私は人を探していた。珍しく鉢屋先輩を探して、だ。いつもなら鉢屋先輩と顔を合わせるのは避けたいくらいだったが、昨日穴から助けてもらったお礼を言いそびれてしまったから早いうちに言っておこうと思ったのだ。でも鉢屋先輩が普段どこによくいるかなんて知らないので適当にふらふら廊下を歩いているとふいに声が聞こえた。

「三郎にだけは言われたくねーよ!」

これは竹谷先輩の声だ。笑い声もいくつか聞こえる。ということは一緒に鉢屋先輩もいるのだろう。丁度いい、早くお礼を言おうと思って声を掛けようとした次の瞬間、先輩たちの話している内容が聞こえた。

「じゃあ三郎の好きなタイプってどんなの?」
「俺のタイプはだな、こう小悪魔的な?大人のオネエサンが好きなの」
「あー、っぽい」
「それじゃなきゃ大人しくてかわいらしい大和撫子だな」

それを聞いて私の足は止まった。何かいけないことを聞いてしまったようで、それを聞いたことを誰にも知られたくなくて、動けなくなった。彼らにとってはただの雑談で、私が聞いたところで困りはしないと分かっていたのに。ズキリズキリと胸の奥が鈍く痛んだ。何これ、何これ。自分がおかしくなってしまったみたいに思えた。

「で、雷蔵、お前は?」
「え、それ僕にも聞くの?うーん、そうだなぁ…」

そのあとの先輩たちの声は聞こえなかった。私がそれどころじゃなかったと言った方がいい。心臓が痛くて、息をするのが精一杯で、とりあえず早くこの場から離れたかった。くるりと振り返って一歩二歩と歩き始めると足は自然と速まった。いつの間にか駆け出していた。元来た廊下を引き返してどこへ行くか考えていなかったが、体調が悪いのだから保健室へ行くべきだと思った。

「善法寺せんぱあああい!」

叫びながら保健室に飛び込む。扉を壊す勢いで開けると保健委員長が目を丸くしていた。

「え、何、慌ててどうしたの?」
「…心臓が痛いんです」
「え、心臓?それは大変だよ!」
「心臓と言うか、胸のこの辺が痛いんです。息すると痛い」
「それじゃあ肺?あ、もしかしたら肋骨が折れてるのかも。心当たりは?」
「ありません」
「とりあえずそこに横になって」

言われた通りに敷かれた布団に横になる。善法寺先輩は一応私の熱を測ってみたりしながら「困ったなぁ」と呟いた。

「新野先生はたった今出掛けてしまったんだよ。今から追いかければ追いつくだろうから少し待っていてくれるかな」

私が余程不安そうな顔をしていたのだろう。善法寺先輩は微笑んで「大丈夫だよ」と私の髪をくしゃくしゃと撫でてくれた。

「すぐ戻ってくるから。ちゃんと他の保健委員を呼んでから行くし」

そう言って善法寺先輩は最後に私の頭をポンと軽く叩くと保健室から出て行った。わざわざ新野先生や他の保健委員を呼びに行ってもらって悪いなぁと思いながら布団を口元まで引き上げる。

そのとき廊下から足音が聞こえた。

善法寺先輩が呼んでくれた保健委員だろうか。乱太郎くんかな。でもそれにしては足音が重いからもっと上級生、三年生の数馬くんあたりかな、と検討をつける。

「かずまく、」
「あれ?お前なんでこんなところで寝てんの?」
「鉢屋先輩…」

ガラリと戸が開いて現れたのは保健委員ではなくて鉢屋先輩だった。なんてタイミングが悪いんだろうと思う。どうして私が寝ているときに保健室に来るんだろう。鉢屋先輩が入ってきた瞬間、またズキンと心臓が痛くなった。

「何、お前具合悪ぃの?風邪か?熱は?」

鉢屋先輩の手がすぅっと私に伸ばされる。ズキンズキンと痛みが段々強くなる。パシンと乾いた音が響いた。

「あ、」
「何すんだよ」

とっさに払いのけてしまっていた。鉢屋先輩は驚いた顔をしたけれどもそれも一瞬で、すぐに不機嫌な表情に変わった。ああ、怒らせてしまった。

「…熱とか、ありませんから。本当大丈夫ですから放っといてください」
「何ともないならなんで保健室で寝てるんだよ」
「鉢屋先輩には関係ないことです」

鉢屋先輩の視線に堪えられずに頭から布団を被る。どうしてだろう、さっきよりも胸が痛い。息をするのも苦しい。早く善法寺先輩戻ってきて。早く新野先生を連れてきて。早く私を元に戻して。一体私はどうしちゃったの?もしかしてものすごく重い病気に罹っちゃったの?それとも知らない間に誰かに毒を盛られてしまったの?

