ズキリと、頭蓋骨を締められているような痛みは一歩歩くごとに増すような気がする。

もうすぐ家に着くからと私は頭痛を必死でこらえて歩いていた。普段だったら途中でどこかに座って休むのだけれど、今日はレンが隣にいるからそれは出来なかった。余計な心配をかけたくないし、それに本当にあとちょっとで着くのだ。もう寮のエントランスには入っている。休憩するよりも家のベッドでぐっすり休んだ方がいい。

「それでね、そのときタクシーから見たイルミネーションがとても綺麗だったんだ。今度休みが重なったときに一緒に見に行こう」

楽しそうに話すレンの姿を見るとこちらまでにこにこと笑ってしまう。レンの話を聞くのは好きだ。部屋にこもって作曲している時間の多い私にはテレビで見た話だとかちょっとお買い物に行ったときの話ぐらいしかない。そんな話でもレンは「うんうん」と一生懸命聞いてくれるのだけれど、私としてはレンのお話の方が数倍面白い。私の知らないことの話を聞くことはそれだけで楽しいけれども、それ以上にレンの目にどういう風に景色が移っているのか知れるのが嬉しい。けれども今は頭が痛むのが邪魔をしてきちんとレンの話を集中して聞くことが出来ない。

「そうそう、この間レストランでおいしいパスタを食べたんだ。そこにも連れてってあげたいな。でも休日はハニーの手作り料理も食べたいから迷ってしまうね」

普段なら私の料理は今夜食べさせてあげるよと言うのだけれど、あいにく今日の体調ではそんな余裕はありそうもない。家に帰ったらとにかく休みたかった。自分の夕飯すらもレトルトですませたい。レンのために作ってあげ始めると色々と凝ったことをしたくなってしまうから気軽に作ってあげるよとは言えないのだ。レンのためなら何でもしてあげたいと思うのに現実はなかなかうまくいかない。

「ハニー」

レンがやけに真剣な声で呼ぶのでちゃんとレンの顔を見て「なあに?」と答える。レンは私の瞳をちょっと覗き込むと少し眉根を寄せた。彼にこうして見つめられるとすべて見透かされてしまいそうでどきりとする。

「……いいや、何でもない。ただ呼んだだけ」

彼がこういう風に名前を呼ぶは絶対何かがあるときだと分かっている。多分私が夕食に誘う言葉を言わなかったから寂しいのだと思う。出来るだけレンに寂しい思いをさせたくないなと思うのだけれど、さすがに今の体調では言えない。それでも、もしもレンが一言でも寂しいなんて言葉を口にすれば私は自分の体調の悪さなんて構わずレンと一緒にいることを選ぶだろう。

「着いたよ、ハニー」

そう言ってレンは私の部屋の玄関扉を開けてくれる。こうしている間にもずきずきと頭痛はひどくなって体はベッドで横になることを望んでいるので、そのまま部屋に入った。するとその後ろから「おじゃまします」とレンも当たり前のような顔で一緒に部屋に入ってくる。いつも一緒に仕事したあとはどちらかの部屋で食事を一緒に取るのが習慣になっていたから、レンの行動は当然といえば当然だった。ここのところ私の部屋で食事を作ることが多かったから私が何も言わずに自分の部屋に入ったことはさして疑問に思わなかったのだろう。確か前回だか前々回だかに料理するなら自分のキッチンの方が便利だと伝えたような気がする。

こうなっては仕方ないとレンをリビングまで案内する。案内すると言ってもレンはもう数えきれないほど私の部屋に来ているので、私はレンの前を歩いてドアを開けていくだけだ。

「ソファにでも座ってちょっと待ってて」

さも着替えるかのように言って寝室に入る。ドアを閉めてやっとひとりになった瞬間緊張がゆるんだのか、さらに頭がずきりずきりと痛む。思わずベッドにダイブするとあまりの布団の気持ちよさにこのまま眠ってしまいそうになってしまった。レンが待っているから起きなければと思っているのだけれど、体が重くてなかなか言うことを聞かない。

