「待ってくれ」

 別れ際、言葉と同時に右手を掴まれる。振り向くと真斗くんがどこか必死な表情でこちらを見ていた。

「どうしたの?」

 彼に触れられた右手を意識しないようにしながら尋ねる。意識しないようにと思えば思うほど、そちらばかりが気になってしまった。

「髪にゴミが」

 そう言って彼の右手が私の頭へ伸びてくる。彼が近付き微かに顔を傾ける動きに合わせて、彼の耳に掛かっていた髪がさらりと揺れて落ちる。そのことに、近付く距離に、心臓がドキリと大きく鳴る。
 私の耳の少し上を撫でるようにそっと触れた彼の指先は、目的を果たすとすぐに離れていった。

「あ、ありがとう」
「礼を言われるほどのことではない」

 何でもないことのように言って彼が軽く微笑む。やさしい人だ。ただの親切心で、ゴミを取ってもらっただけだというのに、私の心臓は痛いほどドキドキと鳴っている。口を開けば、そこから音が聞こえてしまわないか心配になった。

「じゃあ、また」

 不自然さがバレないよう祈りながら改めて別れの挨拶をして、その場から去ろうとした。

「まだだ」

 再度引き止めると、今度は反対側に彼の手が伸びてくる。輪郭を撫でるように頭の上、耳を通って、頬に触れる。声を上げなかったのは奇跡に近かった。
 からからに渇いた口を開く。努めて平静を装って。

「えっと、こっちにもゴミ付いてた?」
「いや」

 彼は頭を振ると、言葉を区切った。何だろう、髪がボサボサになってたとかだろうかと考えていると、彼が正面を向いてまっすぐに私を見つめる。彼の指先が触れる頬が燃えるように熱い。

「もう少しだけ触れたくなった」

 そう言って彼が目を細める。ふわりと雪のようにやわらかい表情。深い青色の瞳には、私だけが映っている。その瞳の中には、やさしさと、どろりと溶けるような甘さが混じっていた。

「あの、えっと、その」
「すまない、困らせるつもりはなかったんだが」

 彼が少しだけ困ったように笑う。気持ちを落ち着かせるため、ぎゅっと目を瞑った。視覚情報を遮断すると、うるさすぎる心臓も少しは大人しくなってくれた。
 今度は私の方から手を伸ばして、彼の手を握る。

「私も、同じように思ってたから、大丈夫」

 素直に気持ちを伝えると、彼の「そうか」と言う低い声が私の耳をくすぐった。

2022.09.04