曲が出来上がるとすぐに聖川くんに見てもらいたくなる。パートナーである彼の意見を聞いて直すべきところやよりよく出来ることを見つけたい。それよりも一番の理由はきっと彼に褒められたいからだ。いい曲だなと一言言ってもらいたくて、完成するとうずうずしてしまうのだ。

「さすがだ」などと言われて頭を撫でられた日には嬉しくて舞い上がってしまう。聖川くんに頭を撫でられるのは好きだ。ドキドキして心臓が飛び出てしまうんじゃないかと毎回心配になりながらも「えへへ」とそのときばかりは無邪気な子どものふりをしておとなしく撫でられている。

そんな風に下心満載で今夜も『曲が出来たよ!』とメールを入れたのだが返事がない。聖川くんが部屋で携帯をいじっている姿は想像出来ないからきっと机の上にでも置きっぱなしにしているのだろう。こまめにメールをチェックしたりはしないだろう。それが簡単に想像出来るから諦めきれなかった。それにまだ十時だ。寝る時間までまだあるからもう少し作業が出来る。そう考えるとどうしても聖川くんの意見が聞きたくなって居ても立ってもいられず、ついに男子寮まで来てしまった。

聖川くんと神宮寺くんの部屋の前に立ってノックをする。軽く叩いたはずなのにコンコンという音が廊下に響いて無駄にひやひやする。誰かに見つかっても面倒なので早く部屋に入りたかったのだがいくら待っても中から物音ひとつしやしない。痺れを切らして携帯を取り出し彼の番号にかけてみたが、その着信音すら聞こえてこなかった。昼間マナーモードにしたままなのか、それとも部屋にいないのか。特に今夜どこかへ出掛けるという話は聞いていなかったけれど、いくらパートナーだからといって相手の行動すべてを把握しているわけではない。プライベートに立ち入る権利まで持っているわけではないのだ。

せっかく来たけれど今日は諦めて帰るかと思いながら何気なしにドアノブを捻るとガチャリと音がしてドアが開いた。私は驚いてドアノブから手を離したが、ドアはそのままスーっと内へ開いていった。そこから見えた部屋の中は暗かった。あの聖川くんが戸締りを確認せずに出掛けるなんてことはしないように思えたが、よっぽどの急用だったのだろうか。

どうせだからメモをした楽譜を置いていって朝一番に聖川くんの意見を聞こうと思い、部屋に一歩踏み入れる。ついでに戸締りには気を付けた方がいいですよーという一言も書きたしておこう。そのためのペンはどこに置いてあるだろうと机を探してドアの隙間から覗く明かりだけを頼りにきょろきょろと部屋の中を見回すと、視界の隅っこでもぞりと動くものがあった。

ドキリしてそちらを振り向くと畳の上に布団が敷いてあって、その掛け布団が人型に盛り上がっていた。

私は慌てて反対側にあるベッドを振り返ったが、そちらは人が寝ている様子もなく、まっさらなシーツだった。きっと神宮寺くんは夜遊びに出掛けていてまだ帰ってきていないのだろう。遊びに出掛けた神宮寺くんが午後十時なんて健全な時間に帰ってくるはずがない。というか、帰ってこないと聖川くんが愚痴を零していたのを聞いたことがある。

「聖川くん?」

ちょっと名前を呼んでみたが返事はない。私は靴を脱いで膝立ちで畳に上がって近づいてみる。顔を覗き込むとその両目はしっかり閉じられていた。まだ十時だというのにこの人は一体どれだけ寝るのが早いのだろう。それとも今日は疲れていたからたまたま早い就寝だったのだろうか。

「寝てるの?」

小さく声をかけて彼の髪に触れる。触れてみても全く起きる気配がなかったので私は調子に乗って彼の真っ直ぐな前髪を掻き分けた。おでこ全開の聖川くんはなかなかお目にかかれるものではないのでちょっと嬉しくなる。ダンスを踊っているときなどは彼のおでこを見ることが出来るが、それは一瞬だ。こうしてじっと見れるわけではない。私だけが知っている聖川くんのようで、私の独占欲が満たされる。

この寝顔だって今は私だけのものだ。つり目気味で切れ長の瞳が閉じられているだけで普段と少しイメージが違う。口が薄く開かれて呼吸しているのも今は私だけが見ている。彼の細い髪を指に絡ませながら「ふふ」と我ながら気持ち悪い笑いを小さく漏らすと聖川くんが寝返りを打った。

「おいで」

低い声で呼ばれる。あまりにもはっきりした声だった。私の心臓が元の位置に戻ってくる前に彼の腕が伸ばされ、私の腕を掴んで引いた。一瞬、聖川くんが両腕を広げているのが見えた。なんとかしなくちゃと思ったのだが、私に重力に逆らう特別な能力が備わっているわけがなくそのままバランスを崩して布団に倒れこむ。

「ひひひ、聖川くん」

まさか布団に引きずり込まれるなんてことは予想していなかった。いや、誰だって予想出来ないと思う。だってあの聖川くんだ。堅物だということを除いたって、あんな美しい人が私なんかをと思う。まさかずっと寝たふりをしていたのかと思ってドキリとしたが、よく耳を澄ませばすぅと規則正しい寝息が聞こえてきた。

聖川くんは寝ぼけているのだ。さっきのやけにはっきりした『おいで』も寝言。私を布団に引きずり込んだのも寝ぼけていたから。きっと私だと分かっていなかったのだろう。

「ま、い…」

まい?マイって誰だろう?私を誰かと間違えてるのか。噂に聞く聖川くんの許嫁の名前だろうか。それとも別の聖川くんの想い人だろうか。そんな名前の子はクラスにいただろうか。別のクラスの子?聖川くんの前の学校の女の子という可能性もある。

おいで、なんてそんなやさしい声色を私は今まで聞いたことがない。彼がそんな風にやさしく話しかけることが出来ることも、そんな風にやさしくする相手がいることも今まで知らなかった。出来れば知りたくなかった。

逃げ出そうとしてみても、頭と背中をしっかり押さえられてしまって身動きが取れない。すぐ目の前に聖川くんの胸板があって私はぎゅうと目を閉じるしかなかった。どうしてこの人は寝るとき浴衣を着ているのだ。普段はどんなに暑くても制服の第一ボタン以上は開けないくせに。すぐ近くに聖川くんの肌があるせいで私はまともに呼吸すら出来ない。

「…

ぎゅうと心臓が縮こまるような心地がした。確かに今彼はと私の名前を呼んだように聞こえた。でも、それはやっぱりそう聞こえただけかもしれない。聖川くんはいつも私をと名字で呼ぶ。一度だって私を名前で呼んだことはない。

どうして私の名前を呼ぶのだろう。どうして腕の力を強めるのだろう。

私は諦めて体の力を抜いた。きっとそのうち神宮寺くんが帰ってくるだろうけれど、もう知らない。いっそ神宮寺くんに誤解されてしまえ。そして起きた聖川くんは真っ赤になってそれを否定すればいいんだ。そう、否定すれば。

「真斗、くん」

聖川くんが寝ぼけて私を抱きしめるからいけないのだ。そう言い訳して私はそっと彼の背中に腕を伸ばした。今だけ、今だけ。ぎゅっと彼の服を握り締めると体温が移ってくるような心地がした。

2011.10.09