テニス部がミーティングだけで早く終わる日に限って日直だなんてついてない。ホームルームのとき白石に謙也がミーティングのあと遊びに行こうと誘っているのを聞いてさらに自分の運の悪さを恨んだ。日直の仕事さえなければ混ぜてーと言って三人でどこかへ行くことも可能だったかもしれないのに。

けれども結局白石は何か用事があったらしく「今日は無理や」と断っていたから結局は三人で遊ぶのは叶わない話だったらしい。白石も今日に限って用事がなくたっていいじゃないか。そういう恨みを込めた目で見ていたら白石と目が合って放課後暇か、日直の仕事がある、ならテニス部もミーティングあるからそのあとだったら時間丁度いいんじゃないか、謙也に付き合ってやってくれと何故かよく分からない方向に話が進んでいた。私が止める間もなくふたりはミーティングに行ってしまった。私はオーケーしていないしミーティング終わったらテニス部で固まって帰るだろうと思ってゆっくり黒板を綺麗にしてだらだら日誌を書いていたら本当に謙也が戻ってきたものだからびっくりした。

まだまだ日誌は書き終わらないということを伝えると彼は「ほな、日誌書き終わるまで待っとる」と私の隣の席に腰掛けた。謙也が待つ? 私は混乱した頭のまま必死で日誌にシャーペンを走らせていた。謙也が隣で待っているというだけで普段は書けないーと文句を言いながら書く日誌もいつもでは考えられないスピードで終わった。それでもそれなりの時間は掛かったけれども私にしては随分と早い方だ。

「書けた! 先生に提出してくる!」

ガタガタと椅子を鳴らして立ち上がると私はそのまま職員室に走った。謙也に比べたら遅いけれども私にとっては全速力だ。職員室で日誌を担任に渡すとにしては随分早く書き終わったなと驚かれた。私だって本気を出せばこれくらい出来る。「戸締り忘れんなよー」「はーい」なんてやり取りをして職員室をあとにする。行きに全速力で走って体力を使ってしまったので帰りは悠々と歩いて教室へ戻る。

ガラガラと教室の扉を開けて「ただいまー」と言った時点で何かがおかしいとは思った。いくら待っても謙也の声が返ってこない。見ると謙也は窓ぎわの席に突っ伏していた。そういえば職員室に行く前も彼から返事はなかったような気がする。

「謙也ー、謙也クーン? 寝てるの?」

いくら呼びかけても返事がなかったから、そう言って顔を覗きこんでみたけれども彼の寝顔は腕にしっかり隠されてしまっていて見れない。口開けてよだれ垂らして寝ていたら写メ撮ってあとでいっぱいからかってやろうと思っていたのに残念だ。

「ケンヤー」

開いた窓から風が吹き込んで謙也の髪を揺らす。いつもは綺麗な金色の髪が今だけは夕日に染まって少しだけオレンジがかっていた。ふわふわと風に揺れる彼の髪がやわらかそうで、触れたら心地よさそうで、気が付いたら手を伸ばしていた。謙也に気付かれないように毛先に触れるだけ。後ろがはねている彼の髪は思った通りふわふわとやわらかかった。まるで柴犬みたい。

「暇だから起きてよー」

そう言ってパシっと軽く頭を叩いてみたけれど謙也は「うーん」と唸っただけで起きる気配がない。どれだけ疲れてるんだ。ほぼ毎日部活があり、今日も朝練はあっただろうから疲れて眠ってしまうのも仕方がないことかもしれないけれど、それにしても熟睡しきっている。バシバシともう二発ほど叩いてみると今度は頭をもぞもぞ動かして、顔がこちらに向いた。

「アホ丸出しの寝顔……」

想像していた通り口は半開きになっていてよだれが垂れてくるのは時間の問題のように思えた。いつも以上のアホ面だ。けれどもぐーすか寝ているその顔はどこかしあわせそうだった。一体何の夢を見ているんだか。同じ寝顔でも白石ならもっとかっこいい寝顔なんだろう。まつげの長い目が閉じられた様はきっと彫刻みたいだろうし、口はもちろんこんなだらしなく開いていたりしない。そもそも普通の人はこんな短時間で熟睡出来ないだろう。何もこんなところまでスピードスターをアピールしなくてもいいだろうに。

とはいえ、謙也のことをいくらアホだ何だと言っても私はこのアホのことが好きだったりするので、お世辞にもかっこいいとは言えない寝顔にもときめいてしまったり、するのだ。この寝顔がかわいいなって思ったりするし、好きだから髪に触れたいと思う。疲れているならもう少し寝かせてあげようかなと甘やかしたくなるし、今この教室にふたりきりであることも嬉しく思ってしまう。さっきのことを踏まえて、このくらいじゃあ起きないだろうと少し大胆に頭を撫でてみる。少し頭を動かしただけでやっぱり彼は起きなかった。

謙也の前の席に後ろ向きに腰を下ろして彼の机に肘を付ける。さっきよりも近い距離で謙也の顔を覗きこんでみると彼の髪がふわふわと私の鼻先をくすぐった。髪の色が柴犬みたいだと思ったけれど、謙也の髪からは犬の匂いはしなかった。

「んー……」

突然謙也が低い声で唸るものだから驚いた。起きていたのかと目を見開いたが彼の瞳は閉じられたままだったし、口は相変わらず中途半端に開いている。どうやら寝言だったらしい。なんて心臓の悪いタイミングで。よく考えると顔同士があまりにも近いことに気が付いた。この状態で彼が目覚めたらあらぬ誤解をされるに違いない。私の心臓はドッドッと勢いよく脈打った。

「謙也、すきだよ」

また風が吹き込んで謙也の髪と私の髪とをなびかせる。教室の掲示物が風に吹かれて音を立て、私の声はほとんどそれにかき消されてしまった。謙也は相変わらずしあわせそうな顔で眠っていて、それを見る私の口元も自然と緩んだ。夕日はまだ沈みそうにない。

2012.05.20