私が昼食から自室に戻ると先に帰ってきていた同室の友人が文机から顔を上げ、「おかえり」と言うと、彼女は机の脇に置いてあった紙を取り上げて私に差し出した。

、ご両親から手紙が来てるわよ」

私が食堂にいる間に届けられたのだろう。お礼を言ってそれを受けとる。表に『へ』と見慣れた字で書かれている。そういえば両親から手紙が来るのは珍しく久しぶりだったななんてことを思いながら手紙を開く。元気かとこちらの近況を問う文章から始まり、学業の方はどうかといういつもの言葉がそれに続く。私はそれに目を滑らせながら、今回はどのような返事を書こうかと考えていた。しかし、手紙の中ほどにきて見慣れない文字列があった。

「親御さん何だって?」

私の視線が手紙のある一点で止まって固まっていることに気付いたのだろう。いつもは個人的なことに首を突っ込んだりしない性格の彼女が珍しく心配そうな表情で聞いてくる。

「えっと、その、」
「言いたくなかったら無理して言わなくていいよ?」
「そうじゃなくて…。今じゃなくて夜に相談に乗ってもらってもいいかな?」
「うん、分かった。いいよ」

友人は嫌な顔ひとつせず承諾してくれる。私は「ありがとう」とだけ言ってそのやさしさに甘える。彼女はさっぱりした性格で言葉は少ないけれども、本当にやさしい人間なのだと思う。

「ごめんね?」
「放っとくとあんた色々溜め込むから。そうじゃないなら、いいよ」

そう言って彼女は微笑んだ。やさしい子だと思う。私がわがままを言っても、それでも私のことを心配してくれる。私の周りにはやさしい人ばかりで、私はそれに頼って生きている。

「ありがとう」

それだけ言って私は部屋を出た。襖を閉めながら、ふぅと息を吐く。とりあえずひとりで考えをまとめたくて、行く当てもなく歩き出す。頭が混乱している。まさか、こんなに早くそのときが来るとは思っていなかったのだ。いや、本当はいつ来たっておかしくないのに、そのことから目をそらそうとしていた。本当はちゃんと考えなきゃいけなかったのに。とりあえず懐にしまった手紙が重い。

そのとき前方に彼の姿を見つけた。

見間違えるわけがない。声を掛けてどうしようという考えがあったわけではないけれど、どうしても顔が見たくて、声が聞きたくて、足が勝手に動いていた。

「雷蔵!」
「ああ、。僕に何か用かな?」

名前を呼ぶとすぐに足を止めて振り返ってくれる。彼の顔を見ると何故だか安心して、不覚にも私は泣いてしまいそうになった。

「えっと、その、どうしても雷蔵に話しておきたいことがあって」
「うん、僕で良かったらいくらでも話を聞くよ」

そう言って彼はにっこり微笑む。その笑顔を見ると私はとてもほっとする。彼は図書室に行く途中だったようで本を数冊抱えていた。

「立ち話も何だから、場所移動しようか」
「あ、うん」

まだ何を話すと考えていたわけではなかったのに、雷蔵が歩き出す後ろを黙ってついていった。彼の後ろ髪がぴょこぴょこと跳ねるのを見ていたら、雷蔵が突然くるりと振り返った。

「外の木陰とかでもいいかな?」

ふわりとした香りが私の鼻をかすめた。私がこくりと頷くと彼はまた笑顔を私に向けて、今度は私の隣についた。そのまま私の歩幅に合わせて先程よりもゆっくりと歩き出す。さっきだって雷蔵は私を気遣っていつもよりゆっくり歩いていたはずなのに。どこまでやさしいんだろう。

そのとき、「不破先輩!」と彼を呼ぶ声がした。女の子の声だ。彼が振り返る。ああ、だめ。私はとっさにそう心の中で呟いた。だめ、雷蔵振り向かないで、と。自分だってそうやって呼び止めたくせに。そうやって振り向いてもらってとても嬉しかったくせに。

