私はきっと聖川くんに嫌われている。

嫌われているというのは多少言い過ぎかもしれないが、あまり仲が良くないのは事実だ。パートナーだというのに聖川くんが私と言葉を交わすのは事務的な会話のみだし、話をするとき目を見てはくれないし、それすらも手短に済んでしまう。たまに聖川くんがこちらを睨んでいるときもある。何をして嫌われてしまったのか分からないが彼は私をあまり快く思っていないらしい。

「今日の放課後、レコーディングルームを予約していておいた」
「あ、はい。ありがとうございます」
「では放課後待っている」

廊下で呼び止められて少し話しても聖川くんは常に仏頂面だ。それでも聖川くんはパートナーを解消しようなどとは言ってこないので私の作る曲は認めてくれているのだと思う。練習も積極的にしてくれるし、曲を褒めてくれることも多い。そういうときはとても嬉しくなる。だから私個人としては聖川くんともっと仲良くなりたいのだ。もっと聖川くんに認めてもらって親しくなりたい。いつも会話の糸口を探している。

「えっと、その、聖川くん」
「何か?」

もう少しお喋りしたくてつい引き止めてしまったけれども、何か用があるのかと聞かれると何もない。もう必要な話は済んでいる。わざわざ引き止めるほどの話題を私は持っていなかった。本当は沢山お話したいことがあるのに無理に話を広げて余計に嫌われたらと思うと続く言葉が出てこなくなってしまった。



聖川くんに名前を呼ばれてびくりと体がこわばる。やっぱり意味もなく呼び止めてしまったことを叱られるのだろうか。

「いや、なんでもない」

そう言うと聖川くんは私に背を向けて行ってしまった。私は緊張の糸が途切れたかのように深く溜め息を吐いた。聖川くんとは仲良くなりたいと思っているのに上手くいかない。一体どうしたらいいのだろうと考えながら私は肩を落として教室へ戻るため廊下を引き返した。

聖川くんのことを考えるとたまにこうしてギリギリと胸が痛くなる。きっとこれはストレスの胃痛の痛みではないと思う。他の子と何が違うのか。音楽に関しては私を認めてくれるからやはりひたすら作曲するしかないのか。どうしたら聖川くんに嫌われないようになるのか、そればかりを考えているような気がした。

そんな風に考え事をしているとあっという間に教室着いてしまう。私はまっすぐ自分の席へ向かうとぐったりと上半身を投げ出した。昼休みはまだ二十分ほど残っている。聖川くんはまだ教室に戻ってきてはいなかった。それを確認してほっとしては再び机に突っ伏した。頬に触れる机がひんやりとして気持ちいい。

「飲み物買えた?」

上から声が降ってきて頭を上げると横にトモちゃんとハルちゃんが立っていた。ハルちゃんは何か心配そうな顔をしている。トモちゃんも最初は普通だったのに私の顔を見た途端眉根を寄せた。そんなに今の私はひどい顔をしているのだろうか。

「なんか疲れてる?どうかした?」
「聖川くんと仲良くするにはどうしたらいいんだろう」

トモちゃんは誰とでも気兼ねなく仲良くなれる人物だから別だとしても、人見知りをするハルちゃんとでさえ今では私より喋っている。私はパートナーだというのに彼と交わす言葉は事務連絡のみ。冗談すらも言えない。

「聖川さんと上手くいっていないんですか?」

そう言ってハルちゃんが私を覗き込んでくる。私よりも不安そうな顔をしているハルちゃんを見ると少し申し訳ない気持ちになってしまう。上手くいっていないというほどでもない。ハルちゃんはパートナーととても仲が良いからそれに比べたら劣ってしまうが、普通はこれくらいの距離なのかもしれない。ただの課題のためのパートナーだと割りきってしまえばもっと楽なのかもしれない。私がもっと仲良くなりたいと欲を出しているだけと言えばそれまでだ。

「まさやんって女の子苦手みたいだからね、喋りにくいのは分かるかも。まさやんって顔はキレイだけど、武士!って感じで態度やわらかくないし」
「それもあるけど、他の人と私に対する態度が違うような気がして」

確かに以前にもトモちゃんから彼は中学は男子校に通っていたから女子と話すのは少し苦手だと聞いたことがある。それでも私以外の女の子とは普通に受け答えはするし、楽しそうに談笑しているときもある。それに対してたまに睨まれている私は一体何なのか。そう考えるとまたギリギリと胸が痛くなった。

、ちょっといいか」

その声にぎくりとしてゆっくりと首だけ回して振り返ると思った通り聖川くんが真後ろに立っていた。今の会話を聞かれてしまっただろうか。「えっと」と私が弁解しようとするよりも早く聖川くんはトモちゃんとハルちゃんの方へ向いてしまった。

