、町に出来た新しい茶屋の話聞いた?」
「誰かが話してた気がするけど、詳しくは知らない。何?」
「そこのお団子すっごいおいしいんだって。今度行こうよ」
「本当?行く行く!」

友人とそんな他愛のない話をしながら私は廊下を歩いていた。すると前方の角から見知った横顔が見えて思わず私は「あ、」と声を上げてしまった。

「あ、不破せんぱい」

と呟いてからその後に続いて角から姿を表した姿を認めて私は「と、鉢屋先輩」と苦々しく小声で付け足す。不破先輩とは話したい、けれどもそうすると当然彼の隣にいる鉢屋先輩を無視することは出来ないだろう。私はふたつを天秤にかけて結局は面倒事を回避する方に心を傾けた。なるべく、出来ることなら関わらない方がいいのだ。鉢屋三郎という男には。

それでもすれ違うのにさすがに不破先輩まで無視することは出来なくて、軽く頭を下げて通り過ぎようとした。が、足が何かに突っかかってその場で派手に転ぶこととなった。

「う、わぁ!」
「え、ちゃん?!どうしたの?!」

不破先輩が振り返ってこちらに声を掛ける。そのこと自体は私にとって嬉しいことだったけれど、出来ればこんな格好悪く顔を床に打ち付けている場面を見られたくはなかったと思った。隣を歩いていた友人も「わ、大丈夫?」と驚いた声を上げている。しかし私にはどうしてこんなことになったのか原因は分かっていた。普通こんな何もないところで転んだりしない。そう、普通は。顔面を襲う鈍い痛みに耐えながら私は上半身を起こし、真横にたってこちらを見下ろしている人物をキッとにらみつけた。

「鉢屋先輩!今わざと足を掛けたでしょう!」
「何のことだ?」
「シラを切るつもりですか!」
「お前がボーっと歩いてるからいけないんだろ」
「ほーら、今認めましたね!」
「それよりもお前鼻血出てるぞ」

それを聞いて私は慌てて鼻を押さえる。そんな鼻血を垂らした姿を人前に、しかもよりによって不破先輩に見られたのかと思うと恥ずかしくて消えてしまいたくなる。しかし袖で拭ってみても、血の感触はなく、そもそも鼻血特有のツンとした感じが全くない。変だと思っていると、目の前の鉢屋先輩がにやにやと笑っているから嫌な予感はした。

「うっそー」
「〜〜っ!さいってーです!」
「お前が騙されやすすぎる」
「違います!鉢屋先輩の性格が悪すぎるんです!」
「いや、お前がバカなだけだろ」

お前この手に引っかかるの何回目だよ、と言われてしまえば私はグゥと答えを詰まらせるしかなかった。確かにこうして廊下やら食堂やらその他の場所でも彼に足を突っかけられたことは何度もある。その度に私は見事に転んでいたのでそう馬鹿にされても仕方ないかもしれない。でも、それは鉢屋先輩が故意に足を出したりしなければ良いことなのだ。釈然としなくて、でも反論することも出来なくて、私はひたすら屈辱に耐えながら、鉢屋先輩を睨み続けることしかできなかった。それでも何か文句を言わなければ気がすまないと口を開こうとした瞬間、「まぁまぁ」と不破先輩が私達ふたりの間に入った。

「まぁまぁ三郎もちゃんも落ち着いて」

「ね?」と困ったような笑顔を向けられれば私は黙るしかなかった。不破先輩にそんな風にお願いされたらどんなに不本意なことでも頷かないわけがない。

「三郎もちゃんにあんまりいじわるしないの。もし怪我でもしちゃったらどうするの」

そう不破先輩にいさめられ、鉢屋先輩が不本意そうな顔をしながらも口を閉じたのを見て私は少し優越感を覚えた。そして不破先輩が私のことを心配してくださったんだ、と嬉しく思った。

「そうだな。ただでさえ嫁の貰い手が見つかるか怪しいからな」
「ちょっと鉢屋先輩、それどういう意味ですか!」
「三郎、そういうことじゃなくって!」

不破先輩はそう言って再び間に入ったが、何かを諦めたのか「もういいや、行こう。授業に遅れる」と言って鉢屋先輩を先に促した。鉢屋先輩は一瞬で私に対する興味を失ったかのように「そうだな」と言うとあっさりこちらに背を向けて歩き出した。

「じゃあね、ちゃん」

不破先輩は笑顔とともにこちらにひらひらと手を振って、それとは反対に鉢屋先輩はこちらと目を合わそうともせず、ふたりは去っていった。私も不破先輩に対してだけ「はい!」という返事と笑顔を持って別れを告げた。ふたつの背中が廊下の角を曲がって完全に見えなくなるまで私は手を振っていた。すると私が手を振るのをやめるのを待っていたかのように隣に立つ友達が口を開いた。

「仲良いんだね。あれがこの前言ってたの想い人?」
「え、ななな、何言って?!」
「えっと、はちや先輩、だっけ?喧嘩するほど仲が良いってやつ?」
「絶対ありえない!」

てっきり不破先輩とのことを言っているのだと思い照れながらも否定の言葉を口にしたが、そのあとに続く言葉を聞いてきっぱりと断言した。今のやりとりの中でどこをどう見たら私と鉢屋先輩の仲が良いと解釈出来るのだろう。鉢屋先輩とはほとんど喧嘩していたというのに。

「ありえないんだ?」
「ありえないよ。そうじゃなくて、私が言ってたのは、ふわ、せんぱいで…。それも好きとかそういうのじゃなくて、ただの憧れの先輩ってだけで」
「へぇ?」
「もう、この話はあとで!私達も授業行かないと遅れるよ!」

好奇で目を輝やかせている友達の視線に耐えられずに会話を無理矢理終わらせて、先ほど先輩が去ったのとは反対の廊下を歩き出す。「あとでちゃんと聞かせてもらうからね」と後ろから聞こえてくる友達の声は都合よく聞こえなかったふりをした。先ほど向けられた不破先輩の笑顔を思い出しては緩んでしまう口元を隠すため私はずんずんと廊下を歩いた。そしてあの日のことを 回想する。