「お、尾浜くん!私と結婚してください!」
そう言って彼女が俺に向かって手を差し出してきた。
俺がひとりの女の子に声を掛けられたのは授業が終わって、さぁやっとおばちゃんのおいしいご飯が食べられるぞと意気込んでいたときだった。今日は実技の合同授業で少し疲れていたから「尾浜くんちょっといいかな!」と腕を引かれて俺はずるずると校舎の陰に引っ張られてしまったのだ。都合のいいことに俺は集団の隅っこの方にいたから俺が消えたことに誰も気付かなかった。そして今に至る。
告白された。告白というよりこれはもう求婚だ求婚。プロポーズ。プロポーズって普通男からするもんじゃないのか…、って、それ以前に色々おかしいだろコレ!プロポーズまでの大事な過程いくつもすっ飛ばしちゃってるよ!
「ダメ?」
彼女は上目遣いで俺を見つめて、俺の横にだらんと垂れているだけの手を取ろうとした。いやいやいや、ここで手を握るわけにはいかないじゃないか!
「ダメっていうか、まず君だれ…?」
「名前なんて大した問題じゃないですよ」
「いやいやいや、お見合いでも相手の顔知らなくても名前だけは知ってるじゃない。かなり重大な問題だよ?」
「でも、尾浜くんは私の顔は今知ったわけだから名前は知らなくてもいいんじゃないかな」
いやいやいや、これはどっちか片方知ってればいいって問題じゃないだろ。っていうか、名前ぐらい普通に教えろよ。言えないってことは何かやましいことでもあるのか?もしかしてこれは三郎の変装で、俺をからかっているのかも。と思ったけれど、あそこに雷蔵がふたりいる。ってことは三郎はあそこにいて、この子は三郎の変装ではなくて。ああ、でももしかしたらこの子は俺のことをからかっているから名前を明かせないんじゃないのか。絶対そうだ。
「名前も教えられないようなあやしい子とは付き合えないな」
「です」
そう言うと彼女、――というらしい――はあっさりと名乗った。そんな簡単に答えられるなら最初から名乗れよ
「名乗ったからこれから尾浜くんと私は恋人同士ですね!」
と思ったら裏があったらしい。一体こいつの思考回路はどうなっているのだろうと不思議に思う。
「何でそうなるんだよ!」
「名前教えられないあやしいやつとは付き合えない、つまり名前を教えさえすれば付き合ってもいいってことじゃないんですか?」
「そんなわけあるかっ!」
いい加減突っ込みつかれてきた…。まぁ彼女も本気でそう思っていたわけではないらしく「ですよね…」と表情を曇らせた。言動は突拍子もないが、常識までないわけではないらしい。となると、これは授業の一環か、いたずらの可能性が高いな、と俺は検討をつける。
「とにかく結婚なんて無理だから。それじゃあ」
「待って!まずは友達から、友達からでいいんでお願いします!」
そこでさっさと去る――いやこれはもう逃げると言った方が正しい表現かもしれない――逃げることが出来れば良かったのに、そう言って彼女は俺の腕を掴んだ。不覚だ。多分この子は俺がうんと言うまでこの手を離さないだろうことが容易に想像できた。
「分かった、友達なら…」
ずっと腕を取られているわけには行かないのでしぶしぶ了承すると、「本当?!」と彼女はキラキラと目を輝かせて、意外にもあっさりと俺の腕を解放した。
「ありがとう」
そう言って微笑んだ顔はやわらかかった。普通にしていれば結構かわいいのに、普通にしていれば。
しかしそれもすぐに間違いだったと気が付くことになる。このときから俺はこいつにつきまとわれ、騒がしい日々が始まった。こうして俺の心の
平穏は破られたのだった。