私には想い人がいる。
いつからこの気持ちを抱くようになったのかは分からない。気が付いたらその人は私の心の中にじわじわと侵入していた。彼とは特別仲が良い訳ではない。同じ学年だから顔見知りで、食堂や廊下で会ったら少し挨拶する程度だった。それだけなのに、私はいつの間にか彼に惹かれていた。やさしい笑顔で私に話し掛ける彼をすっかり好きになっていたのだ。
どこを好きになったのかなんて聞かれても困る。
好きになって、少しずつ挨拶を交わせるようになって、お話出来るようになって。毎日少しずつ嬉しいことが増えていった。
「、」
と背後から声を掛けられた。いつも図書室で声を掛けられるとドキリと心臓が飛び上がる。ゆっくりと、心臓を落ち着かせる時間を稼ぎながら振り返ると思い描いた人が思い描いた通りの笑顔で立っていた。
「今日も勉強?えらいね」
「そんなこと…。他にすることもなくて暇だったから」
私が謙遜すると五年図書委員の不破雷蔵はふわっと心のどこかがくすぐったくなるような笑みをこぼす。それにつられて私も笑顔になる。話しかけられて心臓がドキドキ言っている。声を掛けられることを密かに期待していたくせに、実際話しかけられると心臓が破裂してしまうんじゃないかってくらいうるさい。
私が毎日のように図書室で勉強する本当の理由は雷蔵に少しでも近付くためだ。特に勉強が好きなわけでも、予習復習をしっかりしなければ危ないほど成績が悪いわけでもない。けれどもこれといって才能もない。
でも、これくらいしなければ私は雷蔵につりあわないから。
雷蔵は成績優秀で誰にでもやさしくて、きっと彼に惚れている女の子はきっと沢山いる。そんな彼に見合う女の子になるためには努力しなくてはならない。
「何を勉強しているの?」
「えっと、明日の実習の…」
そう説明すると雷蔵は「へぇ」と私の手元の書物を覗き込んだ。彼の髪の一部が私の頬を掠めたような気がした。いつもより少し近い距離にどうしても意識してしまう。彼はくのたまの教科書が珍しいのだろうか。興味津々といった様子で文字を追っている。
「これって難しいのかな?もしかして明日の実習って危険だったりする?」
「そんなことないよ。これくらいだったら普通だし」
「そっか。良かった」
そう雷蔵は安心したような表情を浮かべた。こういうとき、彼はとてもやさしい人なのだと思う。誰にでも親身になれるところとか。今だって少し喋っただけなのに私のことを心配してくれた。それが私にとってはとても嬉しいことだった。
「何となく、予習しているだけだから。こうした方が頭も整理出来て本番落ち着けるし」
それに図書室は居心地が良いの、と付け足すと彼はまたやわらかく微笑んで「それは嬉しいな」と言った。こうして雷蔵の笑顔があるから図書室は居心地がいいんだよ、と思ったけれどさすがにそれは言えなかった。
「は頑張り屋さんだね」
雷蔵がそう言ってくれるから私は頑張れる。頑張らなきゃって思える。雷蔵が思っているような私にならなきゃって思う。雷蔵がそう評してくれるのに恥ずかしくない人間になりたいと思う。雷蔵は人の良いところを見つけるのが上手いからよく私を褒めてくれるけれど、私は本当はそんな人間じゃない。けれどももし雷蔵が私に『やさしいね』と言うのならば私はもっと他人に親切でありたいと思う。雷蔵の言葉を本当にしたいのだ。それは雷蔵に好かれたいからだけじゃなくて。私は雷蔵をひとりの人間として尊敬しているのだ。
「雷蔵こそ委員会お疲れさま」
彼の隣にいても恥ずかしくない人間になりたい。
「ありがとう」
それが今の私の目標だった。もっと内面を磨きたい。もっと他人にやさしくありたい。もっと素直でありたい。人に慕われるような人間でありたい。
親しい友人にそれを言うとそこまでする必要があるかと問われるけれども少なくとも私には必要なのだ。だって彼に失望されたくない。きっと自己満足でしかないのだろうけれど、そうならなければ私は前へ進むことが出来ないのだと思う。
そしていつか自分に自信が持てるようになったら雷蔵に告白するんだと
心に決めて。