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人は恋を失っても生きていけるらしい。それはごく当然のことだけれども。朝になれば普通に目が覚め(眠り姫になることもなく)、お腹がすけば普通に食事して(彼が一緒でなくても私は食事できるらしい)、皮肉なことに私は笑うこともできるのだ!私は一見彼を失っても何も変わらずに生活しているように見えるだろう。こころにはぽっかり穴が開いているけれども、それを他人に見せずに生きてゆけるだろう私は。逆に言えばこんな私を心配してくれる人がいるから私は生きてゆけるのです。心配かけないように、って笑おうと思えるのです。きっと彼らがいなかったら私はずっとずっとずっとベッドの中で泣いていて、干からびるか、もしくは自分の涙で溺死するかどちらかだったと思う。ほら、私今だって笑ってる。 「何か、嬉しいことがあったの?」 「いいえ、何も!」 にこにこしている私を見てひとりがそう声を掛けた。私は元気に答える。本当のことを。何ひとつ、嬉しいことなんてない。あるのは悲しいことだけ。 「お昼食べに行ってきますね!」 そう言って私は明るい外の世界に飛び出す。青い空が眩しい。街は輝いている。さぁ、昼食に何を食べよう。おいしいものが食べたいなぁ。久しぶりに贅沢してしまおうかなぁ。そんなことを考えながら自然と空を眺めながら歩く。青。彼を思い出してしまう。この空のように、バジルは私の世界の重要な要素だったのだ。それがもうない。急に世界が歪んで私は小さな悲鳴とともに倒れた。じんじん痛い。膝と、心が。情けないなぁ。 「情けないなぁ」 小さく言葉にしてみるとより一層惨めだった。格好悪い。街の真ん中でひとりでこけるなんて。街を通り行く人すべてが私を見て惨めだと笑っているような気がして、恥ずかしくて、私は何でもないような顔をして立ち上がる。もちろん、そんなの被害妄想だ。人は他人のことなんて構っちゃいない。知ってるよ。ちゃんと知ってる。膝が擦れて少し血が滲んでいたけれども、すぐに止まった。大した怪我じゃないので放っておくことにする。 漠然と思う。私が転んでももう支えてくれる人はいないのだ。私は決してドジなわけではなく、転ぶ回数が多いわけでもありません。(でも彼の前でこけることが多かったような気がします。それは多分少し緊張していたせいだと思う)けれども私が転けそうになると決まっていつも隣の彼が抱きとめてくれるのです。甘い彼の香りがふわりと漂う。「本当に殿は、目が離せませんね」私が慣れない靴を履いているから、と言うとかれはクスと笑い「気をつけてくださいね」と言うのだ。そして時々「最近よくその靴を履いていますがまだ慣れていないのですね」と私をからかった。私はまだそう言う彼のやさしい声音を覚えている。 こうしてただ道を歩いているだけで彼を想う。あちらこちら、どこへ行っても彼の残り香がするような気がして。道の向こうから彼がやってくるような予感がして仕方がないのだ。この角を曲がったら彼がいるんじゃないか。このカフェに入ったら彼もまたランチをとっているのではないか。この先の通りで、彼は。そう思ってしまうのだ。 「ご注文は?」 「とりあえず、コーヒーを」 ウエイトレスにそう言う。昼食を食べに出たはずなのにコーヒーしか飲まないなんて。急に食欲がなくなってしまった。まぁ、途中で食べたくなればまた何か頼めばいいだけのことなので。運ばれたコーヒーがひどく苦く思えた。いつも飲んでるのになぁ。まるで私の心を表わしているみたいだ。 バジルに会いたいなぁ、と思った。バジルが私のこと、好いてくれなくても構わない。それでも私にとってバジルが大切なひとであることにはきっと変わりない。あれから3日経った。もう、3日だ。世界は規則正しく機能している。私は回復へと向かっているのだろうか。彼を愛していたことを過去にして心から笑えるようになったのだろうか。(まさか、)痛みを何か別のものに変えてしまおうと思う。それと同時に私はこの痛みをなくしたくないと思うのだ。だって、この痛みをなくしたら、私が私でなくなっちゃう気がする。 長い片思いでした。私はバジルに出会った瞬間に恋に落ちていたのかもしれないし、ゆっくりとそれなりに時間をかけて恋に落ちたのかもしれない。気がついたら彼が好きだった。大好きだったんだよ、バジル。気付くと君と過ごした日々ばかりをまだ思っている。君に会いたい。 06.11.05 |