くぁ、と欠伸がひとつ出た。隣で本を読んでいた友人も頬杖をついて眠っているようだった。私は読み終えた本をぱたりと閉じて伸びをする。何も予定のない午後は暇だ。予習復習するほどの授業もなく、ここしばらくまだテストの予定もない。本も読み終えてしまった。それでも夕食まではまだ時間があった。

「あれ、ー、どこ行くの?」

ガタリと椅子を引いて立ち上がると隣に座っていた友達が顔を上げた。すっかり寝ているものだと思ったから起こしてしまったかと不安になったけれど、はっきりとした喋り方だったので、目を閉じていただけなのだろうと考え直す。

「ちょっと図書室まで」
「ああ、不破に会いに?」
「ち、違うってば!」

からかってくる友達に私はおそらく顔を真っ赤にさせながら否定をする。暇だから別の本を借りてこようと思っただけで、別に雷蔵がいるから行くわけじゃない。そもそも私は今日雷蔵が当番かどうかもしらないわけで。それをもごもごと伝えようとしたけれども彼女はにやにやと笑って

「分かったからいってらっしゃい」

と言う。何が分かったというのだろう、と思うけれど、悔しいことに彼女の言う半分は当たっていたから私は黙って部屋を出た。これ以上言い返しても負けてしまうだろうから。

今日はいるだろうか。

いつも無意識のうちにそんなことを考えてしまう。図書室に何しに来たんだ、本を借りにきただけだろうと自分を叱責する。それでも図書室の扉を開けて、その景色の中に彼がいると嬉しくなってしまう。貸し出しカウンターに雷蔵がいたから、今日は彼が当番なんだ、と何をするでもなくうきうきしてしまう。

彼は三年の忍たまの貸し出し手続きをしてあげているようだった。その三年生は何か課題にでも使うのだろうか、本を何冊も持っていた。しばらくは雷蔵忙しくてお喋りなんて出来そうにないな、と考えてから頭を振る。どうして話しかけること前提なのだ。私は雷蔵とお喋りするために図書室に来たわけじゃないと思い直す。

すぐに彼から視線を外して図書室の奥へ行く。本棚の間を歩いて、適当に面白そうだと思った本を抜き出していく。日が当たってあたたかいところに座り込んで私はページを開いた。今日手に取ったのは料理の本で、近くで中在家先輩が書架の整理をしているのを見て読もうと思ったものだ。中在家先輩はボーロを作るのが得意だと聞いたことがあったから。そのうちこういう実習が入るだろうし、いい機会だと思ったのだ。

どんな料理が取り上げられているのかとパラパラとページをめくって眺めていく。この本は甘味の作り方が多く取り上げられているようで、見ているだけで段々お腹が空いてきそうだった。おいしそうだなぁ、今度作ってみようかななんてことを考えてまた一枚ページをめくる。こんなの作ったら良さそう。皆食べてくれるかな、なんて

「何読んでるの?」

背後から突然声を掛けられて、私はドキリとして本を取り落としてしまうかと思った。振り向くとカウンターにいたはずの雷蔵がにこにこと立っていた。彼は私の手元に視線を落として、何の本を読んでいるか理解すると「花嫁修業?」とどこか楽しそうに言う。

「まぁ、私は行儀見習いで入った口だから」

彼に話しかけられて実はドキドキしていることを気取られないように、平静を装って言う。そうして少しそっけない答えになってしまってはいないかと不安になったりする。今日は挨拶を交わす機会を逃してしまったから、もう話せないと思っていたのに。

「よくこういうの作ったりするの?」
「うん、休日の暇なときにたまに」

そう言うと雷蔵は「へぇ、」と言ってまた一瞬手元の本に目を落とした。顔を上げてこちらを見られていても緊張するけれど、こうして表情が見えないのも困る。彼は一体何を考えているのだろうとか、今まで表情で何となく読み取れていたことが分からなくなる。雷蔵は今一体何を思ってる?そんなことを考えていると彼はふいっと顔を再び上げていつものふんわりとしたやわらかい笑顔をこちらへ向けた。

は良いお嫁さんになりそうだね」

ドキンと心臓が高鳴った。これはお世辞だお世辞なんだと言い聞かせないとどうにかなってしまいそうだった。実際お世辞なんだろう。決して嫁にほしいと言われたわけではないのに。勘違いしてしまいそうなほど嬉しい。本当にそう思ってくれたのなら、嬉しい。雷蔵に褒められて嬉しくないわけがないのだ。それが例え彼の想像の中の私だとしても。

もっと行儀作法について学びたいと思った。今見ていた料理だって作れるようにしたい。料理が得意な友達に聞いてみようか。それとも食堂のおばちゃんのお手伝いを沢山しようか。すっかり舞い上がった私はそんなことばかりを考える。

「もし良ければ、今度作ったら雷蔵にもあげようか?」

言った。言ってしまった。こんなことを言って迷惑じゃないかとか、突然こんなことを申し出て不審に思われたんじゃないかとか、思ったけれど、もし私がそうやって頑張って作った料理を雷蔵に食べてほしいと考えてしまったのだ。一瞬でも思ってしまったらその考えが脳内を支配して。

もし断られたらどうしよう。そう思ったけれど、やさしい雷蔵ならきっと受け取ってくれるに違いないという思惑もあった。くのいち教室の授業の一環としてたまに何か甘味を作るときもある。もちろん毒入りではなく。それを大抵のくのたまは自分で食べたり、はたまた恋人にあげたり、想いを寄せる人物に差し入れとして渡したりしている。私は未だ彼にそのお菓子を自然に渡す機会にも、また自分から渡しに行く勇気もなかったから、いつも自分と友達で消費していた。けれども雷蔵は人気があるから、きっと毎回誰かからもらっているだろうから、私のも特に何も思わず受け取ってくれるのではないかと。そんな打算があったことは否定しない。

「本当?ありがとう。嬉しいな。楽しみにしてるね」

それでもそうやって彼が間違いなく微笑んでくれるから。私は心のどこかががほっこりあたたかくなる。それが例え社交辞令だとしても、私は張り切って作ってきてしまうのだろう。頑張っておいしいものを作ろう。失敗したらうまくいくまで何度だって作り直そう。そう思いながら私は持っていた本をきゅっと胸に抱き締めた。