ふと廊下ですれ違った人に違和感があって、数歩歩いたところで私は足を止めて振り返った。後ろ姿もどこかおかしい。けれどもそう思ったのは僅かな時間で、ちょっと考えただけですぐにその答えは出てきた。

「薫くんでしょ?」

おしゃれな帽子を被ったその人に声を掛けると彼は振り返って私を見た。早乙女学園の制服、トレードマークの帽子、右側をピンで留めた髪型は一緒だ。けれどもその顔はよく似ているけれどもこの学園の生徒のものではではなかった。

「お前、何言ってんだ?」
「翔ちゃんの真似なんかしてどうしたの?翔ちゃん本人は?」

私がそう言うと目の前の彼は思いっきり不機嫌そうな顔をした。この顔は見たことがある。絶対に彼は翔ちゃんの双子の弟である薫くんだ。確信を持って言える。薫くんと翔ちゃんでは表情の作り方が違う。

「もし困ったことになってるんだったら私手伝うよ?」

薫くんが翔ちゃんのふりをしているなんてきっと何かあったに違いない。例えば翔ちゃんが風邪を引いたから代わりに薫くんが翔ちゃんのふりをして授業を受けるだとか、何か事情があって翔ちゃんのアリバイ作りに協力しているだとか。薫くんの耳元に近づいて小さな声で喋ったのだが彼にぐいと肩を押されて引き離された。彼の眉間にはますますしわが寄っていたので余計なことはするなということだろうなと予想して私は黙った。

「どうして分かったの?」
「だって薫くんは翔ちゃんじゃないもん」

私がそう言うと薫くんは信じられないとでも言うように目を丸くさせた。分かるも何も翔ちゃんと薫くんでは全く違うじゃないか。いくら双子で似ていると言ったってクローン人間ではないのだから見分けがつくに決まってる。それなのにどうして薫くんは服を変えたくらいでばれないと信じこんでいたのだろう。

「これだから君に見つかりたくなかったのに」

そう言って薫くんは溜め息を吐く。今度は私が眉間にしわを寄せる番だった。そんな風に言わなくたっていいのに。アイドルコースの私は当然翔ちゃんのパートナーではないし、翔ちゃんのところに薫くんが会いに来ても運が悪いときは会えない。

「私は薫くんに会いたかったよ」

本心なのに薫くんはまた眉を寄せる。私が薫くんをからかってこういうことを言っていると思っているらしい。私がこういうことを言うと決まって彼は険しい表情を作るのだ。

「なかなか会いに来てくれないし」
「どうして僕が会いに来なきゃいけないのさ」
「じゃあ私が薫くんの学校に行ってもいい?」
「絶っ対にやめてよね」

薫くんがそう言うから私は彼の学校に行ったことはない。本当は放課後学校の校門前で待ち伏せとかしたいのだが行ったところでものすごく嫌な顔をされることは分かっているのでしない。他校の生徒が校門前で待っていたとなれば少なからず誤解されるだろうし。私は決して薫くんに迷惑を掛けたいわけではないのだ。

「好きだから会いたいのにー」

私はぷうと頬を膨らませてみせる。本当は不機嫌になんてなってはいない。薫くんに会えたというのに不機嫌になるはずなんてないのだ。それなのに薫くんはふっと表情を消す。私の感情はいつも上手く彼に伝わらない。

「どうして僕なの?」

その声からは薫くんの感情は読み取れなかった。アイドルとして場の空気を読んで発言するトーク術なんてものも教わるのだけれど、今はそんなもの全く役に立たなかった。この学校で得られるものはことごとく恋愛に関して役に立たない。

「一応アイドル学校通ってるんだし、僕よりイケメンなんて選り取り見取りなんじゃないの?」

質問を重ねられても薫くんが何を言いたいのかさっぱり分からない。彼は何を意図しているのか。顔のいい男が沢山いたからなんなのか。

「うちの学校恋愛禁止だし」
「それは僕相手だって一緒でしょ」

薫くんの反論は正しい。生徒同士の恋愛が禁止されているわけではなく、男女交際そのものが禁止されている。相手が学外だからと言って交際が許されるわけではない。

「まぁ、そうだけど…」

上手い答えが見つからずにこういう返事をしてしまうからいつまで経っても本気に捉えてもらえないのだ。ここで薫くんが好きなのだと証明出来たらどんなに楽だろう。どうして薫くんが好きなのか、どうして私が薫くんを選んだかなんて分からない。気付いたら好きになっていたし、他の誰よりも薫くんがいいと思うのだ。そもそも薫くんと似た顔の翔ちゃんがアイドル目指しているんだから薫くんだって一般的な目で見てそこらの男よりイケメンなはずだし、そして何より私はイケメンなら好きになるというわけではない。薫くんの顔はかっこいいと思うけれど、それはあくまで薫くんの一部だからだと思う。こういうとき頭が悪くて上手く言葉に出来ないのがもどかしい。

「それでも私が好きなのは薫くんなの!」

私が力いっぱいそういうと薫くんは「あっそう」とだけ言ってすっと私から視線を外した。また薫くんにこんな表情をさせてしまった。薫くんが笑うのを翔ちゃんの前以外で見たことはないけれども、せめて私と喋るのを楽しいと思わせるくらいにはなりたい。私の前での薫くんは大体が眉間にしわを寄せている。もっとトークの上手い人間になりたい。万人に受けるトークはまだまだ出来ないけれども、薫くんひとりぐらいは楽しく思ってもらえるくらいの話術は身につけたい。

「よくこんなところでそういうこと言えるよね。ばれたら退学なの分かってる?」

そう言って薫くんは急に被っていた帽子を取って私にぐいぐいと被せた。これも翔ちゃんの真似だろうか。

「とにかく、そういう風に僕が翔ちゃんの格好してること言いふらさないでよね」
「うん。薫くんのお願いなら何でも聞くよ!」

私は場を取り成すように明るい声を出して言う。頭を押さえつけられているからそう言う薫くんの表情は見えない。ぐいぐいと下を向かされていると、翔ちゃんの制服が目に入る。翔ちゃんの服なのに上から薫くんの声が聞こえてくるのにはどうも落ち着かない。

「何もしなくていい。ただ黙っててくれればいいから」

それだけ言って彼はぱかっと私から帽子を取った。顔を上げると薫くんはもうすでに私に背を向けていた。その後ろ姿に「待って!」と私は慌てて声を掛ける。

「次いつ会える?」
「放課後になったら翔ちゃんの部屋に戻ってる」

振り返らないまま薫くんは答える。てっきり数週間後だとか『分からない』という答えを予想していたので、放課後というのは全く予想外だった。誰も見ていないからいいかなと私は嬉しさから思わずへらへらと笑った。薫くんがこの様子を見ていたら『締まりのない顔』と呆れ顔で言うだろうか。

2011.10.26