好きだと思う気持ちを抑え切れないときがある。ふとした瞬間にそれはむくむくと湧きあがってきてどうしようもなくなってしまう。例えばそれは本に視線を落としている彼の横顔を見たときだとかに突然やってくるのだ。

「真斗くん好きー!」
、あまりひっつくな」

私が彼の腰にタックルすると真斗くんは呆れた声を出しながら私の額を軽く押し返す。私はそれを本気で嫌がってはいないだろうと思ってなおもしがみつく。もし彼が本気の力を出したら私みたいな小娘なんて簡単にひっぺがしてポーイと遠くに投げることも可能だろう。林檎先生曰く、彼は意外と均整のとれたいい体をしているらしいから。

私が好きだと言っても真斗くんは大抵「そうか」と言って聞き流してくれる。傍から見ていたら冷たい態度だと思うかもしれないが、私としてはこれでいい。

私はハルちゃんやトモちゃんなど友達にも好きと言ってよく抱きつく。もちろん男子は真斗くん以外に抱きつくことはない。そういうところではっきりと線を引いているのだけれど、真斗くんは気付いているか知れない。この学校は恋愛禁止なのだから気付かないままの方が都合が良い。先生方だって私の真斗くんに対する態度は恋愛ではなく友情だと取っているらしく私は幸運にもまだ退学になっていない。多分クラスメイトも鋭い人は知れないけれども大半は私が真斗くんに本気で恋しているとは思っていないだろう。

それに真斗くんは本当に冷たいわけではないのだ。たまに黙って頭を撫でてくれるときもある。本から目は離さないままだし、撫で方もまるで小さな子どもにするようなものなのだけれど私は彼に触れてもらえるだけで嬉しくなる。

「それより特別教室に忘れたと言っていたノートはどうした。ちゃんと回収したのか?」
「そうだ、すっかり忘れてた!ありがとう真斗くん」

私はあっさりパッと離れると一気に二歩分ほど距離を取る。にこにこと笑って手を振ると真斗くんはふぅとひとつ溜め息を吐いてから顔を上げた。私と目を合わせて「早く行って来い」と言う。私はそれを受けてから「うん、行ってきます」とようやく彼に背を向けた。


忘れ物をした特別教室はすぐ近くで、忘れてしまったノートも机の中に問題なくあった。名前がきちんと書いてあるし、ただの授業ノートを誰かが持っていくはずもなかった。作詞用のノートのように見られて恥ずかしいものでもないし、持ち歩くのも邪魔だからもういっそ次の授業まで置きっぱなしにしてしまおうかななんて思いながらそのノートを胸に抱えた。

まだ真斗くんは同じ場所で読書しているだろうか。見たところあの本はすぐに読み終わるようなものではなさそうだったから高い確率で元の場所に戻ればまた会えるのではないか。隣で自習することくらいは許してもらえるだろう。そんなことを考えながら廊下を進む。

「言いたいことがあるのならさっさと言ったらどうだ」

曲がり角を曲がろうとした手前で真斗くんの声がした。さっきいた場所より随分と手前だ。彼がどこかへ行く前に見つけられてラッキーだった。すぐにでも声を掛けたかったが、何やら真剣な声で誰かと喋っているようだったので私は一度足を止めた。そーっと気付かれないようにこっそり声の聞こえる方に顔を出した。見ると私のクラスメイトである来栖くんと真斗くんが対峙していた。ふたりの表情までは見えないけれども、真剣な雰囲気だったので声を掛けることは憚られた。

「さっき見てて疑問に思ったんだけど、真斗お前のことどう思ってんだ?」

ドキリと心臓が鳴る。私は見つからないように角にしっかり隠れた。どうして来栖くんはわざわざこんなことを真斗くんに言うのだ。ふたりの面識があることは知っていたがこんな風に自身のことを話題にされるとは思ってもみなかった。

