こんな幸運があっていいのだろうか。

「あの、雷蔵、ここってこれであってる?」
「ああ、ここはこうするよりも、こっちの方が…」

僕は今と肩を並べて勉強している。場所はいつもと同じ図書室だけれど、彼女の隣というだけでいつもと違う景色が見えるような気がする。もちろん、それは気のせいでしかないのだけれど。なんたって提案したのはの方からなのだ。僕が舞い上がってしまうのも仕方のない話だと思う。はほとんどの時間集中したように問題の書いてある本を視線を落としていたが、僕は隣に座る彼女が気になって、ちらちらと顔を上げてしまう。彼女ばかり気にして、自分の勉強がまったく進んでいない。それでは格好が付かないので時折思い出したかのようにがむしゃらに筆を動かして頭に文字を詰め込むことを繰り返していた。

「じゃあこっちは、こうかな?」
「そう。それで合ってるよ」
「分かった。理解出来そう」
「ふふ、良かった」

そのままはまた問題にかじりついてしまった。前髪がはらりと机の上に落ちる。彼女がそれを耳に掛け直す様子を僕はぼんやりと眺めていた。まだ、こんな休日を過ごすことを夢じゃないかと思っている。たまたま会って立ち話するわけでもなく、今日はほぼ一日中一緒にいれるのだ。それだけで夢みたいなことなのに。

が筆を持つ手を止めて「ふぅ」と息を吐く音が聞こえたのを見計らって僕は「お疲れさま」と声を掛ける。

「少し休憩しようか」
「うん。ありがとう。雷蔵のおかげでだいぶ進んだよ」

は決して秀才というわけではないけれども、成績が悪いわけではない。どちらかというと飲み込みが良い方だと思う。そして努力を惜しまない子だ。だからその生来のやさしさと相まって後輩に慕われるくらいには良い成績を維持しているはずだ。そんな彼女だから僕は大したことを教えられてはいないのに、はすごく嬉しそうにする。

「やっぱり雷蔵ってすごいね。教えるのうまい」
が頑張ったからだよ」

「頑張っているね」と言うとは照れたようにはにかんで笑う。「ありがとう」と俯いてこぼす。この姿が僕はかわいいと思う。いつも明朗でやさしい彼女がこんな風に照れるのは僕にとって少し意外で、彼女の普段見れない一面を垣間見れたようで嬉しかったりする。は褒められなれていないわけではないだろうに。僕はただ思ったことを言っているだけなのに。それでも、が嬉しそうにするのなら僕は同じことを何度繰り返したって構わないと思うのだ。

「お茶でも飲もうか」

図書室では飲食不可だし、満足にお喋りをすることも出来ないのでとりあえず外に出るため立ち上がる。が慌てて教科書類を片付けようとするので「すぐ戻ってくるんだから大丈夫だよ。今日はあまり混んでいないし、当番の図書委員に言っておくから」と言うと彼女は手を止めて、広げた本をまとめると立ち上がって僕の後ろについた。

「食堂にでも行く?もしかしたらおばちゃんが何か作ってるかも」

図書室を出たものの実際僕はどこへ行くかなんて考えちゃいなかった。部屋にを呼べるわけないのに、いつもの調子で図書室を出てきてしまったのだ。は女の子なのに、一体何を考えているんだと何も考えていなかった自分を叱責する。そんな動揺を気付かれないように歩く。だから、が足を止めたのにしばらく気が付かなかった。振り返ると彼女はいつから手にしていたのか、包みを胸に抱いて俯いていた。

?」
「あの、これ、お菓子作ったの。もし良かったらどうぞ」

そう言っては小さな包みを僕に差し出した。僕がそれが何なのかを理解するまで数秒かかった。その間の僕の顔は相当まぬけなものだったに違いない。

「え、僕に?」
「この前次作ったらあげるって約束したから。あとこの間のお礼も兼ねて」

はそう言って少し照れたように笑う。約束してもらったのは覚えている。が僕に今度作ってきてくれると言って僕はそれに対して楽しみにしていると返して。でもあんなのその場限りの社交辞令だと思っていた。

