「ほら、着いたぞ」

そんな声が聞こえてふと図書室の入り口に視線をやると一年生の制服が見えた。そのあとに続いて女の子が入ってくる。きっと彼女も一年生なのだろう。なんだか頼りない足取りだ。

「どうして学園内で迷子になるんだよ」
「だって、この学園広すぎるんだもん」

これはもしかして男の子が女の子を図書室まで連れてきたのかな、と微笑ましい気持ちになった。一年生の男の子は怒りながらも何だかんだで女の子のきちんと手を引いて離そうとはしない。

そんなふたりを見ながら僕は少し懐かしい気持ちになる。こんなこと昔あったなぁ、なんて。

 *

「どうしたの?」

あのとき僕が話しかけると彼女はびくりと方を震わせた。彼女は廊下の端っこにしゃがみ込んでいた。くのたまの桃色の制服が見えて、当時の僕はこのまま見なかったふりをして委員会に行ってしまおうかどうか悩んだのだ。実際僕は委員会に遅れてしまうと急いでいたし、いくら低学年といえど、いや低学年だからこそその頃にはすっかりくのたまの恐ろしさというものが身に染みて理解できていたからだ。くのたまがまた何か僕らを罠に引っ掛けようとしているのかもしれない。くのたまとはなるべく関わらない方が良い。そんな意識があった。このまま通り過ぎてしまおう。そう思ったけれど、もし彼女が具合が悪いのだとしたら?本当に具合が悪くて動けないのだとしたら?

「どうしたの、具合でも悪いの?」

聞こえているはずなのに顔を上げない彼女に僕はもう一度声を掛けた。もしかしたらものすごく具合が悪くて顔を上げるのもつらいのかもしれない。僕はいよいよ心配になって彼女の隣にしゃがみ込んで、彼女の肩に手をかけた。その瞬間に彼女は驚いたようにバッと顔を上げるものだから今度は僕がびくりとする番だった。

「ちがくて、道が分からなくなっちゃって…」

青い顔をしているか、そうでなければ泣いているに違いないと思ったけれども彼女の顔はそのどちらでもなかった。どちらかと言えば泣いているに近かったけれど。顔を歪ませて泣くのを必死で堪えているようだった。それが僕には少し意外だった。

「知ってる人通らないし、上級生ばっかで、きけなくて、」

そう言って彼女はますます顔を歪ませる。思い出しては泣きそうになってしまっているらしかった。確かにここは六年の長屋の近くで通るのは上級生ばっかだ。知らない上級生に声を掛けるのが少しこわい気持ちは分かる。

「どこへ行きたかったの?」
「と、図書室…」
「なんだ、僕と一緒だね。僕は図書委員なんだ」
「そうなの?」
「そう」

これで目的地へ行けると安心したのか、彼女の肩から力が抜けた。

「案内してあげる。一緒に行こう」

立てる?と手を伸ばすと彼女は小さく「ありがとう」と言ってその手をとった。僕は迷子になっている子を図書室に連れて行くのも立派な図書委員の仕事だと意気込んでいた。ちゃんと連れて行ってあげないと。使命感に燃えながら僕は彼女の手を離さないようにぎゅっと握って歩き出した。

「きみの名前は?」

ちゃんか。僕は不破雷蔵。雷蔵でいいよ」

そう言うと彼女はちょっと困ったように顔を伏せた。もしかして馴れ馴れしくて嫌だったかなと僕は訂正しようと口を開きかけたが、彼女がちらっとこちらを見るものだから何故かドキリとして口を噤んでしまった。

「らい、ぞう」
ちゃん」

彼女の名前を呼んで笑顔を見せると、もにこりと小さく笑顔を見せた。それは僕が初めて見た彼女の笑顔だった。それがすべての始まりだったのだと思う。

はどちらかというと大人しい女の子で、僕から話しかけることが多かった。けれども話しかければ普通に話してくれる。あの頃はただ、彼女がまたどこかでしゃがみ込んでいないか心配だった。学年が上がればさすがにこの学園内で迷子になるなんてことあるはずないのに。いつからか僕は彼女をと呼ぶようになって。彼女も自然と僕を名前で呼んでくれるようになって。

そうやって気に掛けていたらこんなにも好きになってしまっていた。

 *

「この本借りたいんですけど」

気が付くと男の子がすぐそばまで来ていた。彼は女の子が抱いている本を出すように促す。彼女はすっとその本を僕に差し出した。「ちょっと待ってね」とその本を受け取って貸し出し手続きをする。この子たちは一体どんな関係なのかな、とそんなことを考えたりする。きっと、この男の子は女の子のことが好きなんじゃないのかな、とか。

「手、離したらダメだよ」

僕がそう言うと彼は一瞬きょとんとした表情をしたがすぐに「あたりまえです」と憮然として言った。ああ、怒らせてしまったかな。余計なお世話だったかな。「そうだよね」とここはあっさり話を終わらせる。当然だよね。離すわけないよね。

「はい、返却期限は守ってね」
「ありがとうございます」

そう言って本を女の子に渡すと彼女は受け取ってにっこり笑った。その笑顔が誰かに似ているなぁなんて思ってしまって、僕は無性に彼女に会いたくなってしまった。