼かな、と思ったものの僕は彼女に近付いていった。
「、ちょっと今いいかな?」
「えっと、ごめんなさい、今は、」
「先輩、私たちなら気にしなくていいですから!」
「もう行きます、ありがとうございました!」
そう言って後輩のくのたまふたりははぺこりと頭を下げるとあっという間に行ってしまった。話に無理矢理割り込んだりしてやっぱり悪いことをしたかなという気分になったけれどもこうでもしなければはいつまでも僕から逃げていってしまっただろう。「あ、ちょっと待って、」とはふたりを引きとめようとしていたけれど、もう追いつけないと諦めたのかはゆっくりと僕の方へ向き直る。久しぶりに彼女の顔を正面から見たような気がした。
「、最近僕を避けてる?」
「そんなこと、」
「じゃあどうして僕の目を見ないの?」
そう言って僕はと視線を合わせてみようと頑張るけれども、頑なに彼女はこちらを見ようとはしない。
「僕、何かしたかな?」
「違う!」
珍しくが声を荒げたものだから僕はびっくりして目を丸くしてしまう。も自分の予想以上の大声が出てしまったのか驚いたようにはっとしてから、再び視線を下げて、今度はすごく小さな声でぽとりと言葉を落とした。
「雷蔵は、何も悪くないの」
彼女はそれだけ言うとぺこりと頭を下げてから僕の脇をするりと駆け抜けて行ってしまった。僕は何も悪くないというその言葉が本当だとしても、が僕を避けているのは間違いない。僕はその理由が知りたかったのに。一応は僕が原因でないことに安心するけれども、解決にはなっていない。僕が悪くないという言葉だってもしかしたら彼女の嘘かもしれないと思ってしまったらきりがなくて。は嘘を吐くような子ではないけれども、もしかして僕を必要以上に傷つけまいと溜め込んでいたのだとしたら?
彼女の目には涙が張っていたような気がした。僕の、せいなのだろうか。僕は自分の知らないうちにを傷つけてしまったのだろうか。嫌われて、しまったのだろうか。
謝りたい、そう思ったけれど、その日の僕はもうそこから動けなかった。
*
次の日の午前の授業は全く頭に入らなかった。先生に注意までされてしまって、僕は一体何をやっているんだと思う。
「不破、ぼーっとしちゃってどうしたの?」
またぼーっとしていただろうか、気が付くと目の前にひとりのくのたまが立っていた。と同室でよく一緒にいるところを見かける子だ。不思議そうな顔で僕の顔を覗きこむ。確かにこんなところに突っ立っていたら不審者に違いない。
「もしかしてのこと?」
鋭い。もしかして僕がのことを好きということは皆にバレバレなのだろうかとひやりとしたが、別に知られたからといって何か困るわけではないと放っておくことにした。
「いや、最近が図書室に来ないから珍しいなーと思って」
「ただ単に忙しいんでしょ?」
さらりと彼女は言う。忙しい、それは果たして本当だろうかと疑ってしまう僕がいる。
「一度家に帰るそうよ。縁談の話があるんですって」
不破聞いていないの?と彼女は言った。聞いているわけ、ないじゃないか。帰るって何?縁談の話なんて知らない。忙しいって身の回りの整理をするのに忙しいってこと?そんなの本人の口からどころか噂でも聞いたことがない。それっては信用の置ける仲のいい友達にしか言っていないってことなんじゃないか。は僕に何も相談してくれなかった。もちろんそんな関係ではないのだから当たり前なのだけれど。
「へー、そうなんだ。おめでとう」
心にも思っていない言葉が口から出る。おめでとう、なんての結婚を祝う気持ちなんてこれっぽちもないくせに。本当は頭の中がぐるぐるして碌にものも考えられない状態のくせに。
