この日私は図書室に来ていた。特にすることがあったわけではなく、暇だったからたまには図書室で本を読もうという軽い気持ちで図書室の扉をくぐる。面白そうな本はないかなーと本棚を見ていると、「ちゃん」と私を呼ぶ声がした。後ろには確か貸し出しカウンターがあったはずだ。
「今日は図書室でお勉強?」
「不破先輩!」
弾んだ声を出してからもしかして鉢屋先輩も近くにいるんじゃないかと身構えてきょろきょろ辺りを見回すと不破先輩は笑って「今日は三郎はいないよ?」と言った。不破先輩は図書当番でここにいるのだから当たり前といえば当たり前の話だった。
「そういえばちゃんとこうしてふたりきりで喋るのって初めてだよね」
そう言って不破先輩は微笑んだ。確かによく考えてみれば不破先輩とふたりきりというのは初めてだった。あまりそんな気がしないのはきっと鉢屋先輩のせいだ。
「いつも大体鉢屋先輩も一緒にいることが多いですからね」
不破先輩と会うときは必ず鉢屋先輩も一緒だった――あの日以外は。不破先輩はそこでふっと笑みを零すと「ねぇ、」と私に問いかけた。
「ちゃんは三郎のことが嫌い?」
「嫌いと言うか、好きではないです。いつも嫌がらせばかりしてきますし。優しい不破先輩と違っていじわるです」
「僕だってそんなに優しいわけじゃないけど…。三郎だって優しいよ?」
「そうですか?私にはそう思えませんけど」
「三郎の優しさは分かりづらいから」
「私は鉢屋先輩に優しくされたことなんてないですよ。もしそうならきっとその優しさは私以外の人に使われているんですね」
もし鉢屋先輩が優しいのだとしたら、その優しさはとても分かりにくいように思えた。鉢屋先輩が不破先輩のように素直に親切を振りまいているところなんて想像出来なかった。
「僕には三郎はちゃんのこととても大切にしているように思えるよ」
「えー、あれでですか?ありえないです」
そう言って苦笑してみせる。絶対鉢屋先輩は私のことをよいおもちゃだと思っているに違いない。大切にしているとしたらそれはおもちゃとしてで、人間として大切にしているわけではないと思う。それでも鉢屋先輩のいたずらには悪意がないことだけは分かるから冗談として我慢できる。私をからかって遊んでいるだけだから迷惑だけど嫌じゃない。
「まぁ、たまには普通に良いところもありますけど…」
悪いところばかりではない。それは確か。絶対に不破先輩の方がやさしいと思う。百人に聞いたら百人がそう答えるだろう。
「前に私が落とし穴に落ちたとき不破先輩助けてくださりましたよね」
「え、何それ?」
不破先輩がきょとんとした顔で返す。私が「え?」と声を発する前にガラリと勢いよく扉が開く音がした。驚いてそちらを見ると青紫の制服に身を包んだ生徒が立っていた。
「おーい、雷蔵。職員室で先生がお前のこと探してたぞ」
不破先輩が振り返ってその人に「本当?」と返事をする。
「ごめんねちゃん、また今度」
そう言って不破先輩は立ち上がり図書室から出て行った。すると今まで不破先輩の体で隠れてよく見えなかった入り口に立っている彼の顔が確認できた。それは相手も同じ様で彼も私の姿を認めてパチパチと数度瞬きをするとすぐに明るい笑顔を浮かべて
「!」
と私の名前を嬉しそうに叫んだ。静かだった図書室にその声は不釣合いに大きくて、室内の視線が一気にこちらに集まるのが分かった。
「と、図書室では静かにしてください…!」
慌てて彼を押し出すようにして図書室から廊下に出る。図書室に中在家先輩がいなくて良かったと安堵しながら、図書室の戸を後ろ手に閉める。それでも彼は全く気にしていないような笑顔を私に向けてきた。
「三郎と一緒じゃないんなんて珍しいな」
「何か誤解のある言い方やめてください!えっと、タケヤ先輩?」
「お!俺の名前知っててくれたんだなー」
「鉢屋先輩や不破先輩とよく一緒にいる方ですよね」
直接喋ったことはないけれども、鉢屋先輩たちと一緒にいるところと遠目で見ているし、竹谷先輩は生物委員長代理としても有名だった。むしろ竹谷先輩が私の名前を知っていることの方が驚きだった。まぁ大方鉢屋先輩が私がいたずらにひっかかった様を面白おかしく話して聞かせたのだろうと予想は付いた。
「三郎のやつちゃんのこと全然俺らに紹介する気なくてさー」
「ずっと会ってみたかったんだ」と竹谷先輩はニカッと笑った。言っている意味は分からないがこれが噂のタケヤスマイルかぁと感心してしまった。しかしどうして鉢屋先輩が私を竹谷先輩たちに紹介しなければならないのだろう。紹介するほどの人物ではないと思うのだけれど。
「三郎に随分気に入られてるみたいじゃん」
「はぁ…。気に入られてるというか、いいターゲットというか」
「それって好きな子ほどいじめたくなるってやつだよなー」
「ぶっ…!」
竹谷先輩の突飛な言葉に思わず噴いてしまった。好きな子って何?まさかとは思うがそれは私のことを指しているのだろうか。一体どこをどんな風に見たらそう思えるのだろうか。
「それ本気で言ってるんですか?ありえないですよ」
「あれ?違った?」
「違いますよ!」
もちろん私には鉢屋先輩の考えていることなんて理解出来ないけれども、それだけは断言出来ると思った。そもそも鉢屋先輩はそんなに子どもっぽくないと思う。当然、私より先輩なのだから当たり前だろうけど、何となく鉢屋先輩が好きな子をいじめてしまうというのは似合わないような気がした。何でも要領良くやってしまう鉢屋先輩は女の子を落とすにしてももっと効率の良い手段を取るに違いない。
「きっと鉢屋先輩はそんな人じゃありませんよ」
「そっかぁ?」
竹谷先輩には一体鉢屋先輩がどんな風に映っているのだろうと思っていると、
「ちゃんかわいいからありえると思うけどなぁ」
とんでも発言が飛び出した。一体竹谷先輩には私がどんな風に移っているのだろう。こんな風に面と向かってかわいいと言われたのは初めてでどんな反応をしたらいいのか分からない。こんな風にさらりとお世辞を言えるとは恐るべしタケヤスマイルだと思った。
「そんなことないですよ」
とりあえず無難な答えを返すと、そのとき竹谷先輩の向こうから「竹谷、」と声がした。竹谷先輩がギクリと体を強張らせゆっくりと振り向く。「やぁ、三郎」噂をすればなんとやら、だ。鉢屋先輩の瞳が私を捉えた。
「…何でお前らが一緒にいんの?」
「えっと、三郎、これはだな、今さっきたまたま会って!」
「ふーん」
何故か竹谷先輩は慌てて弁解するような口調で言う。それに対して鉢屋先輩は興味なさそうに返事をする。このふたりって仲良いんじゃなかったっけ?と思いながら鉢屋先輩を見上げていると、ばっちり目が合ってしまった。
「何見てんだよ」
鉢屋先輩の手が伸びてきたかと思うと、左頬をつままれ、ぐいーっと横に引き伸ばされた。
「いひゃ、なにひゅんれすか」
「はは、ぶっさいくな顔」
「おーおーよく伸びる」と鉢屋先輩は私の右頬もつまんで引っ張る。どう考えても遊ばれている。それなのに竹谷先輩は「やっぱり仲良いなー」と暢気に
笑っていた。