「七海、渋谷、悪いがを少し貸してくれないか」
「お好きなだけどうぞどうぞ」
ちゃん、良かったですね!」

そう言ってトモちゃんが私を前に押し出し、ハルちゃんがにっこりと私に微笑みかける。絶対聖川くんは怒っているはずなのにどうしてそういうことをするのだとふたりを恨めしく思う。ただ、怒られるにしろそうして理由を言ってもらえることは黙って呆れられるよりもありがたい。

「悪いな」

トモちゃんとハルちゃんに向かってそれだけを言うと彼は私には何の言葉もなしに手首を掴んで歩き出した。彼はそのまま人の多い廊下をずんずんと進んでいく。私は人にぶつからないように歩くので精一杯だった。それでも待ってとは言えずに必死で足を動かす。途中で何人かの生徒に肩をぶつけてしまってそのたびにごめんなさいと小さく謝った。それでも聖川くんは歩調を緩めなかった。

生徒があまり通らない卒業生用のレコーディングルームの並ぶ廊下に来たときやっと聖川くんは私の手を離した。決して弱くない力で掴まれていた手首は、痛くはないが未だ彼の指の感触が残っていた。その手首をさすっていると聖川くんがこちらへ向き直ってまっすぐこちらを見つめていた。その真剣な瞳に私は手首をさするのをやめて思わず姿勢を伸ばした。

「本当はもっと前から言おうと思っていたのだが」

やっぱり聖川くんはやさしいから私への不満をずっと我慢してたのだ!ずっと聖川くんに不愉快な思いをさせていたと思うと申し訳ない気持ちになる。

何を言われるのだろう。もっと規則正しい生活をしろだとか、授業をもっと真面目に受けろだとか、もっと努力しろだとか、不真面目なやつは嫌いだとか、脳内でそんな言葉が一瞬のうちに聖川くんの声で再生された。

「今度の休みにどこかへ出掛けないか」

「え?」と間抜けな声が出た。その声に聖川くんがこちらに視線を上げる。鋭い視線が私を捉えて動けなくなる。私が体をこわばらせると聖川くんはすぐに視線を下げた。

「その、俺たちはパートナーだろう。だから、もっと交流が必要だと」

段々と聖川くんの声が小さくなる。いつもはっきりとした物言いの彼にしては珍しいことだった。

「お前は俺を怖がっているようだが、もし俺が何かしたのなら謝る。今後同じ過ちは繰り返さないと約束する」

聖川くんが言っている意味が分からなかった。私が聖川くんを怖がっている?確かに今よりももっと嫌われてしまうことは恐れていたけれども聖川くんの態度に怯えているなんてことはない。

「聖川くんが私を嫌っているんでしょう?」
「俺はお前を嫌ってなどいないが?」

そう言って聖川くんは少し首を傾けた。とぼけているとかそういうのではなく、本当に私の言う意味が分からないようだった。私はさらに混乱してしまう。

「だって私と目も合わせてくれないから」
「それは俺が女性の扱いに慣れていないからお前と話すときどうしたらいいのか分からなくなってしまって」
「ハルちゃんやトモちゃんとはもっとお話出来るのに?」
「それは…!」

聖川くんが私の肩を掴む。今までで一番近く、真っ直ぐに聖川くんの瞳が私を見つめている。

「それはお前が特別だからだ」

それからはっと我に返ったかのように私の肩を離した。そしていつものように視線を下げる。でも今回は彼の耳が赤く染まっているのが見えている。

「つまり、その、お前は俺のパートナーだろう」

こんな風に歯切れの悪い聖川くんは初めてだった。いつもはもっとはっきりした態度で物を言う彼とはイメージがかけ離れていて、聖川くんもこんな表情をするのかと私は新鮮な気持ちだった。

「とにかく、俺はお前とふたりで出掛けたいんだ。それだけでは駄目か?」

そうして聖川くんが再び私を見つめた。彼は私を嫌っているわけではなかった、むしろ私と同じように仲良くしたいと思ってくれていたのだと思うと心がぽかぽかとあたたかくなるようだった。

「私もずっとそう思ってたよ」

私がそう言うと聖川くんはぱぁと花を散らせたような嬉しそうな顔をした。聖川くんはこんな表情も出来るのか。いつも私と喋るときは眉根に力を入れていることが多いから知らなかった。聖川くんの笑顔に私もつられて笑う。

「聖川くんの笑った顔が好きだなぁ。いつも笑っていてくれたらいいのに」
「そ、そうか。努力しよう」

そう言った聖川くんの眉間にはまた力が入っていたけれども、今はもうそれが怒っているからだとは思わない。

2011.10.10