これだから体調悪いのは嫌いだ。体が自分のものじゃなくなるみたいで嫌なのだ。もし体調が良ければレンと一緒にいようと思うのに。仕事が忙しいレンとは一緒に入られる時間は多くないのだから無駄にしたくない。レンと過ごすと決めたからには一分一秒だって無駄にしたくない。

どうして体調の悪い日がよりによって今日なのだろう。そんな風に自分のタイミングの悪さに絶望しているとコンコンと控えめなノックの音がした。私は反射で体を捻ってドアの方を向いた。

「ハニー、入るよ」

だめと声を出すのと同時にドアの開く音がした。いつもならちゃんと私の返事があるまで待ってくれるのに。そしてベッドに転がる私の姿を一瞥すると眉根を寄せてひどく真面目な表情を作った。

「いつ言い出すのか待ってみたんだけど」

そう言ってレンはこちらへ歩み寄るとベッドの縁に腰掛けた。起き上がろうとするのだけれど彼にやんわりと押し留められてしまった。

「無理はいけないな」
「えっと、これは足がもつれてベッドに倒れこんでしまったら起き上がるのが億劫になってしまって」
「そうじゃないだろ?本当のことを言ってごらん」

言ってごらんと言うくせに多分本当のことを知っている。今さらどれだけ上手に嘘を吐こうときっとレンは全部見破ってしまうだろう。時々レンはエスパーなんじゃないかと思うことがある。超能力を使ったみたいに私のこと全部分かってしまうのだ。

「本当に大したことじゃないの。ちょっと頭痛がするだけで」
「ちょっと頭痛がするだけ、ねえ……」
「ちょっと休んだらレンにパスタ作ってあげるね」
「ハニー」

とがめるような口調で呼ばれる。レンはその一言で簡単に私の言葉を遮ってしまうからずるい。

「食事の支度はいいから。しばらくこうして眠るといい」

レンは私に何でもしてくれる。それを少しでも返したくて頑張るのだけれど、結局はいつも彼に与えられてばかりだ。レンにあれをしたいなこれをしたいなと思うのだけれど、結局はレンにしてもらうことの方が多い。彼にそれを言うとオレももう充分もらっているよと言ってくれるのだけれど。

「今日どこか上の空だったのはずっと我慢していたからだろう?」

どうして彼には全部お見通しなんだろう。いつか心の中を全部暴かれてしまいそうな気がする。

「オレの前では我慢しなくていいんだ」
「ううん、レンの前だから我慢したかったの。出来るだけ長く一緒にいたいし、一緒にいるときは出来るだけ楽しく過ごしたい」
「そう思ってくれるのは嬉しいけど、今はだーめ」

そんな事を言われると幼い子どもに戻ってしまったような気分になる。あれだけレンに心配をかけるのは嫌だと思っていたのに、頭痛で頭がぼんやりするせいだろうか。張り詰めていた気が緩むと一気に彼に甘えたくなってしまう。体調が悪いのを知られてしまった以上、気を張る必要はない。それどころか無理をすれば余計にレンを心配させることになってしまう。そう自分に言い訳をして枕に頭を埋めた。

「今日はオレが夕飯を作るよ。何が食べたい?」
「レンが?……刺激的なのは遠慮したいなぁ」
「いくらオレでも、病人にそんなものは食べさせないよ」
「ふふ、じゃあ今日はレンにおまかせしようかな」
「オーケー。ハニーはゆっくり休むのが仕事だ」

そう言ってレンは布団を私の肩までかけてくれる。「いいこいいこ」と言いながら彼は私の頭を大きな手でゆるゆると撫でる。レンのやさしく低い声のせいで頭がさらにくらくらするような気がした。けれどもこの感じは嫌ではない。頭痛のくらくらするのとは違って、レンから与えられるそれはとても心地良い。

「おやすみ。

彼のあまい声で眠りに落ちる。

2011.12.23