「お前にその気がないならもう一度はっきり振ってやった方がいいんじゃねーの」

そう言って来栖くんは真斗くんに詰め寄る。私は余計なことはしないでほしいなぁと苦笑する。来栖くんが私のことを思って言ってくれているのは分かっている。来栖くんとはクラスで仲の良い方だから私のことを純粋に心配してくれたのだと思う。私の本心に気付いた人から見たら真斗くんの態度はひどいものと思われるのだろう。一方的に好意を押し付ける私もどうかと思うが。きっと私たちの関係は他人から見たら不自然なものに見えるだろう。でもそれは私がそうしたくて、そうなるように仕向けているのだから仕方ない。

真斗くんが私のことを好いていないのは分かっているからこれでいいのだ。好きでなくても、嫌われていないのであればそれでいい。好きだったらもっとリアクションがあるだろうし、事実上振られているのも同然なのは分かっている。振られたら振られたで好きだと言いづらくなってしまうだろうなぁとは思うけれども断られること事体にきっと傷つきはしない。

「俺はあいつを振っていないし、今後振る予定もないが?」

そう言って真斗くんはふっと笑ってみせた。

「まぁ今はあいつに言うつもりはないがな」
「なんだよそれ」

来栖くんは彼の言うことが理解出来ないといった表情をしていたが、私はそれどころではなかった。ドクドクと心臓の鳴る音が聞こえてくるようだった。胸が苦しくなって、左胸を抑えると本当に心臓がすごい勢いで血を送り出しているのが分かった。ぐらぐらと目眩がするような気がして壁に寄りかかると、ひんやりと冷たかった。傍から見たら今の私は病人のように見えただろう。とにかくこのままではいけないと私は深呼吸を繰り返した。それでもまだこの動悸はなかなか治まってくれなくて困った。

頭を抱えて先ほどの真斗くんの言葉を反芻する。まだふたりは角の向こうで話しているようだが、その内容はもう頭に入ってこない。それどころではなかった。真斗くんは何と言った?その言葉の裏にはどんな意味がある?それを考えようとすればするほど頭がぐるぐるしてしまって頭が働かなくなる。

私は何度も彼に好きと言っていたが、あれは向こうから大した反応が帰ってこないから出来ていたことなのだと知る。真斗くんは私のことを特に何も考えていないと思ったから私は普通でいられたのだ。そうして膝に頭を埋めて丸くなっていると、不意に影が差した。

「こんなところでどうした」

今度こそ口から心臓が飛び出てしまうかと思った。いつの間にか真斗くん向こうからこちらへやってきていて、私の顔を覗き込んでいた。

「ん?具合でも悪いのか?」
「ううん、違う。大丈夫」

廊下を走って来たら疲れちゃってと適当な言い訳をすると真斗くんは「転ぶから走るんじゃない」と窘められる。一歩引いて立ち上がろうとすると真斗くんが私の腕を掴んで上に引っ張り上げてくれた。こういうところが真斗くんは紳士だ。

「そうだ、俺はこれから歌のレッスンをしようと思っているんだがお前も一緒にどうだ?」
「え、行っていいの?」
「予定がなければ、だが」
「行く!真斗くんとレッスンする!」

なるべく普段と同じように振る舞う。真斗くんの様子をじっと窺ってみたが、態度はいつもと変わらないように見える。私が立ち聞きしたことに気付いていないのだろうか。それならばと私も何も聞かなかったふりをする。

「真斗くん、好きだよ?」と試しに言ってみると真斗くんは表情を変えないまま「お前はそればかりだ」と言う。

頭を撫でてほしいなと思いながら彼をじっと見つめると真斗くんは呆れたように笑って「よしよし」と私の頭を不器用に撫でた。言わなくても思っていることが伝わってしまうのだから、私が平素口にする好きという言葉の真意を彼が見抜けないはずがなかったのだ。

「好きなの」
「ああ、知っている」

声が少し震えていて、いつもみたいに上手く言えなかった。こんな風に彼が返してくれたのは初めてだ。彼が私の気持ちを知っていてくれていることがどうしようもなく嬉しい。今こそいつもみたいに抱きついて全身でこの気持ちを表せたらいいのにと思うのに肝心なときばかり体は動かない。ただ私は廊下に突っ立って彼に頭を撫でられているだけだった。

そんな私の様子を見て真斗くんは「急におとなしくなったな」と笑う。私もつられて笑ったあとにいつもより控えめに抱きついた。

2011.10.17