最初からこうすればよかったんだ。結局昨日はあれから友達の家にお邪魔して数時間ぽつりぽつりとあったことを話した。それとは全然関係ないことも沢山話して、それから家に帰った。お母さんには一応メールを入れておいたけれど「けいちゃんに心配かけちゃったじゃない」と怒られた。今度おばさんに謝ろうと思った。もうひとりのことは考えないようにして。
 

06


朝目が覚めてベッドから起きだすまでの時間とか、登校中ぼーっと歩いているときとか、ぼんやりと担任の声が響くホームルームの時間とか、短いようで長い授業間の10分間とか、そういうちょっとした時間が嫌いだ。余計なことばかり考えてしまうから。今まで必死で気にしないよう自分に言い聞かせていたけれど、昨日掴まれた手首がまだ熱を持っている気がする。そんなに痛いほど強く掴まれた訳じゃないのに、まだ彼の手の感触がはっきりと思い出せる。跡が付いている訳じゃないのに、どの部分をどう掴まれたのか分かる。そっとその部分に触れるとじんじんとしびれた。心が。彼の関することにおいて私は麻痺しっぱなしだ。

さん、さん!」
「…栄口、くん?何か用?」
「ノート」
「え?」
「英語のノート今日提出。オレ日直なんだ」

やってある?と聞く彼の手にはもうすでにクラスの半分くらいのノートが集められていた。「ごめん。今出すね」鞄の中からノートを取り出して積まれたノートの一番上に置く。重そうだなと思ってそれを言うと栄口くんは笑って「オレ男だからこれくらい何ともないよ」と言った。それよりも、

さん、大丈夫?」
「え?」
「いや、何でもないならいいんだけどさ、何か元気ないように見えて」
「大丈夫だよ?ちょっと、考え事してただけ」
「そう?無理はしない方がいいよ」

無理なんてしてないよ、と出来るだけ明るく答える。栄口くんみたいないい人に心配をかけるのは本意ではない。本当は、厳密に言えば、少しだけ無理をしているのだけれど。彼を想う気持ちを無理矢理閉じ込めようとしている、そういう意味においては。

やっぱり最近ぼーっとすることが多くなった気がする。いや、確実に多くなってる。そういえばこの間巣山くんに声掛けられたときもぼーっとしていた。友達にもよく、眠いの?と聞かれる。寝不足では、ないと思う。ただ、気が付くと他のただひとつのことで頭がいっぱいになっていて。体調は万全なのだけれど、大丈夫か大丈夫でないかと聞かれたらきっと大丈夫でない部類に入ってしまうだろう。こんなのもう、病気だ。

幸い、あと数分で授業が始まる。始まってしまえば彼のことも少しは頭から追い出せるだろう。そろそろロッカーから次の授業の教科書を取ってこないと、と思い立ち上がった瞬間、ブルブルとポケットが震えた。携帯を取り出してみるとメールが一通届いていた。差出人は、

泉孝介

その文字を見て携帯を持つ手が微かに震えた。心臓も微かに震えた気がした。いったい孝介が私に何の用だろう。とっさに考えうる内容を頭の中で想像する。貸してた漫画返せ、とかかな?もしかして昨日のことだろうか?その震える指でメールを開く。本文にはたった一言。

放課後校舎裏に来て

短い文字が並ぶ。なおさら訳が分からなくなった。彼が私に何の用があるのかまったく予想がつかないまま。しかもわざわざ呼び出すなんて。私は昨日の今日で、孝介と顔を合わせたくないのに。とそこまで考えて、もしかしたらこれはやっぱり昨日のことで呼び出されたんじゃないかと思い至った。昨日勝手に帰っちゃったから、それで怒ってるんじゃないか、と。会いたくない会いたくない、でもあいたい。ばかみたいに矛盾した気持ち。今は昼休みなので放課後になるまではあと2時間ぐらいある。それまでの間私はどうやって気を紛らせればいいのだろう。