「覚えててくれたんだ…。ありがとう」

本当に作ってきてくれるとは思っていなかった。僕は感動して彼女が差し出す包みをそっと受け取る。

「えっと、でもとりあえずお茶もらいに食堂へ行こうか?」

そう提案するとはこくりと頷いて再び僕の後ろを歩き始めた。それを確認して僕も歩き始める。今度はきちんと彼女の足音を確認しながら。

「食堂のおばちゃーん、っていないみたいだ」

食堂に着いて声を掛けてみても返事はなくて、どうやらここの主は食材の買い物か何かに行ってしまっていたようだった。

「えっと、とりあえずお茶いれるね」
「あ、私が」
「いいよ、それくらい僕がやるから。は座ってて。ありがとう」

そう言うとは浮かしかけた腰を再び椅子に戻した。勝手に急須を借りてお茶をいれる。は落ち着かないのかなんだかそわそわしていた。ただ待たせるだけで逆に退屈にさせてしまっただろうか、と少し後悔しながらも熱いお茶の入った湯のみをふたつ持って彼女の元へ戻る。

「お待たせ。熱いから気を付けてね」
「あ、ありがとう」

彼女は僕から湯のみを受け取ってそれを両手で包み込む。ふぅふぅと息を掛けてお茶を冷ますがちらりとこちらを見て、僕は彼女の緊張が伝わってきたようでドキリとする。

「えっと、これ、食べてもいいかな?」
「どうぞ」

開けてみると中には大福が入っていた。「おいしそう」と小さく呟くと、それが聞こえたのか彼女がもぞりと身じろぎする。どうやら彼女はこれが気になって落ち着きがなかったようだった。ひとくち頬張る。ほどよい甘さが口の中に広がった。もぐもぐと咀嚼する僕の顔をが真剣な表情で見つめていて、少し食べづらいけれども、しっかり味わってから飲み込む。

「うん、おいしい」

心からそう思った。は料理が上手だ。それを伝えると彼女ははにかんで「褒めすぎだよ…」と言う。僕はその表情がとてもかわいいと思う。

毎回こうしてがこうしてお菓子を僕に持ってきてくれたらいいのに、と思う。くのたまがお菓子作りとかそういう実習があるときが作ったものを僕のところに持ってきてくれたら良いのに、と。こうして彼女の手作りのものをもらうのは初めてで嬉しいと思うと同時に欲が出る。これから先も僕のために作ってくれはしないかと。

「君にいつも差し入れをもらっている人は幸せだね」

本音が出てしまった。それは醜い嫉妬だったかもしれない。に誰か想い人がいるという話は聞いたことがないけれど、彼女は人気があるから誰かにくれと頼まれたらあげてしまっているのではないかと思った。きっと僕が同じ様にほしいと言ってもくれるのだろうけど、今まで言えなかった。僕に足りないものは勇気だ。もし彼女に『もう別の人にあげちゃったんだ』とか『もうあげる人決まってるから』などと言われるのがこわかっただけなのだ。

「…私あげてないよ。いつも自分と友達で食べちゃってるから」

僕は思わず固まってしまった。そして間抜けにも「え、毎回?」と聞き直してしまった。それに対して彼女は「たまに後輩のくのたまに分けてあげたりしてるけど、大部分は自分たちで消費してる」と事も無げに答える。嘘を吐いている様子はない。そもそも彼女に嘘を吐く理由はない。

「もしほしかったら今度から雷蔵にあげる」

今度こそ聞き間違えじゃないかと思った。

「え、いいの?」
「雷蔵が喜んでくれるなら」
「すごく嬉しいよ!」

あまりにも僕は必死すぎたかもしれない。だけど本当に嬉しくて、つい声に力が入ってしまったのだ。この気持ちが少しでも彼女に伝われば良いと思って。僕のあまりの勢いにが引いてしまっていないか心配だったけれど、彼女は「いつも余ってるからすごく助かる」と迷惑そうにしている様子もない。恋人でもないくせにずるいかな、とも思うけれども、独占はしていない。まだ公正だろうと僕は言い訳をする。ああ、それでも彼女が毎回僕のためだけに作ってくれる日が来やしないかと願っている。