終業の鐘の音がなって教室がいつものざわめきを取り戻す。私が「んー」と伸びをしていると友人が「」と後ろから私の名前を呼んだ。

「何してるの?早く食堂に行こうよ」
「あ、ごめん。私一回長屋に戻って忘れ物取りに行くから先行ってて」

そう言うと友人は「分かった」と言って私と逆の角を曲がって行った。縁側を降りて長屋へ向かう道を歩いていると今一番会いたくない人の姿が見えた。鉢屋先輩と不破先輩だ。鉢屋先輩に見つからないように遠回りをしようと方向転換して一歩を踏み出した瞬間、地面がぐらりと揺らいだ。

「ぎゃ!」

次の瞬間足が上に上がって、逆さまに吊られていた。ぶらんぶらん揺れて気持ちが悪い。こんなときに罠に掛かってしまうなんて本当に馬鹿だ。こんな罠を仕掛ける人物は限られている。

「本当お前学習しないな」

私の声が聞こえたのか、そこにはまさに今一番会いたくない人物が立っていた。少し後ろに苦笑した不破先輩もいる。

「お前最近俺を避けてるだろう」
「気のせいじゃないですか」

どうせすぐ嘘だとばれる嘘を吐く。私が鉢屋先輩を避けているのは事実だから。それでも私は認めるわけにはいかなかった。避けている理由を鉢屋先輩に言えるわけがなかった。

「もー下ろしてくださいよ!」
「そうだよ、三郎。そろそろ勘弁してあげなよ」

不破先輩が私の肩を持って加勢してくれる。鉢屋先輩は「チッ」と舌打ちをするとクナイを取り出してそれを私に向かって投げた。さすがと言うべきか、クナイは見事縄を切って、私は地面に落とされた。

「いった!」

幸い地面は落ち葉でふかふかになっていて大して痛くはなかったけれども、それにしてももう少しマシな助け方はなかったものかと思う。不破先輩も「三郎!」と声を荒げた。

「前も一回言ったけど、もし顔に傷ついちゃったらどうするの。ちゃんはは女の子なんだよ?」
「元々こんな不細工嫁に取ろうとする男なんているのか?」
「三郎!」
「分かったよ、もし万が一のことがあったら俺がこいつを嫁にもらってやるよ。これでいいか?もっとも、俺がそんなヘマするはずねーけどな」

ズキンとまた心臓が痛んだ。

「…やめてください」
「え?」
「どうせ口だけのくせにそういうこと言うのやめてください!」

そう叫んで私はくるりと背を向けると廊下を走り出した。きっと鉢屋先輩には私がどうして怒り出したか検討がつかないに違いない。一瞬だけポカンとしたあと、何だったんだ?なんて言いながら大して気にも留めず次の授業へ向かうはずだ。

「鉢屋先輩なんてだいっきらい」

うそ、だいすき。思っていることと正反対のことを吐き捨てて走る。泣いているだろう今の顔を人に見られるわけにはいかないので、なるべく人気のない場所を目指して走る。自分の部屋に帰るのも駄目だ。友人にこの顔を見られたくない。見られれば友人は心配して理由を聞くだろう。今の私にはちゃんと説明するほど余裕がなかった。

校舎の裏まで来て、ようやく私は足を止めてしゃがみ込んだ。ここなら滅多に人は通らないだろう。そのときふと日が陰った。

「だーれが口だけだって?」
「は、はちやせんぱい…」

どうして鉢屋先輩がここにいるの?私を、追いかけてきてくれたの?

「泣いてるのか?」

そこでようやく私は泣き顔をばっちり見られてしまったことに気が付いた。鉢屋先輩が私の顔を覗きこもうとするから、私は慌てて顔を逸らした。もう遅いけれど、何でもないですと言ってこの場から逃げ出そうとすると、ふいに鉢屋先輩の手が伸びてきて袖で顔をゴシゴシと擦られた。

「ふが…!何するん、」
「悪かったよ」

鉢屋先輩が謝るなんて初めてのことで私は思わず顔を上げてしまう。

「冗談とはいえ、雷蔵がいる前であんなこと言って悪かった」

この人は根本的に誤解している、と思った。鉢屋先輩は私が不破先輩を好きだと思い込んでいるのだ。もっとも私自身もついこの間まで不破先輩が好きだと思い込んでいたのだから仕方のないことだけれど。それでも鉢屋先輩はきっと私が自分を好いているなんて思いもしていないんだろうな。そう思うとまたジワジワと涙が滲んできた。

「ちょ、何故また泣く!俺か?!俺が悪いのか?」
「ひっく、鉢屋先輩が、ひっく」
「うん」
「鉢屋先輩が〜〜」
「ゆっくりでいいって」

そう言って鉢屋先輩は私の頭をポンポンとやさしく撫でた。そんなことされると余計涙が止まらなくなる。

「やさしくしないでください」

勘違いしちゃうから。もっと、好きになっちゃうから。

「だいっきらいなんてうそです」

どうして素直に言えないんだろう。だけどこれが私の精一杯だった。きっと私なんかに好きと言われても鉢屋先輩にとっては迷惑に違いない。こんな風に泣く女は面倒くさいと思っているに違いない。今まで散々かわいくない態度を取ってきたくせに、今さら嫌われたくないと思うなんて。それでも私は目にグッと力を入れて涙を堪えた。

「泣きながらそんなこと言われても『好きです』って言ってるようにしか聞こえないけど?」

私が黙って返事をしないでいると、鉢屋先輩は「遅ェんだよ」と小さく呟いた。そして私をグイっと引き寄せて抱き締めた。私は何が起こったのか理解できなくて、ただ鉢屋先輩の服を濡らしてはいけないということばかり考えていた。

「お前いつだかいたずらするのは誰でもいいのかって聞いたよな」
「聞きましたけど」
「あれ半分本当で半分嘘」

瞬きをした目からポタポタと涙が落ちた。

「お前がいーの」

そう言って鉢屋先輩が私をギュウギュウ抱き締めた。いつだか竹谷先輩が言っていた『好きな子ほどいじめたくなる』という言葉を思い出した。まさか、鉢屋先輩に限ってそんなこと。「普段何しても泣かないくせに、俺が好きすぎて泣くって何。かわいすぎんだけど」これ以上は潰れてしまうと思った。

「わ、私鉢屋先輩の変装見破れませんよ?」
「それが何?」
「普通そういうの見抜いてくれる人を好きになるんじゃありませんか?」

いつどこで誰に変装していても自分だと分かってくれる人に惚れたりするものじゃないだろうか。自分を必ず見つけてくれる人がいいんじゃないのか。私は知らない人に変装した鉢屋先輩はおろか、鉢屋先輩と不破先輩の区別もつかないのに。

「俺はすぐ騙されてくれるお前がいーの」

俺の変装を見破るほど優秀なお前なんて想像できねーし、と鉢屋先輩がいつもの調子に戻って笑う。反論しようと鉢屋先輩の腕の中で暴れてみせたけれど、先輩の体はビクともしなかった。

「逃がさねーから」

鉢屋先輩が耳元で囁く。いつもより低い声にゾクリとした。

「俺はお前を離す気はないから。覚悟しとけよ?」

そう言って鉢屋先輩は私を抱き締める腕の力をさらに強めた。そこでようやく私はもうとっくに罠に掛かっていたのだと理解した。

(ゆるやかに落ちるダイヤモンド)