柳が風邪を引いて部活を休んだという話を聞いても初めは信じられなかった。百歩譲って部活を休んだというのは本当だとしても、風邪を引いたというのは絶対嘘だと思った。柳が風邪なんて引くものか。どうせ内密に他校に偵察にでも行っていているんじゃないか。チームメイトにまで秘密にする必要は分からないが、そこは柳のことだからきっと私なんかが思いも寄らぬ理論があるに違いない。

「俺も信じられなかったけど少し体調悪そうには見えたよ」

柳の姿が見えないことを尋ねると幸村は柳は部活を休んだと説明し、そんなことを言った。逆に「さんには何か連絡行ってないの?」 と聞かれた。携帯を確認してみると『すまない 今日は一緒に帰れない』という短いメールが入っていた。部室まで行けば会えるものだと信じて疑わなかったものだからメールが入っているかどうかすら見ていなかった。

「蓮二のことだから昼間も無理してたんじゃないかな。さんちょっと蓮二んち寄って様子見てきてよ」
「なんで私が」
「蓮二の彼女だろ」

そう言われては反論出来なかった。

*

きっと風邪なんて嘘で柳は家にいないに違いないと思っていたのに、玄関で出迎えてくれた柳のお母さんにお見舞いに来たということを伝えれば、すんなり中に通された。もしかしたら一度帰宅し部屋を抜け出したのかもしれないと思いながら柳の部屋のドアを開けると布団に寝ている人物がいたものだから驚いた。

「柳……?」
「その声は、か?」

そう言って柳が前髪を掻き上げながら起き上がる。その動作は気だるげで、いつも学校で見る柳とは違う姿に不謹慎ながらもどきりと心臓が鳴る。

「私には散々風邪に気を付けろ無理をするなって言ってたくせに」

言いながら起き上がった柳を再び布団に押し戻す。両肩を押せば彼は抵抗することなくあっさりと横になった。こんな風に柳がされるがままであることなんて今までなかったはずだ。幸村は昼間も無理をしていたんじゃないかと言っていたけれど、学校にいるときはそんな気配は微塵も感じさせなかった。柳が完璧に隠し通したからなのか、私が鈍かったのか。

「つらいんでしょ」
「大したことない」
「嘘ばっか」

確かに柳の表情は一見するといつもと変わらないように見える。呼吸も上がっていない。私がベッドの脇に膝を立てて座り込むと柳がうっすらと目を開ける。

「さっき熱計ったらまだ三十七度五分あったっておばさんから聞いたよ」

まさか体温計に小細工をしたわけでもないだろう。柳の額に手を当てると本当に少し熱っぽかった。それまでまだほんの少し仮病の可能性を疑っていたので内心驚いた。

「もし正直につらいと言えばお前は俺を甘やかしてくれるのか?」
「柳が素直に甘えてくれたらね」

どうせ柳はプライドが高いから口では言えないに違いない。そのくせ態度では雄弁に甘やかしてくれと言ってくるのだから性質が悪い。

「手を出せ」
「はい、どうぞ」

それでもこんな風に弱った姿を見せるのは私だけだと思えば私自身も際限なく彼を甘やかしてしまう。請われるままに右手を差し出すと、ぎゅっと握られる。私が風邪を引いたときもこんな風に柳に手を握られたなぁなんて考えながら、握られたのとは逆の手を柳の頬に添えると気持ち良さそうに擦り寄ってくる。事実、熱のある柳にとって私の手は冷たくて気持ち良いのだろう。しかし知的な立海テニス部の参謀は一体どこへ行ってしまったのか。

「こんな柳の姿見たらファンの子はどう思うのかなぁ」
「見せるわけないだろう」
「分かってるけど」

柳は深く考えずに言葉のままの意味で言ったのだろうけれど、聞いているこちらはまるで私だけ特別だと言われているみたいで嬉しくなる。そんな風に言われたらこちらとしても甘やかしたくなるというものだ。

「寝る?」
「寝ない」
「寝ないと治らないよ。部活だって柳がいないと困るでしょ」
「……お前は?」
「はいはい、私も学校で柳に会えないと寂しいですよ」
「心が込もってないな」

病人のくせに駄目出しまでしてくる。こういうところは病気になってもやっぱり柳は柳のままだ。それでも柳が甘えてきたから私も少し素直になってもいいかという気分になった。

「柳が風邪引いてると調子狂う」

これは事実だ。

「どんな風に」
「……柳のいない帰り道は何か物足りないし、こんな風に弱ってる柳を前にしたらどうしたら良いのか分からなくなるし、私に出来ることがあれば何でもするのにとか考えるし、明日もひとりで帰るのは嫌だなとかその他にも色々」
「お前がそんな風に考えているとは知らなかったな。今後の参考にしよう」

柳はいつものように興味深そうな瞳で私を見てくる。言ったのは本当のことだが、正直余計なことを言ってしまったのではないかという思いが強くなる。

「だから早く元気になるために寝てください!」

最後は勢いに任せて言い切った。柳に布団を肩まで掛け直して無理矢理寝かしつける。

「お前がそこまで言うなら寝てもいいが勝手に帰るなよ?」

柳はすっかり楽しそうな声色で言う。自分で言わせたうえ握った手の力も緩めないくせに何を言っているのか。これじゃあ帰りたくても無理だ。

「帰らないから」

安心して眠ってほしい。いつも柳がしてくれるように頭を撫でる。長身の柳の頭に普段は触れることが出来ないので私から撫でるのは久しぶりだ。さらりと彼の髪が指の間をすり抜けていく。

ふと、手を握る力が少しだけ緩まった。どうやら柳はやっと眠りに落ちたようだった。かすかに寝息も聞こえてくる。あの柳がすんなり眠るなんてやはり無理をしていたらしい。今度は私からぎゅうと手を握る。

「おやすみ」

柳が少しでも早く元気になってくれるといい。

2014.05.02
『花に覆われた心臓』本編後