私は朝から不機嫌だった。朝カーテンを開けてザァザァ雨の降る景色を見た瞬間から憂鬱な気分だった。憂鬱な気分で着替えて朝食を食べて恋人である真斗に『雨だから今日はデパートに買い物に行こう』という内容のメールを送り憂鬱な気分のまま手を抜くことなく身支度をして家を出たのだった。

雨なんて嫌いだ。服は濡れるし、傘は邪魔だし、ずっと楽しみにしていた動物園は行けなくなるし、隣を歩く真斗との距離はいつも以上に遠くなるし、いいことなんてひとつもない。それに引きかえ、真斗の方はデパートの入り口にある傘袋自動装着器に傘を差し入れては『、見ろ!こうして傘を差し込むだけで袋が装着されるぞ!』と楽しそうだし、デパートでずっとほしかった料理器具を買えたと言ってご機嫌だしで私とは随分対称的だった。

「服濡れちゃったから着替えてくる」

ふたりで私の部屋に帰ると真斗にタオルを渡して私は寝室に引っ込んだ。帰り道なんだか投げやりな気分になって足元が濡れるのも気にせずびしゃびしゃと水たまりの中も突っ切って歩いてきたものだから服を着替えないわけにはいかなかった。前日から気合を入れて考えた服を脱いで、それよりも楽な服に着替える。リビングに真斗がいるからあまり適当すぎる格好も出来ない。

とはいえあまり真斗を待たせるわけにもいかないのでそれなりの格好をしてリビングに戻る。ガチャリとドアを開けるとソファーに座っていた真斗が音に気が付いてこちらを振り返った。

「遅かったな」

そう言いながらおいでと言うように自分の膝を叩く。彼は両手を伸ばして私を迎えようとしてたけれど、私はあえてそれを無視して真斗の隣の狭い隙間に無理矢理おしりをねじ込んで座った。そんな私を見て彼はちょっと目を丸くして行き場のなくなった両手を下ろした。

「何をそんなに不機嫌になっているんだ」
「別に不機嫌じゃない」

そう言う声は自分でも分かるくらい不機嫌の塊だった。随分子どもっぽい声で嫌になる。せめて嘘を吐くのならばもっと上手にやればいいのに。こんな声で不機嫌じゃないと言われても嘘だとすぐ分かってしまうだろう。いつもなら両腕を広げられればなんだかんだ言いながらも喜んでその腕の中に収まるくせにわざわざ隣に座るなんて私は意地を張っていますよーと言っているようなものだった。

「真斗なんかずっと傘袋で遊んでればいいんだ」
「なんだそれは」

普段は真斗と一緒ならどこへ行ったって楽しいと思っているくせに、一日一緒にいられるとなるとどんどん欲が大きくなっていってダメだ。真斗といるとあれもしたいこれもしたいと色々なことを考えてしまう。

「ほら、いい加減機嫌を直せ」

真斗が私の頭を引き寄せてこめかみにキスを落とす。真斗のキスはいつもやさしい。綺麗な大きい手で私の髪を撫でてそうするから私はすぐに縮こまってしまう。普段こういうこと慣れていない堅物のようなふりをしているくせに、なぜか私にするときは余裕たっぷりなのが憎らしい。

「動物園ならまた今度行けばいいだろう」
「それで怒ってるんじゃない」
「知っている」

そう言って真斗は口元を緩ませた。分かっているのに聞くなんて本当に意地が悪い。彼が機嫌を良くすればするほど私は口を尖らせた。

「ずっとこうしたかったんだろう」

真斗の右手が私の左手を握る。人の多いデパートで手を繋ぐことは出来ない。雨が降っていたらその途中の道でも傘の分だけ距離が開く。もっとも晴れていても人通りの多い道では人ひとり分の距離を空けて歩いているし手なんて繋げないけれど、平日のちょっとさびれた動物園ならちょっとぐらいと期待していたのだ。それを全部見透かされていたと思うと、今日一日の自分の行動を振り返って恥ずかしくなった。

「手を繋ぎたいなんてかわいらしいな」

私が力を抜いたのを見て彼は手のひら側から指を絡める。そうして私の方へ向き直り反対の手でまたやさしく髪を撫でるのだからこちらとしては堪ったもんじゃない。

「機嫌は直ったか」
「真斗のばか」
「そんなこと言われてもかわいいとしか思わんぞ」

頭を撫でていた手が耳元まで降りてきた。そうして私の顔を覗き込んで唇にちゅっと音を立ててキスをする。唇を離して私と目が合うとふっと微笑む。こういうところで笑顔を作るのもずるいと思う。私はますます恥ずかしくなって今度は容易に覗き込まれないように真下を向いた。けれどもそれはそれで繋いだ手を見ることになって恥ずかしかった。

「今日はずっとこうして手を繋いでいてやろう」

ぐりぐりと頭を撫でられて本当に小さな子どもになってしまったような気分になる。真斗はこうしてふたりきりでいるときはとても落ち着いていて大人っぽいから私はすぐ子どもになってしまう。だったらもういっそ子どもになってしまおうかなと思って繋いでいた手を離して真斗の腰に抱きつく。「こっちがいい」と小さな声で言うと上から満足そうな笑い声が落ちてきた。あ、今真斗の貴重な笑顔一回分見逃した。

「最初からこれくらい甘えればいいものを」

そう言って真斗は私の頭のてっぺんに口付けた。じんじんと脳みそが揺さぶられる感覚がする。彼が私の頭を抱え込むように腕を回すので私は今日一日傘一つ分空いていた距離を埋めるかのようにぎゅうぎゅうとおでこを真斗の胸に押し付けた。


2011.10.13