「少し聞きたいことがあるのだけど、」

いいかな?と声を掛けられるまで僕は貸し出しカードの整理に集中してしまっていて目の前に来たのが彼女だと気が付かなかった。僕は驚いて勢いよく顔を上げるとがびくっと体を強張らせたのが分かった。ああ、僕は一体何をやっているのだろう。

「あ、ごめん、忙しかった?」
「そんなことないよ!こっちこそごめん、少し驚いて」

申し訳なさそうな顔をするを見て僕は慌てて弁明する。隣で僕と同じ様に作業していたきり丸も顔を上げて「先輩こんちはー」と挨拶をする。お陰でどうしてそんなに驚いたのかと理由を聞かれずに済んだ。

「それで聞きたいことって何かな?」

そう聞くとはほっとしたように表情を緩めた。それだけで僕は安心する。

「以前見かけた本が探しても見つからなくて」
「ああ、この間蔵書整理したからきっと場所が変わったんだね。どんな本?」
「薬草について書いてある本なんだけど…」
「それなら」
「それならオレこの間見ましたよ。案内しましょうか?」

僕が分かるから取ってくるよ、と言おうとしたらきり丸の声と重なった。僕の低い声よりきり丸の幼ささの残る高めの声の方がよく通るから自然と僕の声は尻すぼみになっていった。きり丸はよくアルバイトをしているせいかよく張ったはきはきとした喋り方だから余計に。

「本当、きり丸くん?お願いしてもいいかな」
「任せてください!」

「きり丸くんは頼りになるなぁ」とが言っている間にきり丸はカウンターから出る。そして「先輩、こっちっス」と彼女の手を握って引っ張って連れて行く。

ああ、本当は僕がそうやってを案内したかったのにと思った。さすがに手を握れはしないけれど。相手は一年生なのに嫉妬するなんて馬鹿らしいと思うけれど、それでも残念だった。こういうとき迷わずが僕に頼ってくれるようになったらいいのに。つい横目で手を繋いで歩くふたりを見ながら、そんなことを思う。ときり丸はどう考えても恋人同士には見えない、姉弟、もしかしたら親子に見えてしまうかもしれない。親子はさすがに言いすぎだけれども。こんなことで僕は将来子どもが出来たときも同じ様に嫉妬するのかと、そこまで考えてボンっと顔を赤くした。子どもって僕は一体何を考えているのだろう。

ふたりがある本棚の前で立ち止まったのを見届けてから、僕は再び手元の貸し出しカードを確認する作業に戻った。それでも集中することが出来なくて、貸し出し期限が過ぎているものを選り分けようとしているのに、日付がすべて目の上を滑っていってしまう。どうしようもなく意識がふたりの方へ向いてしまうのだ。「はー」と僕は大きく溜息を吐く。こんな風に気にするのなら最初から自分で案内すれば良かったのに、と思った。情けない。ふと視線を上げると、きり丸が「あー」と声を上げた。

「この高さはオレじゃあ届かないなぁ」

先輩も無理なんじゃないんスか?とわざとらしい大きさで言う。それでもって視線は僕から外さない。僕と目が合うときり丸はにやっと笑顔を見せた。まったく、きり丸ってば余計な気遣ってくれちゃって。僕は仕方ないなぁと笑いながら腰を上げてふたりへ近付く。は「あとちょっとなんだけどなぁ」と言いながら精一杯手を伸ばしている。

「僕がとろうか、」

そう声を掛けようとした瞬間ぐらりとの体が揺らいだ。だけじゃない、本棚も揺れて彼女が手に掛けていた本とともにその左右も一緒に棚から飛び出る。

「危ない!」

とっさにときり丸を抱きしめて庇うとドサドサと数冊の本が後頭部と背中に落ちてきた。衝撃が収まって目を開くと驚くほどすぐ近くにの顔があった。眉を下げて不安そうな表情で僕を見上げている。

「ら、雷蔵…!」
「不破先輩、大丈夫スか!?」
「いてて、僕は大丈夫だよ。ふたりとも怪我はないね?」
「オレらは不破先輩が庇ってくれたから無傷ですよ。でも本当に先輩大丈夫スか?保健室に行かなくても…」
「大丈夫だから。ここは僕が片付けるからきり丸はのためにこの本の貸し出し手続きをしてくれる?」
「ハイ!」

すれ違うときにきり丸が「これで貸し借りなしっスね」とにやりと笑った。本当にきり丸には敵わないな。力が抜けてしまったのかはいつの間にかペタリと床に座り込んでしまっていた。まさかどこかぶつけたのかと思って慌ててしゃがみ込むと彼女は真っ直ぐ僕を見た。

「雷蔵、ごめんね。私が無理せず踏み台を使ってればこんなことには…」
「いや、これはこんなに本を本棚にぎちぎちに詰めて入れてた図書委員にも非はあるし。たちに怪我がなければそれでいいよ」
「雷蔵も本当に怪我はない?」

そう言ってが僕に手を伸ばした。そうして僕の頭を探るように労るように撫でた。腕一本分の距離がこれほど近いものだと初めて知った。さっき抱き締めて庇ったときの方が距離は近かったけれど、意識したのは一瞬だった。すぐに体を離したけれど、今は違う。から僕に触れている。それがどうしようもなく僕の鼓動を早めた。

「ここ、少しこぶになってる…」
「そう?でも重い本じゃなかったし、大したことないよ」

少し擦れた声が出て、思わず唾液を飲み込むとその音がごくんとやけに大きく聞こえた。

は気に病まないで」

些細なことだけど僕はを守ることが出来て満足なのだから。

「やっぱり雷蔵はやさしいね」

君にだけ特別優しくしているんだよと言えたらどんなにいいだろう。にだけだよ。でもそう言ってしまったらはどんな返事をするだろう。それを知ってしまったらは僕に失望するだろうか。結局僕はに嫌われたくなくて善人のふりをする。

「本当にありがとう」

そう言って彼女はやわらかい微笑みを僕へ向けた。それだけで僕は満足する。彼女を守れるのならなんだって良いと思う。なんだってする。こんな小さなたんこぶひとつぐらいどうってことない。もし許されるのならずっと守っていきたいと思う。「ここ片付けなきゃ」と落ちた本を拾う彼女を見ながら、もしも隣で生きる権利をもらえたら、なんて考える。