「…悪かった。俺が勝手に心配したいだけだ」

今喋ったのは誰だっただろう。驚いて被っていた布団を跳ね除けるとそこにいたのはやはり鉢屋先輩だった。他には誰もいない。もしかして鉢屋先輩に変装した誰か?いや、誰かに変装するのは鉢屋先輩だから、鉢屋先輩本人に決まってる。でもあの鉢屋先輩がこんなこと言うだろうか。

「バカでも風邪引くのかと思ってな」

そう言っておでこを弾かれた。「いだっ!」と声を上げると「はは」と鉢屋先輩が楽しそうな笑いをもらす。もういつもの鉢屋先輩だった。

「ばかじゃないです」

いつもみたいに反論しようとしたけれども、そんな元気はなくて結局弱々しい中途半端なものになってしまった。それでも鉢屋先輩は気にせず「なんだ、大丈夫そうだな」と言うと人を馬鹿にした笑いを残して行ってしまった。一体何だったんだろう。あの人は一体何のために保健室に来たのだろう。怪我をした様子でもなかったし、まさか私を馬鹿にするためだけに来たのだろうかと考えていると再びスッと戸が開いて、今度は新野先生と善法寺先輩が入ってきた。

「思ったより早く追いつけてね。大丈夫だった?」

と善法寺先輩が説明をしてくれた。そうしている間に新野先生はてきぱきと熱を測ったりして私を診てくれた。

「顔も赤いし目も潤んでいるけど熱はないみたいですねぇ」

一通り診終わってから、おかしいなぁと新野先生は首を傾げた。もしかして校医の新野先生でも分からないほどの重病、もしくは奇病なのだろうか。

「まだ胸は痛いですか?」

そう聞かれて初めてもうすっかり痛みが引いていることに気が付いた。一時はあんなに痛かったのに今はほとんど痛くない、否、痛みは完全にどこかへ行ってしまっていた。「もう、今は痛くないです」と答えれば新野先生はより一層困った顔をした。

「とりあえず薬を飲んで部屋で安静にしていれば大丈夫でしょう」
「彼女の同室の者を呼んできます」

そう言って善法寺先輩は出て行った。探すのに時間がかかるだろうなと思ったけれど、部屋にいたのか、その辺にいたのをたまたま見つけたのか、案外すぐに戻ってきた。

「どうしたの、大丈夫?立てる?」
「うん」
「肩貸すから掴まって」
「ありがとう」

もう普通に立てたけれど素直に友人に肩を貸してもらって、善法寺先輩と新野先生にも「ありがとうございました」とお礼を言って保健室を後にする。騒がせちゃったからあとで何かお礼を持って行った方がいいかななんて考えながら廊下を進む。

「もう、一体どうしちゃったの?原因不明なんだって?」

心配してくれた友人にとりあえずことのあらましを説明する。もしかしたら鉢屋先輩の術の可能性もあったので、関係ないと思われる部分まで説明した。鉢屋先輩がいるところで心臓が痛くなって、保健室に鉢屋先輩が来た途端痛みが増したのだからこれは有力な線だった。いつもみたいに私は鉢屋先輩にいたずらされたのかもしれなかった。

「完全に鉢屋先輩が原因ね」
「やっぱ?で、鉢屋先輩は一体私に何の術を…」
「そりゃあんた、鉢屋先輩のことが好きなのよ」

とんでもない答えが返ってきた。

「鉢屋先輩が好きで、鉢屋先輩が口にしたタイプがどっちも自分に当てはまらなかったから傷ついてんの」

「簡単な話よ」と彼女は私を諭すように立てた人差し指を振りながら言った。鉢屋先輩が好きなのよ、と先程の彼女の言葉がリフレインする。

「え、え?!」
「私は最初から分かってたけどね」

どこか得意気な顔をしながら彼女は言う。

「鉢屋先輩ってあれで結構人気あるのよ、知ってた?文武両道で天才だし。六年に鉢屋先輩に猛アタックしてる先輩がいるらしいからうかうかしてたらその人に取られちゃうわよ」

ズキン。またさっきの痛みが戻ってきた。おかしい、どうしてこのタイミングで痛くなるの?これじゃあまるで―――

「どう?今、心臓痛かった?」
「…痛かった」
「それが証拠」

まるで嫉妬しているようじゃないか。私が鉢屋先輩を好きみたいじゃないか。

「でも私は不破先輩が…」
「あんた自分で不破先輩はただの憧れだって言ったじゃない」
「うん、そうだけど…」
「じゃあ、不破先輩とすっごい仲良い先輩がいるの知ってる?」
「知ってる。お似合いって有名だよね」

不破先輩と仲の良いくのたまの先輩がいるのは有名な話だった。成績優秀で優しい彼女は不破先輩とまさにお似合いで、まだ付き合っていないのが不思議なくらいだ。ふたりがいつ付き合いだすのかは私たち女子の間で関心の的だった。知らないわけがない。

「そのふたりが一緒にいるとこ想像してさっきみたいに心臓痛くなる?」
「…ならない」
「じゃあやっぱり不破先輩は憧れよ」

私は不破先輩が好きで、でも好きになった不破先輩は鉢屋先輩だったかもしれなくて。じゃあやっぱり私は鉢屋先輩が好きなのだろうか。あのいじわるな先輩を好き?ああ、でも鉢屋先輩にもいいところはあって。

「わかんないよ…」

この胸の痛みが何なのか誰かに教えてほしかった。