「今日調子悪いんですか?」

廊下で後ろから声を掛けると神宮寺さんは少し目を丸くさせて振り返った。

「ん?オレは風邪なんて引かないよ?」
「そうでなくて、サックスの」

先程裏庭でひとりサックスの練習をしていた彼の演奏を私は窓を開けた部屋で作詞をしながら聞いていた。そのときのサックスの音色がちょっと引っかかったのだ。いつも彼が吹くサックスの音色と少し違うように聞こえた。彼のサックスの音が途切れると同時に休憩をしようと飲み物を買いに部屋を出たところたまたま前方に神宮寺さんの姿が見えたからつい声を掛けてしまった。

「タンポがおかしいのかな」
「よく分かったね。これから調整に持って行こうと思ってたんだ」

そう言って彼は片手に持ったサックスケースを軽く上げてみせた。楽器の調子が悪いことぐらい奏者が一番分かっているはずなのに余計なことを言ってしまったかもしれない。サックスの穴をふさぐタンポがしっかりしていないと息が漏れて変な音が出てしまう。私としては指摘してやろうとかそういうのではなく、ただいつもと音色が違うことに対する疑問から出た言葉だった。しかし神宮寺さんはそんなことに機嫌を損ねた様子もなく、むしろ上機嫌なくらいだったので私は安心した。

「こんな小さな音色の違いが分かるほどオレの演奏を熱心に聴いていてくれたんだ?」
「神宮寺さんのサックスの音は好きですよ」
「サックスの音だけ?」
「表現力がいつもすごいなと思っています!」
「…つれないな」

そう言って神宮寺さんはちょっと笑ってみせた。私としては最大級の褒め言葉のつもりだったのだけれど彼はあまりお気に召さなかったみたいだ。私にはまだあれほどの表現は出来ないといつも尊敬しながら彼の演奏を聞いているのに。

「君はビターチョコレートみたいだね」
「神宮寺さんってチョコレート嫌いじゃありませんでした?」

いつだか取り巻きの女の子がそんな話をしていたのを覚えている。神宮寺さんは二月十四日のバレンタイン生まれでそれと合わせてすごく納得したから覚えている。きっと誕生日プレゼントと合わせてチョコレートをもらいすぎたんだろう。

それなのに私をチョコレートに例えるなんて本当は私を嫌っているのだろうか。嫌っているとまではいかなくても他の女の子と違って素っ気ない態度を取る私は彼にとって扱いにくい、苦手な存在と思われててもおかしくないなとは思う。

「レディがオレの好みまで覚えててくれたなんて嬉しいな」
「たまたまです」
「それでも嬉しいよ」

彼は口が上手い。それが本心なのか上辺だけなのか浅い付き合いの私ごときには判断が出来ない。上辺だけっぽいけれど、どこか本当に嬉しがってそうな気がする。どっちなんだろうと私はいつも判断に迷ってしまう。嬉しがっていてくれたらこちらも同じように嬉しいと思う。

「君は特別」

そう言って彼はにっこり整った笑みを見せる。本当に彼は調子がいいなと思う。本当にチョコレートみたいなのは彼の方じゃないかと思う。サックスだってとびきりのチョコレートみたいに甘美な音を出す。よっぽど私なんかよりもぴったりだ。

「なんてね。ビターチョコレートなら食べれるんだ」

 

彼と別れてしばらくしたあとどちらにしろ唯一彼が食べられるビターチョコレートに例えられるなんて結局遠回しに特別だと言っているようなものじゃないかと気が付いて顔が熱くなった。

2011.10.15