練習室からの帰り道、芝生をさくさく歩いていると湖畔に座り込んでいる人影が見えた。こんなところでひとりで誰が何やってるんだろうとちょっと近づいてみると、そこにいたのは同じクラスの神宮寺くんで二度びっくりした。まさか神宮寺くんがこんなところで湖を見つめているなんて思わなかった。イメージとちょっと違う。

「神宮寺くんがこんなところにいるなんて珍しいね」

私が声を掛けると神宮寺くんはゆっくりと顔を上げた。「子羊ちゃんか、どうもこんにちは」と綺麗な顔が前髪の隙間から私を覗く。

「子羊ちゃんはどうしてここに?」
「練習室行ってきた帰り」

「ここ寮までの近道なんだ」と言うと神宮寺くんは小さく笑った。横着者だと思われただろうか。格好付けて午後のお散歩よとか言っておけば良かったかもしれない。私が人ひとり分のスペースを開けて神宮寺くんの隣に腰を落とした。「制服が汚れちゃうよ?」と彼がハンカチを取り出して敷いてくれようとしたけれども、それよりも先に私はぺたりと芝生の上に座ってしまって、神宮寺くんはまた困ったように笑った。ちょっと恥ずかしくなって「ありがとう、大丈夫だから」とだけ言う。今日の私はどうもうまくいかない。

「今日は神宮寺くんひとりなの?」
「オレがひとりでいるとおかしいかい?」
「ううん、神宮寺くんをひとりじめ出来てラッキーだなって」
「おもしろいレディだね」

大抵神宮寺くんの周りにはいつも女の子が数人取り囲んでいる。私はさすがにその中に混じる勇気はないけれども、いつも遠くから神宮寺くんのことを見ては友人とキャーキャー言っているひとりではある。神宮寺くんがひとりのこんなチャンスを逃せるはずがない。本当ならクラスで沢山声を掛けたいくらいなのに。

「子羊ちゃんはどうしてそんなにオレについて回るんだい?」

神宮寺くんが下から覗き込むようにしてそう尋ねてくる。私が神宮寺くんのファンであることを知っているくせに意地が悪いなぁと私は少し笑ってしまう。

「神宮寺くんは誰にでもやさしいから」

そう言うと神宮寺くんはちょっと驚いたように目を丸くして、そのあとふっと笑った。神宮寺くんはたまにこうやって零すように笑う。ちょっと格好付けた笑い方だ。

「オレは女の子には皆平等にやさしいけど?」
「神宮寺くんは男の子にも皆にやさしいよ」

神宮寺くんは褒められるとそうやってすぐに軽い調子でごまかそうとする。褒められ慣れていないのか、それとも照れ隠しなのか。神宮寺くんのように器用でなんでも卒なくこなす人が褒められ慣れていないはずがないから、きっと後者だろう。

「この間一十木くんが失くし物したときも一緒に探してあげてたでしょ」
「おや、見てたのかい?」

先日廊下を歩いていると、前を神宮寺くんが歩いているのが見えた。そのときは取り巻きの女の子が3,4人一緒にいたので声をかけることなく普通に後ろを歩いていたのだが、不意に神宮寺くんが立ち止まったかと思うと女の子たちに手を振って別れると芝生に降りていった。何があったのだろうと思って神宮寺くんがいた場所まで小走りでたどり着くと、神宮寺くんとAクラスの一十木くんの姿が見えた。神宮寺くんは一言二言彼と言葉を交わすと、茂みをかき分け始めた。よく見ると他にもAクラスの子たちが同じように地面とにらめっこしていた。何をしているのか気になったが、私はパートナーとの練習があったのでその場は通りすぎてしまった。練習室を予約した時間はすでに迫っていて急いでいかなければ間に合わなかったのだ。

その後練習を終えて同じ場所を通るとまだ神宮寺くんたちはそこにいた。何かを探しているようなので声を掛けようと一歩踏み出した瞬間に『あったー!』という一十木くんの声が聞こえた。神宮寺くんはその言葉で顔を上げると前髪を払って、『見つかったか』と一言言った。前髪の間から見えた表情は笑顔で、とてもやさしい顔をしていた。

「わざわざ声をかけて友達を手伝ってあげる神宮寺くんはとてもやさしい人だと思う」

いつも自分を軽く見せているけれども、誰かのために何かできる神宮寺くんはやさしい人だ。人が考えるよりもやさしくて友達を大切にする人物なのだと思う。

「だから私は神宮寺くんが好きだな」

神宮寺くんは本当に小さく笑みを零す。うっかりすると見逃してしまいそうだけれど、口元がほんの少しだけ緩む。私は神宮寺くんのこの笑い方も好きだなぁと思う。あいにく今は前髪で目が隠れてしまって本当に口元しか見えなかったけれども。

「ありがとう」

お礼を言われてしまって今度は私が俯いてしまう番だった。好きだなんてよく考えれば恥ずかしい単語を口にしてしまったことを少しだけ後悔した。神宮寺くんだからきっと言われ慣れているだろうから気に留めないだろうけれども、しばらく自分で思い出してむずがゆくなりそうだ。そんな風に思っていると隣で神宮寺くんが立ち上がる気配がした。もうちょっとお喋りしていたかったけれど仕方がない。そもそも私がお喋りどころの状態ではなかった。

「そろそろ日が暮れるから寮まで送るよ」
「え、いいよ!」
「いいから」

そう言って神宮寺くんは私に手を差し出した。一瞬迷ったけれど、自力で立ち上がるのも感じが悪い気がしたので素直に手を取る。神宮寺くんの手が私の手を包み込んで引き上げる。神宮寺くんの手は男らしいけれどもきれいだ。その手に引かれながら、私は夕日に染まった道を寮まで歩いた。

明日は普通の顔でお喋り出来たらいいんだけど。

2011.08.03