図書室のドアを開けると本の匂いがした。誰もいない図書室はいつもより本の匂いが濃い気がする。この学校の図書室はなぜか午前六時から開いているが課題提出前でもない今の時期、利用する生徒はいない。なんだかこの広い図書室が自分のものになったような気がして私は気分良く図書室に足を踏み入れた。

書架の間歩きながら大きく伸びをする。机にうつ伏せになって寝ていたから背中や腰の辺りが痛かった。今はまだ早朝で廊下には他の生徒の姿がないから出来ることである。本棚の下の方にお目当ての本を見つけてしゃがみ込むと背中がばきばきと痛むようだった。やっぱりベッドで横になるべきだったかと後悔しながら立ち上がり、腰を左右に思いっきりひねりながら歩く。

「随分と奇妙な歩き方だな」

その声に驚いて振り向くと誰もいないと思っていた窓際にひとり座って本を読んでいる影があった。さらに私はその人物を見て驚いた。さらにそれがクラスメイトだったものだから更に気まずかった。

「えっと、これは今流行りの新しい健康法で」

そんな慌てる私を見ても聖川くんは眉ひとつ動かさずに「おはよう」と挨拶をしてくるので、少し落ち着いた。聖川くんは私が変な歩き方をしていたのもあまり気にしていないようだ。顔が少し熱かったけれどそれを意識しないようにして聖川くんのいる窓際に近づく。朝日が眩しくて私は目を細める。

「早いな」
「この本の続きが気になって」

そう言って私は手に持っていた本を掲げて見せた。聖川くんの視線が私の顔からその本へと移動する。「暇つぶしにと思って借りたんだけど読み始めたらはまっちゃって寝れなかったよー」とおどけて言うが聖川くんの表情は変化しない。

「読み終わったら早く続きが読みたくて図書室が開くの待ってたの」

それだけ言って会話を切り上げようとしたのだが、一歩踏み出したところで右手首を掴まれた。振り返ると聖川くんが私の手首をしっかり握っていた。どうしたのだろうと思っていると真剣な表情の聖川くんと目が合った。聖川くんが座っているせいで下から私を見上げる彼の視線はいつもよりも鋭くてドキリと心臓が跳ね上がった。

「ということは寝ていないのか?」

聖川くんの切れ長の目が私を捕らえる。真面目な聖川くんのことだ。きっと規則正しい生活には厳しいのだろう。彼にとっては徹夜なんかもっての外で、朝ごはんを抜くのもありえないのだろう。課題で切羽詰まっていたとか音楽関係の本を読んでいたならともかく、こんな娯楽小説を明け方まで読んでいたなんてきっと説教されるだろうと簡単に想像が出来た。

「寝ていないわけじゃないよ。読み終わったのが五時で、そのあと一時間寝てるし」
「それは寝てるとは言わない」

アイドル志望の生徒にとってはこんな不規則な生活は避けるべきなのだろうけれど、作曲家志望の私にとって徹夜なんていつものことだ。まぁ女の子としてそれはどうなんだと思うところはあるけれども多分これからも作曲家として食べていくのならばこういう生活からは逃れられないだろうとも思う。

「一時間寝たら十分だよ。課題の提出日前とかは徹夜のときもあるし」
「それでは健康に悪い。それに今日は休日なのだからもっとゆっくり寝ていても」
「だから本の続きが気になってね。誰かに先に借りられてたら嫌だったし」
「ではもうその本は確保出来たからいいだろう。部屋に帰って少し寝ろ」

そう言って聖川くんはパタンと読んでいた本を閉じた。そうして溜め息をひとつ吐くと立ち上がって私の肩を抱き寄せた。突然のことに驚いて私は固まってしまう。聖川くんの整ったきれいな顔が近い。

「この手は何?」
「送っていく。来るときふらついていただろう。倒れられては迷惑だ」
「嘘だ。ふらついてなんてないよ」
「ふらついていた」
「ふらついてない」

自分の足で歩こうとすると聖川くんが立ち止まって私の顔を覗き込んだ。ふいに彼の手が私の頬に触れた。

「隈が出来てる」

そう言って聖川くんの親指が私の目の下をなぞった。

「頼むから自分の体は大事にしてくれ」

今日は休日だから眠くなったらいつだって寝れるし、徹夜三日目というわけでもないし、そもそもあと少ししたら寝るつもりだった。こんなこと休日だからできることで、無茶なんてしていないし、どう考えても聖川くんは大げさにしすぎだ。けれども聖川くんのきれいな顔に覗き込まれてしまったら私は「うん」としか返せなくなってしまった。

2011.09.18