セシルくんが突然「見ててください」というので何が始まるのだろうと思って彼の示すテーブルの上のマグカップを見ていたら彼の吹くフルートの音に合わせて目の前にあるマグカップがふわふわと浮いた。

「えー!セシルくん何これすごい!」

私が驚いた声を上げると彼は満足そうに口の端を持ち上げた。よくよく目を凝らしても上にも下にも糸のようなものはない。これは反則かなと思いながらもマグカップの上に手をかざしてみても何もなかった。そもそも上には天井があるが、それ以外に吊るす場所なんてないのだ。このマグカップは私のもので、先程私が自分であたたかいココアを入れるために持ってきたものだ。彼が細工をしている時間なんてなかった。

すごいすごいと褒めていると彼はフルートを吹くのをやめた。それと同時に宙に浮いていたマグカップがごとんとテーブルの上に落ちた。

「アナタに喜んでもらえてよかった」
「本当にすごい!どうやったの?」

私がはしゃいで尋ねるとセシルくんはますます得意げな顔をした。どうやらセシルくんは褒められるのが嬉しいみたいだ。

「これは、魔法です!」

顔を輝かせて言う姿はまるで子どものようで私はついにこにこと笑ってしまう。こうして自信満々に言うからには相当練習してきたに違いない。私の知らないところで

「どうしてもに見せたくて。喜んでくれましたか?」
「びっくりした!」

私も興奮して言う。よく目を凝らして見ても、全く仕掛けが分からなかった。これでも一発芸に困らないように密かに手品の練習をしているのだけれど、ここまでうまく出来た試しがない。しかし彼のレベルなら年末一発芸大会に呼ばれても胸を張って芸を疲労出来るだろう。もしかしてプロのマジシャン顔負けなのではないだろうか。

「セシルくんがマジック得意だなんて知らなかったよ!」
「マジックではありません。魔法です!」
「うんうん、魔法ね!」

そういう設定なのだろう。マジシャンの人は自分のマジックのことを魔法を呼ぶ人は結構いる。マジックはこういう雰囲気が大事なのだ。だから私も力強く頷いて彼に合わせる。

「魔法、ワタシの国では普通です」
「そうなの?」

セシルくんの国アグナパレスでは手品が盛んだなんて初耳だ。聞いたことがないけれど、彼の故郷は閉ざされた国だ。情報があまり入ってこないから知らないだけで、きっと国中のブームだったりするのだろうか。国の王子がマジックを得意とするくらいだ。もしかしたら逆で、王子がマジックに凝っているから国民も真似したのかもしれない。

「私なんか魔法どころか簡単なカードマジックさえ出来ないよー」

初歩の初歩のトランプを使う手品すら出来ないのだ。すぐにカードをポロポロ落としてしまうし、順番もバラバラにしてしまう。これはもうそろそろ才能がないと思って諦めた方がいいのかもしれない。マジックを成功させることが出来たら随分とかっこいいと思うのに現実は甘くない。

「セシルくんは器用なんだね、すごいなぁ」

そう言ってセシルくんの手を取る。フルートであんな細かい音符を吹けるくらいだからきっとマジックに使う細かい動きなんて簡単なものなのだろう。ふにふにと手のひらを触る。セシルくんの手はちゃんと男の人の手だけれど、指の腹だけはぷにぷにと柔らかい気がした。

「触らないでください」

そう言ってセシルくんはぴゃっと手を引っ込めてしまった。もしかして手に何か仕掛けが…と思ってじりじりと彼の方に寄るとセシルくんは手を守るように後ろに隠してしまった。ますますあやしい。

「そうやって手をふにふにと触るの禁止」

そう言って彼は眉根を寄せて不機嫌を表す顔を作った。私も負けずに不機嫌な顔を作る。ちょっとぐらいいいじゃないか。普段セシルくんは私の手をすぐ握るくせに。

「皆そうやって私の手を触ります」
「だめ?」

セシルくんがよくやるように聞いてみるとセシルくんは「うっ」と言葉を詰まらせた。どうやらこの技はセシルくんだけのものではないらしい。私なんかが使っても効果があるらしい。セシルくんはしぶしぶ右手を差し出した。

「わーい!セシルくんもう一回さっきのマジックやってよ」
「こうして手を握られていては出来ない」

そう言われたが私は彼の手を離す気はなかった。マジックも見たいけれどもそれよりも今の私にとってはセシルくんの手を握る方が重要だった。

テーブルに置かれたマグカップはもうコトリとも音を立てない。

2011.10.31