まさか、いるとは思わなかった。

仕事が終わって、ずっと頭を占めていた彼女のことが気になって、約束の場所まで行った。時間は12時ちょっと前、いくらなんでも、もう帰っているだろうと思っていた。ただ、拙者は絶望したかったのだと思う。彼女がいないのを確かめて、しっかり諦めたかったのだ。

思えば、拙者はいつもおぬしに嘘ばかり付いていましたね。 面倒なことに彼女を巻き込みたくなくて、彼女にはひかりの中で生きてほしくて、マフィアだとかそういったことは全部隠してた。今は任務で日本に来ているなんてこと。関係のないおぬしに言えるわけなくて全部うそで塗り固めてた。 ねぇ、拙者はヒトを傷つけるにんげんなのですよ、それでも好いてくれますか? そんなこと言えるわけない。でも本当は彼女も薄々気付いていたと思う。気が付けば5年も一緒にいたんだ。知らないわけがない。知ってるけど知らないふりをしていた。それも知ってる。だけど言えなかったのは、拙者が弱いにんげんだからです。拒絶されるのがこわくて、自分から遠ざけた。うそをついて。ほら、またひとを、おぬしを傷つけてる。そういうにんげんはおぬしには釣り合わないでしょう?
全部全部、嘘なんです。嘘で出来たにんげんだ。人間かどうかも、疑わしい。最低、なんです。たぶん殿にしてみればこんな理不尽なことないと思われるでしょう。思わせぶりな態度をしといて、「好きではありません」だなんて。拙者の身勝手なばっかりに。傷つけていいひとじゃなかった。
この気持ちも嘘ならよかったのに。もしくは嘘が本当だったらよかったのに。

傘の柄を持つ手に思わず力が入った。

殿、」

嘘だ嘘だ嘘だうそ。なんで、いるのです。今何時だと思っているのです?もうすぐ日付が変わる時刻です。夜中です。雨も降っています。ひどく、さむいです。それなのに、ああ彼女は傘も差さず、ひとりぽつんと店の前で、雨に濡れて、どこか遠くを見て、それでも立っていたのです。ひたすら。

「何やってるのです!こんな雨の中濡れて、風邪引いたら、」

ああ、手遅れだったみたいだ。思わず抱きしめた彼女の身体はひどく熱かった。雨で濡れているのに、だ。「だって、私が呼び出したから」普通帰るでしょう。こんな時間まで待っているなんてありえません。約束を破ったのですよ。「バジルはちゃんと約束守ってくれたよ?」確かに日付は変わっていないけれども。まだ“今日”だけれども。そんな。離さないと。はやくしないと、このまま、どうにかしてしまいそうだと思った。

「バジル、来てくれてありがと」

どうして、こんなに、いとしいと思ってしまうんだ。変だろ?もうどうしていいのか分からなくなった。こころの中がぐちゃぐちゃだ。 ねぇ、もし、拙者がイタリアに帰らねばならない、と言ったらどうします?もうこうやって待っているおぬしのところへ来ることは出来なくなってしまったらどうするのです?それも遠い未来ではない話。連れて行く気はさらさらないのに、それでもどうして好きだと言えるでしょうか。虚しいだけなのに。 本当は、その言葉を紡ぐ唇にキスしてしまいたかった。貪るみたいに。こういうとき、理性なんて邪魔だと思う。でも、それだと後悔することは分かりきっているので、やっぱり理性があってよかったとも思うのだ。

「ばかじゃないんですか」

夜中の真ん中あたりだからかだろうか、この町はひどく静かだった。彼女の声だけがひどく澄んで聞こえて、それと同じくらい澄んだ空気。雨で浄化された。ふたりを濡らす雨のすらもやさしい。しっとりとふたりを濡らして、包む。そんなこの町が好きだから出て行きたくないなぁと思った。本当に、きれいなんだ。こんなにきれいな場所なんてないと思う。この町はばかみたいに明るくて、やさしくて、きれいだ。ここにずっといられればいいのになぁ。 代わりにそっと額に口付けた。彼女が気付くか気付かないか程度の。たぶん気付いてなかった。

彼女がやさしく名を呼ぶので、諦めることなんて無理だと思った。どんなに目を背けてみても、逃げてみても、蓋をしてみても、忘れたふりをしてみても、無駄だった。 だって、こんなにも、あいしてる
07.03.09 
 

世界があまりにも

 

絶望優しさ

 

満ちているので