今日も私は穴に落ちていた。

断じて好きで落ちているわけじゃない。そしてまた足首を捻っているのもわざとやったわけじゃない。というか好んで捻挫する人間なんているのだろうか。そして穴はまたもや芸術的に深く綺麗に掘られていて這い上がることが出来なかった。

ズキンズキンと痛む足首のことを考えないようにしながら、ああ、また不破先輩が助けに来てくれないかな、なんて思っているとふいに声が頭の上に降ってきた。

「また落ちてんのかよ」

不破先輩と同じ顔だったけれど、それは鉢屋先輩だった。嫌な人に発見されてしまったと思ったけれど、ここは発見されただけ良かったと神様に感謝すべきだと私は思いなおした。

「お前本当穴に落ちるの好きなんだな」
「誰が好きで落ちてるもんですか!この穴掘ったの鉢屋先輩ですか?!」

こんなことする人間は大体限られている。私を落とすことを狙って仕掛けた鉢屋先輩か、四年の穴掘り小僧かのどちらかに決まっている。

「いや、違う」
「じゃあ綾部か!」

あいつ今度こそ絶対締める!と怒りを露わにすると「あ、それ掘ったのやっぱ俺」と鉢屋先輩はあまりにもあっさりと前言撤回をした。やっぱり鉢屋先輩じゃないか!

「見てないで早く助けてくださいよ!」

そう言うと鉢屋先輩はやっと手を伸ばしてくれた。その手を掴むと思っていたよりも強い力で引っ張られて、私はあっさりと穴から出ることが出来た。けれども予想以上に勢いがあったせいで捻った足まで地面についてしまって思わず小さな悲鳴を上げた。

「いたっ…!」
「どうした、足でも捻ったのか?」

崩れるように地面に座り込んだ私に鉢屋先輩が素早く反応する。スッとしゃがみ込んだ鉢屋先輩の表情はいつものふざけたものと違ってひどく真剣だった。

「見せてみろ」

腫れてるな、と小さく鉢屋先輩が呟いたのでつられて視線を落とすとそこには赤黒く腫れた足があった。自分の足とはいえ、見たいものではなかった。

「痛いか?」

そう言って鉢屋先輩の手が私の足に触れる。私のものとは違う、大きくて骨ばった手だった。痛いかと聞いてはいたが鉢屋先輩の指先は私の足首に触れるか触れてないか分からないくらいやさしく撫でていた。こんなのでは押して痛いとか痛くないとか分かるはずがなかった。先輩も私の答えを待っていたわけではないようだった。

「痛く、ないです」
「そうか」

本当はジンジンと熱を持ったように痛みが広がっていくようだったけれど嘘をついた。でも多分鉢屋先輩はちゃんと本当のことを分かっていたと思う。こんな風に腫れていてまったく痛みを感じないわけがないのだ。いつだかの同じ様に怪我したときよりもずっとひどい痛みだった。

「骨は大丈夫そうだな」

普段からは想像出来ないくらい鉢屋先輩はやさしく私の足に触れる。そっと、なるべく痛みを感じないように静かに私の足を置き、手早く応急手当をする。上手いなぁと感心していると、鉢屋先輩はくるりと背を向けてしゃがみ込んだ。これはまさか、と思っていると案の定鉢屋先輩は「ん」と私を促した。

「ほら、乗れ」
「でも…」
「その足でひとりで歩いて帰れるなら別にいいけどな」

その姿が以前の不破先輩と重なった。鉢屋先輩の態度は不破先輩とは明らかに違うものなのに、何故かふたりの姿が重なる。まぁ鉢屋先輩が不破先輩の顔を借りているのだから当たり前と言えば当たり前だけれど、そうではなくて、以前不破先輩に助けてもらったときと同じ対応なのだ。やさしく触れる指も、差し出す背中も。

「…しつれいします」

そろりそろりと鉢屋先輩に体重を預けると、いとも簡単に体が宙に持ち上がった。それも、同じだ。

「…鉢屋先輩って何だかんだでいい人ですよね」
「は?」
「だから、鉢屋先輩もたまには良いところある、と言っているんです!」
「…別に無理しなくてもいいんだけど」

自分でも唐突に何を言っているんだろうと思った。鉢屋先輩が不審に思うのももっともで、何故こんなことを言い出したのか自分でもよく分からなかった。

「確かに鉢屋先輩は素直じゃないしいつも私に嫌がらせばかりしてきますけど、変装は六年生より上手いですし、実技の成績も良い、普段から周りに気を遣っているの分かりますし、委員会とかで後輩の面倒をよく見ていますし、他にも」

ふいに鉢屋先輩が足を止めた。何だろうと疑問に思ったが鉢屋先輩は何も言わない。

「どうかしましたか」
「なんつーか意外で。お前俺を目の敵にしてんじゃねーの?」
「し、してますよ!でもそれと鉢屋先輩の良い面があることは別です」
「俺には分からん」
「分かんなくていいです!」

自分でもよく分からない。それを鉢屋先輩が分かるとは思っていなかった。むしろ分かったらびっくりだ。

「だから、ありがとうございます」

結局私はこれが言いたかったんだと思う。随分と遠回しな言い方だと笑ってしまう。いつだか不破先輩が鉢屋先輩の優しさは分かりづらいと言っていたけれど、その通りだと今の私には理解できた。

鉢屋先輩のやさしさは不破先輩とはまた違ったやさしさなのだ。

そこで唐突に、鉢屋先輩は私の前で不破先輩の振りをしてからかったことはなかったことを思い出した。私の前で鉢屋先輩はいつも鉢屋先輩だった。いつも私をからかういじわるな先輩だった。

だから私は鉢屋先輩と不破先輩を見分けることは出来ないのだ。

きっとふたりが黙っていたらどっちがどっちだか分からないに違いない。もちろん鉢屋先輩が本気で不破先輩の振りをしたら私はそれを不破先輩だと思って疑わないだろう。

「ふわせんぱいと同じにおいがする」

小さく鉢屋先輩の肩が揺れた。私は思い切って鉢屋先輩の髪に顔を埋めてみる。なんだか心地良かった。そこから先、鉢屋先輩は一言も喋らないまま保健室まで私を運んだ。