一時間目の授業が終わるチャイムが鳴るとほぼ同時に私は席を立った。実際待ちきれなくて前の授業中もずっとそわそわしていた。机の間をかき分けて歩くのすらもどかしかった。

「トキヤくん!」

声を掛けると彼は首だけで振り向いて私を見た。席に座っているトキヤくんの真横に移動すると、それにつれてトキヤくんの首も動く。

「何か用ですか」
「この間授業休んでたときのノート。よかったらどうぞ」
「…いいんですか」
「どうぞ」

そう言ってノートを差し出すとトキヤくんは「助かります」と言って受け取った。本当は朝一番に渡したかったのに、あいにく寝坊してしまってチャイムギリギリに教室に駆け込んだものだからそんな時間はなかった。いつもは私がトキヤくんにノートを借りている側なのだけれど、トキヤくんが休んだときは絶対にいつもの恩を返そうと思って頑張ってノートを取ったのだ。私にしては丁寧な字で、普段使わない色ペンなんか使って『ここがポイント!』とか噴出しを書き込んだりして、なるべく分かりやすく取ったつもりだ。いつも綺麗な字でポイントが上手く押さえられているトキヤくんのノートの足元にも及ばないだろうけれども、気合を入れて頑張った。夜、部屋で写すのだろうなと思っていたら、何気なくトキヤくんが片手でノートのページをペラペラとめくって見始めたので少し緊張した。

「これはクマの絵ですか?」

そう言ってトキヤくんは私のノートの隅の一箇所を指して言った。そこには夜にノートをまとめ直したときに書き足したクマの絵があった。クマのお腹には『重要』と書かれていた。我ながらセンスのない書き方である。くだらない落書きなんかしてないで真面目に勉強しなさいと怒られてしまうと思ったので「あーそれは」と間延びした返事をする。

「案外かわいいものを書くんですね」

そう言ってトキヤくんは表情を緩めた。これは予想外の反応だった。私が立っているせいで、彼がちょっと視線を下げるとすぐ表情が見えなくなってしまうのだけれど、多分これは笑っているのだろう。まさかこんなクマの落書きでトキヤくんが笑ってくれるなんて思わなかった。いつも完璧を求める彼とは少しイメージが違う。トキヤくんはこういうのが好きなのだろうか。

「トキヤくんはかわいいなぁ」

そう言って頭をぐりぐり撫でるとトキヤくんは「何でそうなるんですか。やめてください」と言って私の手を払った。もうすっかりいつものクールなトキヤくんだった。それでもめげずに私は再びトキヤくんの髪に手を伸ばす。彼が払う。私が手を伸ばす。

そのやり取りを数回繰り返していると、横からひょいっと人影が現れて「相変わらずふたりは仲が良いね」と言うので驚いた。

誰かと思えば私の隣に立っていたのは神宮寺レンくんで、彼は何やら面白そうなおもちゃを見つけたように楽しそうに笑って私の頭の上に手を乗せた。その私はトキヤくんの頭に手を置いているのだから傍から見たら三人繋がっていて変な図になっているに違いない。トキヤくんは突然現れたレンくんに驚く様子もなく、私からレンくんに視線を移動させた。

「それはどういう意味ですか」
「どういうもこういうもそのままの意味さ、イッチー」

トキヤくんがレンくんに気を取られている隙に私はわしゃわしゃと手を動かす。トキヤくんの気を引きつけてくれるなんてさすがレンくん、いい働きをしてくれる。このチャンスを逃すわけにはいかないと思っているとトキヤくんはちゃんと私の存在を覚えていたようで、すぐに私に視線を向けた。

「こんなところでやめてください」
「そういうのはふたりきりのときにだってさ。妬けちゃうね」

すかさずレンくんが茶々を入れる。こういうときレンくんの才能はすごいなぁと関心して見ているち、トキヤくんの横顔がどんどん不機嫌そうになっていく。

「そんなことは言ってしません。勝手に捏造しないでください」

トキヤくんはレンくんにそう言ったあと私を見た。トキヤくんが座っていて私が立っているから、彼は自然と上目遣いになる。そのくせ視線が強くてドキリとする。

「あなたも、誰にでもこういうことをするのはやめなさい」

そう言ってトキヤくんは立ち上がった。そうすると私の手はトキヤくんの頭に届かなくなってぽたりと落ちた。そのままトキヤくんが教室を出ていこうとするので「どこ行くの?」と聞くと「トイレですからついてこないでください」と言われた。さすがにトイレまで追いかけて行ったりはしないけれど、トキヤくんみたいな人でもトイレに行くんだなぁとぼんやり思った。よくアイドルはトイレなんて行かないという言葉を聞くけれども、そういう意味ではなくクールなトキヤくんがわざわざトイレに行くと宣言したのがなんだか彼のキャラじゃなくて少しおかしかった。

「おやおや、ちょっとからかいすぎたみたいだね」
「レンくんと一緒にしないでよー」

トキヤくんをからかっていたのはレンくんじゃないか。私はからかうつもりはなくて、ただトキヤくんの頭を撫でたいと思ったからそうしていただけなのに。

視線は未だトキヤくんが出ていった教室のドアに向けたまま私が口を尖らせるとレンくんは「はは、悪かったよレディ」と私の頭をぐしゃぐしゃと撫でて謝った。振り払うのも億劫だったのでそのまま撫でさせておいた。

「でも気持ちをちゃんと言わないレディもいけないんだよ」

珍しくレンくんが正論を言うので私は「うっ」と言葉に詰まってしまった。こればっかりはレンくんが正しい。私が触れたいのはトキヤくんだけだよ。それが言えたら良かったのだろうか。いや、こんな台詞言えるわけがない。こんなふうに私が自分から触れるのはトキヤくんだけだということに彼がいつか気がついてくれたらいいのになぁ。

「レンくんのせいでトキヤくんに逃げられたー」と再び唇を尖らせると、レンくんは「はいはい、今度は邪魔しないよ」と言いながら離れていった。私は空いたトキヤくんの席に腰掛けて早くトイレから帰ってきてくれないかなぁと思いながら教室のドアばかりを見ていた。

2011.08.08