ずっと見たくないと思っていたものを、見てしまった。早く忘れたいと願ったのに、その残像はいつまでたっても消えてはくれなかった。
 

05


その日はなんとなく帰りに本屋に寄ろうかなって思って寄り道をしていた。多分それがいけなかったんだと思う。本屋に行くために家と反対方向に行って、いつもと違う道を通ったりしたから。真っ直ぐ家に帰っていれば良かったのに。寄り道なんかしたから。

だから、孝介とその彼女がふたりで歩いているところを見てしまったんだ。

最初は彼女には気付かなかった。通りを歩いていると道路の反対側に彼を見つけてしまって。ああ今日は野球部休みの日なんだって思って、なぜだかそのまま彼から目が離せなくなってしまった。数日前までは彼の姿を見ただけで胸が痛んだのに今日はそれがなかった。ちょっとずつだけど私は忘れてきてるんだと思った。彼が好きだという気持ちを。だけど、それは違った。彼の隣を歩く女の子に気付いた瞬間、今までにないくらいドキっと心臓が飛び上がって指先までジンジンとした。あれが、孝介の彼女なんだ。

その子は道の歩道側を歩いていたので顔がよく見えた。何度か見たことのある子だと思った。かわいい子。孝介と何か喋ってるのが分かる。車の走る音がうるさくて、もちろん声は聞こえなかったけれど。何を話しているのかとても気になった。ズキンズキンとまだ心は締め付けられてる。見たくないと思っているのに目が離せない。車が通ってふたりの姿を隠した瞬間にぐいっと無理矢理前を向いて走り出す。向こうが私に気付いた様子はなかった。


息を切らせてやっと家まで辿り着き、ただいま、とドアを開けようとしたら鍵が掛かっていることに気が付いた。いつもはお母さんがいて鍵が開いてるはずなのになんで?と思って慌てて携帯を確認してみると案の定メールが一通来ていた。

『朝言い忘れちゃったけどお母さんは夕方から友達に会いに行ってきます。帰りは遅くなるよ』

ああ、今夜お母さんいないんだ、とだけ思った。そのメールには私以外皆家にいないということが書いてあった。夕飯どうすればいいのかな?そこまでは良かったんだ。次の文を見た瞬間私は凍りついてしまった。

『夕飯は作る時間なくて孝介くん家に頼んであるからお礼を言ってご馳走になってね』

なんで、なんで悪いことは続いてしまうのだろう。こんな状況で孝介の家に行くことなんて出来ないのに。泉家に行ったら孝介と会うことは避けられない。さすがに彼も夕飯の時間には帰ってくるだろうし。今の私にはどんな顔して彼に会えばいいのか分からない。それにもう来るなって言われたのに。孝介は帰ってきて家に私がいるのを見てどんな顔をするだろうか。こわい。お母さん同士の仲も良いからこういうことはよくある。でもだからって、このタイミングでなくてもよかったのに。

お母さんからのメールは無視してしまおう。きっと家には昨日の残り物とか何かしら食べれるものはあるだろうから、別に泉家には行かなくたって大丈夫。待っててくれている孝介のおばさんには悪いけれど。そう思って鞄の中から鍵を取り出そうとごそごそ探したが見つからない。最悪の予感がした。もしかして家の机の上に置きっぱなし?もう一度鞄の中を隅から隅まで探してみたがやっぱり鍵はどこにもなかった。嫌でもなんでも泉家に行くしか私には手段がなかったのです。

ちゃんいらっしゃい。早かったわね」
「おじゃまします。家の中に鍵を忘れてきちゃって」
「あら、じゃあ家に帰ってないのね」

もう夕飯できるからちょっと待っててね、と言われてリビングのソファに腰掛ける。孝介はもう帰ってきちゃうだろうかとそわそわしながら。「きっと孝介ももうすぐ帰ってくるだろうけど先食べちゃう?」と言っておばさんは私の分のご飯をよそり始めた。慌てて手伝おうとしたけれどすぐに「座ってて」と言われてしまった。

「あら、もう牛乳なくなっちゃった」
「え、じゃあ私いらないです」
「飲んじゃっていいわよ。孝介の分は今から買ってくるから」

食べててね、と言うとおばさんは私が何か言う前にすぐ財布を手に取り出て行ってしまった。ひとりになってしまったと思いながらおばさんの作ってくれた夕飯を食べていると玄関のドアが開く音と「ただいまー」と言う声が聞こえてきた。帰ってきてしまった。しかもおばさんがいないときに。彼の足音が近づいてくる。私はどんな顔をしてここにいればいいの?

「何で、お前いんの?」

そんな風に私を見ないでほしい。謝るから、せめて嫌わないでほしい。彼に経緯を説明するけれどなぜか私の言葉がひどく嘘っぽく聞こえた。うそじゃないのに、なぜだろう。ひどく言い訳がましい。

「おふくろは?」
「今牛乳買いに行ってる」
「ふぅん」

と彼はまた気のない返事をして自分の分のご飯を盛り、私の向かいに腰掛けた。慌てて私は食べるスピードを上げてすべての元凶である牛乳を一気に飲み干すと「ご馳走さま!」と席を立った。彼が、こっちを見ているのが分かる。

「私、もう帰るね」

おばさんにご馳走さまって伝えといてね、と言って玄関に行こうとしたら手首を掴まれた。孝介の大きくて少し骨ばった手が私の手首を掴んで離さない。「どこ行くんだよ」触れないでほしい。彼の手が触れている部分だけが熱くて、指先はまたジンジンとしびれる。私は身動きひとつ出来なくなる。「家の鍵ないんじゃなかったのかよ」

「離、して」
「やだ」
「離してってば!」
!」

心が悲鳴を上げる。もう、耐えられない。私を遠ざけようとしたくせに、そんな風にまた引き寄せるみたいなことしないで。私の名前を呼ばないで。私が私を保てなくなっちゃう。絶対変だと思われてる。いつもの私じゃない。やっぱり、孝介に彼女が出来たって聞いたとき冷静でいられてのがおかしかったんだ。ただあのときは実感がなかっただけだったのかもしれないけれど。今の私は自分の感情を制御できなくなってる。全部全部孝介のせいだ。思いっきり手を振り払って逃げるように玄関へ向かう。靴を突っかけて走って家を出た。向かう当てもないまま走る。彼が後ろから追いかけてくる気配はなかった。

私はいったい何を期待していたの?

飛び出してきたはいいものの家にも入れずどうしようかと悩んだ結果、家の近い友達に助けを求めることにした。もう東の空は暗くなっていて、少しずつ夜の気配が近づいて来ていた。携帯電話を取り出し、今から会えない?と聞くと彼女は何かを感じ取ったのかもしれない「いいよ」とすぐ答えてくれた。もしかしたら私の声が少し震えていたのかもしれなかった。彼女の家の近くのコンビニで落ち合う約束をして電話を切る。私が着いたときにはもう彼女は待っていた。

「どうしたの?」

なんて言えばいいんだろう。言葉も分からないまま気が付くと泣いていた。走ったせいで息が乱れて、呼吸がうまく出来ない。くるしい。両手で顔を覆うとまた次から次へと涙が零れてきて。せっかく出てきてくれた友達に何も言えないまま、ただ孝介がこんなにも好きだったとそれだけを 思っていた。