楽屋に入るとHE★VENSのメンバーがいつものように思い思いに過ごしていた。その中でも何やら真剣な表情で雑誌の一ページを読んでいるナギくんが目に付いた。

「ナギくんそういうとこ興味あるの?」

ソファに座った彼に後ろから声を掛けると、パッと振り返った彼の目は驚いたように大きくなっている。そんな驚かせるほど唐突に声を掛けただろうか。予想外の反応に、こちらを見上げるナギくんと数秒見つめ合ってしまった。

「いや、さっきからそのページ熱心に見てるなぁと思って」

ナギくんが見ていたのは女性へ向けたカフェ特集らしく、その中でも3Dラテアートのお店を大きく取り扱っていた。泡で出来たくまがカップの縁にちょこんと手を置いている様が愛らしい。私の視線を追って、ナギくんも再び膝の上の雑誌に視線を戻す。

は……」
「うん?」
はこういうの興味あるの?」

こちらが尋ねたのに何故かナギくんは私に同じ質問を投げかけてくる。でもそれもナギくんの知りたいことが優先という感じではなく、少しだけ重さを持った声色はまるでひどく重大なことを私に伝えようとしているかのようだった。

「かわいいよね。コーヒーも好きだから機会があれば一回行ってみたいかな。機会があればね」

実際はそんなところに行く暇なんてないのが現実だ。友達と休日の午後にカフェでお喋りしたくてもなかなか休みが合わないし、最近はHE★VENSが売れに売れて、デートに行く暇さえないのだ。そもそも私に彼氏なんていないのでデートなどとは無縁な人生なのけれど。

「――明日」
「えっ?」
「明日午前の打ち合わせから午後の撮影まで二時間くらい空いてるよね? この店丁度撮影所の近くにあるみたいだし」

そう言ってナギくんが雑誌を私の目の前に掲げて書いてある住所を見せる。それを読むと確かに午後の現場の近くにあるようだった。この場所ならば移動時間を考えても少しお茶するくらいの余裕はある。

「ねえ、明日行こうよ」

そう言ってこちらを見上げるナギくんの表情はいつものように自信に満ちていて、このあとの私の答えなんてすっかり分かっているようだった。

も時間、空いてるんでしょ?」

これは駄目押しの一言だ。明日はナギくんにつく予定だったから確かにナギくん同様に私もその時間は体が空いている。ナギくんのたまの息抜きのお願いに私は断る選択肢を持ち合わせていなかった。

私はナギくんのおねだりに弱い。


 *


「お待たせしました」

そう言って店員さんが運んできたラテは思わず「わぁ! かわいい!」と声が漏れてしまうほど実物は雑誌の写真よりもずっとすごかった。

「実は私もこのお店ちょっと気になってたんだ」

目の前のそれが飲み物だということが信じられない。テーブルに置かれたときの泡の小さな揺れは確かにカフェラテの上に浮かんでいることを示しているのだけれど、実物を見ても未だに疑ってしまう。「へえ」とナギくんも興味津々にラテアートを眺めている。飲んでもおいしいカフェラテがこんなに目でも楽しめるなんて素敵だ。

「ナギくん似合うね」
「トーゼンっ! 宇宙一キュートなボクに似合うのは当たり前でしょ」
「写真撮ってもいい?」

スマホのカメラを向けるとすぐにナギくんがラテを前に笑顔を作ってくれた。その一瞬を逃さないようにシャッターを切る。うちはSNSをやっていないからこの写真をお披露目する機会がないのが残念だ。いや、ナギくんに送っておけばそのうち何かの番組のトークで使う機会がやってくるかもしれない。こんな素晴らしい写真をただ私のスマホに眠らせておくなんてことあってはならない。この写真を撮ったのは適当にHE★VENSのメンバーだということにしてもらって。例えばシオンくんとか。

――そんなことを考えているとカシャリと正面からシャッター音が聞こえた。

「ちょっと、急に撮らないでよ! 今の絶対半目だったでしょ」
「ふーん、もなかなか似合ってるんじゃない?」

「ほら」とスマホを向けて撮った写真を見せてくれたけど、私の撮影したナギくんの方が数倍はかわいかった。やっぱりうちのアイドルは“本物”なのだ。キラキラと他にはない輝きを持っていて、かわいらしいラテアートに合った甘い表情にきゅんと胸がときめく。頭が良くて強気な発言の目立つナギくんだけれど、時折ふわりと天使のようなやわらかい笑顔を見せるときがある。

「ナギくんには敵わないよ」

木目を基調としたやわらかい店内の雰囲気に、心を癒すやさしい音楽、窓から差すあたたかい午後の陽。目の前には宇宙一かわいい男の子が座っている。これ以上に素晴らしい時間なんてきっと世界中どこを探したってないに違いない。

それなのにスマホから視線を上げると、その宇宙一かわいい男の子は唇を尖らせてむすっと不機嫌そうな顔をしていた。

「どうかした?」
「べっつに!」

そう言ってナギくんはカップを勢いよく持ち上げて、ラテアートのくまさんと見つめ合って止まった。その姿に思わず「ふふ」と笑いが漏れてしまう。

「このラテアートかわいすぎてどこから飲んだらいいのか困っちゃうね」

飲むのもったいないね、と話しかけると正面に座るナギくんはつり上げていた目をふっと緩めて笑う。カップをくるくると回しながらどこか口をつけるのに適した場所がないか探す。正面より後ろ側の方がいいかもしれないと思ったが背中側もきちんとくまのシルエットでやっぱりもったいなく感じてしまうのだった。世の中の人はこれを注文してどんな風に飲み切っているのだろうか。

「いつまでこうしてるつもり? 早く飲まないと次の撮影遅刻するけど?」

そう言ってナギくんが思い切ってカップを傾ける。かわいいくまが、かわいいナギくんの口の中に吸い込まれていく。私が「あー」と声を漏らすとナギくんがひどく飲みづらそうな顔をする。

「そんなに気に入ったならまた来ればいいじゃん」

何でもないことのようにナギくんは言う。その唇の上にはラテの泡がついていて、彼の強めの語調もすっかり鋭さがなくなってしまっている。拭き取ってあげるため「ナギくん、泡」と身を乗り出すと「ん」とナギくんも大人しく顔を出してくれた。

「ナギくんがまた連れてきてくれるなら」
がどーしても来たいって言うなら付き合ってあげる」

そうやってナギくんは楽屋で誘ってくれたときと同じ表情で言うのだった。

2017.04.17