蝉は長い時間鳴くことをやめた。正確にはやめたのではなく、鳴けなくなったのだった。最初は鳴くことだけが蝉の存在意義のようなものであったのに、今はただ樹木に引っ付いているただの虫となっている時間の方が多かった。蝉はもう一度少年に会いたいと思った。

その願いが届けられたのか今日も少年はやってきた。

しかし少年はひとりではなかった。ひとりの少女を連れていた。もちろん少年はいつでもひとりきりというわけではなかったし、蝉が知らないだけで少年に友人というものが沢山いるのだろう。しかし、蝉のいる木の下まで連れてきたのは初めてだった。そう、その少女は蝉のすぐ近くまでやってきたのだ。少年に手を引かれて。

蝉はその繋がれた手を凝視した。正確には少年が少女の細い手首を掴んでいるのだった。

少年が木の根元で立ち止まって振り返り、少女と対峙する。少女はぱちくりと目を瞬かせた。少年は一度口を開いたが、すぐに閉じて、また少女を見つめた。少女はこれから何が起こるのか分からない様子で少年の言葉を待っている。

蝉は鳴き声上げたかった。しかし何故だかその声はまたすぐに途切れてしまった。ここ数日そのようなことは何度も起きていたが、鳴き始めてこんなにすぐに途切れてしまうことは初めてだった。

」と少年が呟いた。蝉は一瞬自分のことかと思い、ジジジと鳴いて返事をした。しかしそれは蝉に向けられたものではなかった。いくら蝉でもそれくらいは分かった。少女が長い髪をなびかせてくるりと振り向き、「なぁに?」と鈴の鳴るような声で言ったからだ。少年がその少女を真剣な目で見つめて逸らさなかったからだ。



少年はもう一度その名を呼んだ。おそらく少女の名前を。一度少年が自分に付けたという名前はきっとこの少女のものから取ったのだろうと蝉は悟った。名前を呼ばれた少女はまた『なぁに?』と言うかのように小首を傾げた。そして少年の目を覗き込む。

「俺、に言いたいことがあるんだ」

蝉は大きな声で鳴いた。ここ数日で一番大きな声だった。まるでその少年の声を自分の声で掻き消そうとするかのように。少年の声をその少女の耳に届かせまいとするかのように。もうほとんど出ない声だったが、それでも蝉は懸命に鳴いた。きっと少年にはこの声は聞こえていなかった。

。俺、きだったんだ

丁度そこで蝉の意識は一度途切れた。そのあとに続く言葉を蝉が聞くことはなかった。蝉の体が樹木から離れ、ぽとりと地面に落ちた。