「っ!」
と友人の弾んだかわいらしい声に何の疑問もなく「なに?」と振り返るとそこには犬の顔があった。いや、正確には犬の顔を引っ付けた人間がいた。
「ぎゃあ!」
「どうしたの、?」
「あ、あ あ…」
驚きすぎて声も出せずにいると、人面犬ならぬ犬面人はなおもかわいらしい女の子の声で話しかけてくる。その犬の顔はリアルだ。だけれども人間の顔と同様の大きさ。人間のように表情が変化する。今はまるでその友人がよくするようなあどけない表情だ。まるで人間がそのまま犬になってしまったかのような。え、何これ、あの子が犬になっちゃったの?呪い?っていうか何で。そんなことをぐるぐる考えていると、その犬は突然「ふ、」と笑った。
「ふ、はは…!」
途端にその犬の顔は大きな口を開けて笑い出した。そこには先程まで見えた女の子の欠片さえない。そこで私はハッとあることに気が付いた。その声に聞き覚えがあったのだ。
「は、ちやせんぱい…?」
「ご名答ー」
そうすると犬の顔が破れてその下から見慣れた鉢屋先輩にニヤニヤ笑いが現れた。「間抜け面だな」
「お前この手に何度引っかかれば気が済むんだよ。猫の顔でも同じことやったぞ」
確かにやられた覚えはある。あるけれども、それはもう何年も前のことでとっさに記憶の引き出しから出てこなかっただけであって!決して私が成長していないというわけではないと思う。そもそも変装名人と言われる鉢屋先輩の変装はどうみても犬の顔にしか見えなかったわけで。四年生である私が突然のことで驚いてしまってもある程度仕方のないことだと思う。
「っていうか、鉢屋先輩も同じことを何度も繰り返してよく飽きませんね!」
「まぁな」
「そもそもなんで私にばっかり悪戯するんですか」
「いちいち驚いてくれて楽しいから」
なんてことをさらりと言う。
「驚いてくれる人なんて他にもいっぱいいますよ」
「ダメだ。例えば竹谷に同じようにこの顔で振り返ったとするだろ?すると竹谷は『わぁ犬じゃないか!』と喜んで俺の顔をわしゃわしゃ撫でる。それだと俺は楽しくない」
私はその竹谷先輩の姿を想像して、さもありなんと思った。確かに竹谷先輩はこういうことやりそうな人物だ。竹谷先輩と話したことはないけれども、鉢屋先輩たちと一緒にいるところを遠目で見たことなら何度もある。少し見ただけでもそういう雰囲気が伝わってくる人だった。
「ああ、竹谷先輩は生物委員で動物好きそうですからね…」
「それに比べお前は何でも驚くからな。罠にも簡単に引っ掛かるし」
「ば、馬鹿にしているでしょう…!」
「事実を言っているだけだ」
そう言ってさも楽しそうに笑った。何なんだこの人は。先輩のくせに暇なんだろうか。いや、きっとこうやって人をからかって回ることを趣味にしている人なのだ。なんて傍迷惑な先輩だろう。
「それにしたって私じゃなくたっていい訳でしょう」
「お前以上に面白いやつがいるならな」
そんなに私の反応は面白いだろうか。自分では普通だと思うのだけれど。面白い反応だったら一年は組の子たちの方が絶対面白いと思う。鉢屋先輩の感性はよく分からない。絶対人とずれてる。
「もう、相手にしてられません」
そう言ってくるりと背を向けて歩き出す。けれども後ろから足音がついてくる。
「どうしてついてくるんですか!」
「ばーか、俺もこっちに用があるんだよ」
そう言われてしまっては黙るしかなかった。私が先を歩こうと速度を上げると鉢屋先輩もそれに合わせるかのように歩く速度を上げる。私がさらに速度を上げると、先輩もさらに上げる。気が付くとふたり並んで歩く早さを競い合っていた。
途中「おい、三郎、」と鉢屋先輩を呼ぶ声がしたけれども鉢屋先輩はそれを無視した。
「今誰かが鉢屋先輩のことを呼んでいましたよ。行かなくていいんですか」
「どうせ大した用事じゃないからいいんだよ」
「じゃあ鉢屋先輩はこっちに一体何の用があるっていうんですか」
「お前に教える義理はない。お前こそ本当にこっちに用事あんのかよ」
「そっくりそのまま同じ言葉をお返しします!」
いつの間にか校舎の端まで来ていた。言い争いをしながらかなりのスピードで歩く、というよりはほとんど走ってきたから息が切れる。隣を見るとやっぱり鉢屋先輩はついてきていた。
「やっぱりついてきてるじゃないですか」
「つーかここどこだよ」
「あいつら何やってるんだ…」