なんてことない昼下がりになるはずだった。お嬢様は相変わらず1日の大半を本を読んで過ごしていたし、拙者も執事らしく近くに控えていた。なるべく邪魔にならないように、と気を使ってはいるのだが、どうしようもなく暇で、つい彼女に話しかけてしまうのだった。執事失格である。

「何を読んでいらっしゃるのですか?」
「普通の現代小説よ」

そう言って表紙をこちら側に向ける。見ると拙者も知っている小説だった。普通の本屋で売ってるような。

「何、その顔?意外だとでも言いたいの」
「なんとなく難しい本を読んでいると思っていたので」

初日に読んでいた分厚い本とかは哲学の本っぽかった。数学の本も読んでいた。だから彼女はいつもそういう本を読んでいそうだなと思ったのだ。もしくは夢見がちなファンタジーとか。いかにもお嬢様という種族が好きそうじゃないですか、とまでは言わなかったが。

「まぁ、そういうのもたまには読むわ」

そう言うと一度また本に視線を戻したが、また顔を上げて「あなたって不思議ね」と唐突に言った。

「私本を読んでるとき、人が近くにいるの嫌だったのよ。でもなぜかしら、あなたなら平気だわ」
「それは空気みたいということでしょうか」

とおどけながら返すと、「まぁ、そんなところね」と彼女もフッと笑った。こんなに話しかける空気はないだろう。でも彼女がもしそれが心地よいと思ってくれているなら、嬉しいと思った。

「拙者でよろしければどこまでもお供しますよ、お嬢様」

そう言ったときには、彼女はすでに読書に戻っていたが。もうこれで話は終わりらしい。空気は空気らしくしていなくてはなるまい。執事という仕事も結構大変だなぁと感じた。窓の外を眺めながらボーっとしているとお嬢様が視線を上げないまま「バジル、」と呼んだ。

「紅茶を持ってきてちょうだい」

かしこまりました、と返事をして、部屋を退出する。すると、そこにはいつものメイドがひとり立っていた。どうやら拙者を待っていたらしく、拙者が扉を閉めるなりすぐに口を開いた。

「後任が見つかりました」
「そうですか。よかったです」
「彼には明後日から来てもらうことになっています。ですので、」
「拙者は明日まで、ですね」

そう言ったところでギッ後ろの扉が開いて、お嬢様が顔を出した。またあの表情をしている。今度はなんだというのだろう。彼女が顔を出したのはきっと紅茶と他にお菓子も持ってきてほしいとかそういうことを言うためだというのは想像出来たが、彼女を不機嫌にさせた理由は思い当たらない。今の会話にしたって、

「あの言葉は嘘だったのね」

意味が分からず「は?」と尋ねると彼女はますます表情を険しくさせた。

「ずっと、私のそばにいるって言ったのに」
「騙すつもりでは、」
「初めて会ったとき、あなたは私を命に代えてでも守るって言ったわ」

それだって、たった1週間だけだと分かってたから言えたのよね?守るといってもたった1週間という短い期間の話だものね?彼女の目はあのときと同じ目をしていた。拙者を、信用していない目。誰も信用していない目。

「ずっと、私のそばにいたいと思う人なんていないのよ」

か細い声が彼女の白い喉から発せられた。違う、と言いたかった。結論から言えば昨日の言葉は嘘だった。拙者は遅かれ早かれ彼女と分かれることを知っていたのだから。それでも、あのとき拙者は彼女のそばにいてあげたいと思ったのだ。心の底から。どうにかして、お嬢様、あなたを安心させてあげたかった。というのはただの言い訳にすぎないと笑うでしょうか?

「お嬢様、」
「近寄らないで!」

もう、放っておいて。 切実な彼女の声。

「もう、これ以上近寄らないで」

そう言ったまま扉をバタンと閉じてしまった。振り返らずに後ろにいるメイドに尋ねる。

「どういうことですか?」
「お嬢様にはあなたが繋ぎ役だということを説明していなかったのです」
「なぜ?」
「今までも短い期間しか続かない者もいたので」

「そうですか」と気の抜けた返事をしながら、拙者はひたすら扉を 見つめていた。