「私に言わないでよ。もうこの時間だったら出ていったんじゃないかしら。今日の授業は出ずに午前中に帰るって言っていたから」
彼女の言葉はするすると僕の脳みそを通り抜けていってしまう。はもう出ていった?はもう学園の中にいなくて、僕の手の届かない場所へ
「本当に不破知らなかったの?口止めされてはいたけど、あの子不破にだけは、」
「はーい、ストップ!そこまで」
ぼんやりとしていたらふいに三郎の後ろ髪が視界いっぱいに広がった。
「あんまり雷蔵をいじめてやるな。雷蔵たじたじになっちゃってるだろうが」
「は?いじめてなんか…!」
「もういいから。あ、そうそうさっき山本シナ先生がお前のこと呼んでいたぞ」
「そういうことはさっさと言いなさいよ!」
そう言って彼女はあっという間に去ってしまった。三郎は彼女をおちょくって楽しんでいるのだろうと思ったのに、彼が振り返った表情は先程とは打って変わってひどく真剣なものだった。
「おい、雷蔵。お前本当にそれでいいのか?」
「いいって何が?」
「が他の男と結婚しても平気なのかと聞いている」
僕が聞き返すしても三郎は平然とした様子で言い直す。こちらを見る気配もない。どこか遠くを見ていて僕と目を合わせて喋る気はなさそうだ。そんな三郎の様子に僕は何故か苛立ちを抑えられなくなった。
「平気なわけ、ないだろ…!」
平気なように見えるかもしれないけれど、それはきっと僕がまだ現実を理解できていないからだ。内心はどうしていいのか分からなくて、焦っていて、ぐちゃぐちゃでものもよく考えられない状態なのに。
「でも、がそれを望むのなら、僕に何が出来るっていうんだ!」
彼女が望んで行ったのなら僕が出る幕などない。が行儀作法を学んでいたのはこの日のためだったのだ。彼女の努力を無駄にするようなことを僕が出来るわけがない。
「…は泣いてたそうだ」
小さく、静かに言う三郎の声が僕の耳を打った。
「とあるくのたまが長屋近くで目撃したらしい。それが縁談と関係があるかは分からないが、ひとりでこっそりとすすり泣いていたのは確かだ」
どうして泣いていたのかなどと聞くのはきっと愚問なのだろう。
「さぁ、雷蔵、君は一体どうする?」
そう言って三郎はにやりと笑ってみせる。どうするもなにも、君にはこのあと僕がどうするかなんて万事分かっているに違いないのに。そう、このあと僕が取る行動なんて決まりきっている。それは考えるまでもないことで、僕はもっと前に取るべき行動だった。
「三郎、あとはよろしく」
「おう」
僕がそういうと三郎は短く返事をした。それだけで十分だった。三郎がそう言ったからにはきっとすべてを何とかしてくれるだろう。僕は三郎にお礼を言うか言わないかのうちにくるりと踵を返して走り出す。
が他の男と結婚してもいいかだなんて聞かないでくれ。そんなの嫌に決まっている。が他の男に触れられるのも、他の男のものになるのも堪えられない。僕もの隣以外にいたいなどと思わない。
景色が飛び去っていく。途中誰かに声を掛けられたような気がする。けれども僕は走る足を止めなかった。そんなに急いでどこへ行くのかとかそういうことだったと思う。きっとそんなに重要な用事ではなかったはずだ。もしそうだとしても三郎が何とかしてくれる。
どこへ向かっているかさえ考えないまま道を駆ける。
僕はもっと早くこうするべきだったのだ。僕は彼女を失うことばかりを恐れていた。臆病な僕はが自分など好いてくれるはずがないと決め付けて、もしかしたらあったかもしれない可能性を潰していた。もしも、僕が彼女に想いの丈をぶつけていたなら、何かが変わっただろうか。それは今からでも遅くないだろうか。もう一度やり直せるだろうか。
僕にはただひとつの答えしかなかった。
「」
それ以外の答えなんてない。
僕は君がほしい。