「やあ、よく来たね」

その声が後ろからしたのと同時に私の体は危険を察知して逃げ出そうとしたのだけれど、一歩遅かった。まるで私の身長をぎゅうぎゅうと縮めようとするかのように、頭の上から圧力が掛けられる。

「首痛い!首、首!」

「痛いってば幸村くん!」振り向かなくても分かる。こんなことする人を私はひとりしか知らない。立海大附属中学テニス部部長の幸村精市くんだ。圧力が掛かっているのは彼が私の頭の上に腕を置いているからである。

「何か文句でもあるわけ?」
「イイエ、ナイデス」

幸村くんとは学校が違うのになぜかこうして試合やら何やらで会うたびに親しげに声を掛けてきて、そして私の頭の上に腕を置く。私は特別肘が置きやすいような低身長というわけではないのに、わざわざ幸村くんはぎゅっぎゅと私のてっぺんを押して腕を置きやすい位置まで縮めてから置くのだ。おかげで私は幸村くんと一緒にいるときは問答無用で中腰を強要される。おかげで幸村くんに会った次の日は筋肉痛になる。

わざわざ私の身長を縮めなくっても最初から背の小さい子を選べばいいのに、と思う。だがしかしそんな小さくてかわいらしい子が幸村くんの肘置きにされるなんて可哀想なので却下だ。いや、でもファンが沢山いるという幸村くんならば喜んで頭を差し出す女の子なんて山ほどいるのでは?なぜ肘置きを望まない私が頭を差し出さねばならないのか。納得出来ないけれども、それを幸村くんに言ったら余計体重を掛けられることは簡単に予想が出来るので言わない。

黙って幸村くんの肘置きにされていると「あー!さん!」と私を呼ぶ声がした。圧力の掛けられている首を頑張ってそちらに向けると男の子がぶんぶんと手を大きく振っていた。

さん来てたんすか!こんちゃーっす」
「赤也くんこんにちは」

赤也くんは立海の二年エースである。私に懐いてくれていて、私もその分かわいがっている。お菓子をあげるとすごく喜んでくれるのでかわいがりがいがあるというものである。

その赤也くんの後ろには柳くんがついてきていて「精市、こんなところにいたのか。少し確認したいことがあるのだが」と幸村くんに話しかけていた。これはチャンスだ。どうやら柳くんは幸村くんに用事があるらしい。このままふたり連れ立ってどこかへ行ってくれれば私は開放される。仮にも私は他校の生徒だし、何かテニス部の相談事だったなら私に聞かせてはまずいだろう。

「何?ここで聞くよ」

しかし見事に私の期待は外れてしまった。そのまま幸村くんと柳くんは話し始めてしまう。なるべく聞かない方がいいかなと他に意識を持って行こうとあたりを見回すと赤也くんと目があった。にこっと笑って見せると赤也くんはそれ以上の笑顔でにっこり笑い返してくれた。やっぱり赤也くんは立海の癒しだ。かわいい。そんなことを考えていると頭のてっぺんにさらに圧力がかかった。

「痛い!痛いから!」

幸村くんは私の背後にいるから彼がどんな表情をしているのかは分からない。けれどもきっといい笑顔をしていると思う。私が痛がる様子を赤也くんは気の毒そうな目で見て、柳くんは「フッ…」と笑って何かをノートにメモしていた。私の首の耐久性のデータでも取っていたのだろうか。そんなことしてないで助けてほしいんですけど。

その様子をじっと見ていた赤也くんが「ねえねえ柳さん」と柳くんを引っ張って小声で話掛ける。

「オレ、前から気になってたんスけどもしかして幸村部長って」
「赤也、何か言いたいことがあるのなら聞くけど?」

赤也くんが柳くんにこっそり話しかけていたのを幸村くんが耳ざとく聞きつける。話を聞かれていたことに赤也くんはギクッと体を強張らせた。

「遠慮せずに言ってごらん」

幸村くんがすごくやさしい声を出す。それがこわい。有無を言わせぬ力を持っている。赤也くんは視線を彷徨わせていたけれど、結局幸村くんには勝てないことを悟ったのか、ゆっくりゆっくりこちらに目を向けた。

「じゃあ言いますけど、幸村部長ってさんのこと好き」
「はぁ?」
「……なんスかって最後まで言わせてくださいよ」

赤也くんが最後まで言い終わる前に幸村くんが心底不快そうな声を出した。幸村くんの威圧感が倍増した。不機嫌そうなオーラが隣から発せられているのがはっきりと感じられる。赤也くんどうしてそんなこと聞いちゃったの。いや、赤也くんだって本当は本人に質問したいわけじゃなかったのは分かっているけれども、それでも私は赤也くんを恨まずにはいられなかった。

「それは俺も気になるな」

さらにそこへ柳くんが追い打ちをかける。どうして柳くんまで興味を持ってしまったのか。というよりも、答えは聞かなくてもここまでの流れで分かりそうなものなのにわざわざ聞く必要があるのか。データマンと言われる柳くんならもうとっくに気づいていると思うんだけど。

「ここらではっきりさせたらどうだ、精市。お前はを女として好いているのか」
「じゃあ聞くけど、お前は椅子に恋するわけ?」

そう幸村くんはびしりと人差し指を柳くんに突き差した。しかし指を突き差された柳くんは表情ひとつ変えず「なるほど」と納得した様子である。いやいやいや、椅子って誰のことですか。幸村くんが私のこと好きじゃないのは分かってたけど、例えがおかしいよね?どうして私と椅子を同列に扱うのかな?椅子って生き物じゃないよ。

「しないな」
「しないっスね」
「そういうこと」

何がそういうことなのか私にはさっぱり分からないけれど、柳くんと赤也くんは納得してしまう。なんでそこで納得してしまうんだろう。私としては全然良くない。

「俺にとっては肘置き。それ以上でも以下でもないから」

はっきりと宣言されてしまった。肘置きだと。もうそれ人間じゃないよ、幸村くん。せめて人間として扱ってほしいなぁ。そう思いつつも私はそれを口に出すことが出来ず、幸村くんは満足そうな表情で未だ私の頭の上に腕を乗せている。

2012.06.13