「不破先輩!探していました!あの、ちょっと助けてほしいことがあるんですけど」
「え、ああ。分かった、今行くよ」

雷蔵は迷いもせず、そう返事をした。私は驚いて小さく「え、」と声が漏れてしまった。けれどもそれは小さすぎて誰にも届かないまま地面に落ちてしまったらしい。

、ちょっとごめんね」

そう一言断って雷蔵は彼女の方へ一歩踏み出そうとした。だが、そうならなかった。何故なら私が雷蔵の手を掴んでいたから。何故自分がこんなことをしてしまったのか分からない。雷蔵は何が起こったのか分からないといった風にきょとんとしている。当然だ。私だって何が起こったのか分からない。

こういうとき何かしら言うべきではないかと思ったけれど、今の私にそんな余裕はなかった。気を緩めたら涙が零れてしまいそうだと思った。雷蔵が好きすぎて涙が出てくる。私の手が触れる雷蔵の手は当然私のものより大きくて骨ばっていて、それでいてとてもあたたかかった。手に少し力を入れて握ってみるとふわりとその手が雷蔵の両手に包まれた。

雷蔵好き。

今すぐにでもそう伝えたかった。好き。好き。そう思う気持ちが溢れ出して止まらない。

「すぐ戻るから」

そう言って雷蔵はするりと私の手を外すと彼女のもとへ行ってしまった。ズキンと心臓が嫌なように鳴った。嫌だ、行かないでほしい。どうしてその子のところに行くの、とか。私以外の女の子のところに行かないでほしい、なんて。

雷蔵の誰にでもやさしいところが好きだったのに。そういうところが好きで尊敬したいと思っていたのに。ああ、私以外の誰にもやさしくしてほしくないなんて!私以外の女の子に話しかけないでほしいなんて。あの子を優先したのは雷蔵が彼女を好きだからじゃないのかとか嫌な詮索をしてしまう。迷い癖のある雷蔵が迷わずはっきりと言ったのはそういうことではないのかと。本当は分かっているんだ。雷蔵の一番はきっと私じゃないってこと。それなのに私は!こんなことを考えて雷蔵に全然届いていない。結局私は成長してないのだ。

気付いてしまった。自分の醜い感情に。

簡単に言えば私は嫉妬していたのだ。こんなちっぽけなことに。私の話を一番に聞いてほしかったとわがままを言っている。他の女の子に話しかけないで、とか、私にそんなこと思う権利はないのに。ひとりじめしたいと思って。

雷蔵はあの子のことが好きなんだろうか。迷わず彼女を優先したってことはそういうことなのだろうか。少なくとも、彼女は雷蔵を慕っているようだった。よくは知らないけれど確かひとつ下のくのたまだったはずだ。小柄で、快活で、明るくて、雷蔵はそういう子を見ているのが好きなんじゃないかとか。彼女が今日一日あったことを楽しそうに語るのを隣で雷蔵が本を広げてその様子をやさしい眼差しで眺めている様が想像出来てしまって嫌だった。今までそんなこと考えもしなかったのに。

ぐるぐるとしてなんだか気分が悪くなってしまいそうだった。

「ごめん、。お待たせ」

顔を上げると雷蔵がいた。いつもと変わらない。でも、その顔を見ると私の胸がズキズキと何かが突き刺さるかのように痛む。何かが変わったとしたら私の方だ。今までのように雷蔵を見ることが出来ない。誰か別の女の子と一緒にいるところすら見たくないだなんて。前はそんなこと思わなかったのに。いや、今までは気がつかなかっただけなんだ。私は何も成長してはいなかった。

「あ、えっと…」
「僕に話って何かな?」
「ごめん、やっぱり何でもないの。よく考えたら自分で解決しちゃった。時間取らせてごめんね?」
「そうなの?何にせよ解決したなら良かった」

嫌な顔ひとつせず、安心したような表情で笑う雷蔵。嘘を吐いてることに対して棘が私に刺さる。こんなことをされても私のことを考えてくれる雷蔵はやはりとてもやさしい人だ。

雷蔵は誰にでもやさしいのに。分かっていたはずだったのに、いつの間にか勘違いしてしまっていた。もしかしたら私だけにやさしいのかもって、どこかで思ってしまっていたに違いない。雷蔵がやさしいから、私だけ特別、だなんて。もしかしたら雷蔵は私のこと好きなんじゃないかって、どっかで思っていたんじゃないか。恥ずかしい。

私は懐に入れた手紙をぐしゃりと握りつぶした。