「勘ちゃん!」

後ろから懐かしいあだ名が聞こえてきて思わず振り返った。勘ちゃんとは一年の頃の俺のあだ名だった。でも、今ではもう滅多にそれで呼ばれることはない。それでも振り向いてしまったのは反射としか言いようがない。そこにはがいい笑顔で立っていた。

「か、かんちゃん?!」

上ずる声で聞き返す。聞き間違えでありますように。そう願ったのに目の前に立つはにこにこと笑ったままだった。

「実習お疲れさま!これ良かったら使って。それじゃあ」
「え、ちょ、待って、」

俺に手拭いと水を押し付けて、そのまま笑顔で去ろうとするを慌てて引き止める。腕を掴んだりしなくったって、は俺が一声掛ければすぐに振り返った。

「なぁに?」

何って、どうしてがここにいるのとか、この手拭いと水は何とか、色々言いたいことはあるけれど、とりあえず

「その勘ちゃんって何?」
「友達なんだから愛称で呼んだ方がいいと思って。嫌だった?」
「そういう問題じゃなくて、えっと、」

女子の間では仲良い者同士愛称で呼び合うことはよくあることだと思うけれど、どうして俺まで?っていうか、勘ちゃんって、子どもっぽくないか?それ俺のガキの頃のあだ名だし。普通に恥ずかしいんだけど。それらをどうやって伝えようかとぐるぐる考えているとはそわそわして、「ごめん」と言った。

「次授業あるからもう行かなきゃ。また放課後ね!」

そんなに時間がないんだったらどうして俺のところに来たんだよ。っていうか、くのたまは次の時間教科っぽいけどここから教室まで走って間に合うのか?あいつ走るのあんま早くないな。なんとなく今にも転びやしないかとはらはらする。っていうか放課後また会いに来るつもりかなんて、両手に手拭いと水を持っての揺れる髪を見ながらぼんやりしていると「ひゅーひゅー」とからかうような声が聞こえた。

「勘右衛門も隅に置けないねェ」

はっとして振り返るとそこには三郎がにやにやとした顔を引っ付けて立っていた。まるで新しいおもちゃを見つけたような顔。その後ろには雷蔵もハチも兵助も全員揃っている。

「授業の合間にわざわざ差し入れですか。お熱いことで」
「え、何、今の勘右衛門の彼女?!お前いつの間に…!」
「違うって!」

ハチが「裏切り者!」と俺の肩を掴んでガクガク揺らす。彼女じゃないっつーの!話を聞け!

「つか、今の子だれ?」
「知らね」
「確か同じ五年のさんじゃない?たまに図書室で見るよ」

兵助の問いに雷蔵が答える。雷蔵は図書委員だから見たことあったのかぁと思ったあと、「図書室ぅ?」と思わず聞き返してしまった。なんとなくみたいな騒々しいやつが図書室にいるところが想像できなかった。けれど雷蔵は「うん、よく日当たりのいい席で本読んでるよ」と平然と答えた。へぇ、が私語厳禁の図書室で。やっぱりイメージと違う。そんなことを考えていると三郎が「気になってるのか」とにやにや笑いながら言ってくる。だからその顔やめろよ!そうしたらそれまで黙っていた兵助が爆弾を落とした。

「付き合っちゃえば?」

俺はせっかくだからと飲んでいたからもらった水をブーッと噴いてしまった。声が上ずる。

「な、何でだよ!」
「だって勘右衛門今好きな子いないだろ?」
「それは…」
「なんだ、密かに懸想してる子がいたのか?そうなら早く言えっつの」
「いない、けど」
「けど?」

先を促す兵助には多分悪気はない。けれども後ろで三郎がにやにや笑いをやめないから言いづらい。言いよどんでいるといつの間にか皆俺の答えを待っているような状態になってしまった。なんでこんな注目されてるんだ俺!

「好きでもないのに付き合うのは…」
「ハイ、ピュアピュアボーイお一人様入りましたー!」
「笑うなよ…!」
「なんで?付き合ってみて初めて分かることもあるって言うじゃん」

それはそうかもしれないけど、と口ごもる。正直そのときはそんなこと考え付きもしなかった。これだからピュアピュアボーイとからかわれてしまうのかもしれない。っていうかそういうとき何て言うんだ?『別にお前のこと好きじゃないけどもしかしたら好きになるかもしれないから試しに付き合ってやるよ』?ありえないだろ。そういうのはいい男がやるもんだろ。俺ごときがそんな上からな態度取れるわけがない。『ぷぷーこいつ何言っちゃってんの』と笑われるのがオチだ。

「まぁ、あーゆー女は勘右衛門のタイプじゃないしな」
「勘右衛門はおとなしめの女の子らしいかわいい子がタイプなんだっけ?」
「確かには見たところそれとは正反対のタイプだな」
「そういえば三郎のタイプってどんなん?」

と俺の話からそれぞれの女の好みの話へと流れていったけれど俺はのことを考えていた。あいつは一体何を考えているのだろう。やっぱり俺のことをからかっているんじゃないかという思いが脳を掠める。下級生の頃くのたまに植え付けられた恐怖はまだ消えてはいない。いつだか忍たまに告白してからかうって遊びがくのたまの間で流行ったこともあったじゃないか。またそれが流行っているのではないか。でも五年生にもなってくのたまがそんなことをするだろうか。

結局俺ごときにはの本心は分からないのだ。

そこで俺はがしがしと頭を掻いた。こうして悩んでいること自体がもしかしたら思う壺なんじゃないかとすら思う。