※天使パロ
「イズミ!」
名前を呼べば彼が足を止めることは分かっていた。
「なぁんだ、ビビらせんなよ」
そう言って振り向いた彼は見るからにホッと安心した表情をしていた。
「また女の子のところに行く気でしょう! 下界へ行く許可が出ていないのに!」
「そんな怒るなって」
私がパタパタと羽を動かして怒りを表せば、彼はそれを見て笑う。こちらは本気だというのに彼には伝わってないらしい。
私たちはそのときが来れば下界へ降りて人間をしあわせにする使命を負う。――でも彼にとってそれはまだ先のはずだった。
「おみやげ、また持って帰ってきてやっから」
そう言ってまたはぐらかそうとしている。彼は毎回下界で見つけた人間の食べる物を持って帰って来ては私のところまで届けにくる。それで買収されているわけではないのだけれど、おそらく彼はそれの効果だと思っているのだ。
あのふわふわで口の中でとろけるものは確かに私をしあわせな気分にしてくれるけれども、それとこれとは関係ない。
彼を捕まえようと一歩前へ踏み出せば、足元を白い雲の欠片が舞う。
「ちょっと、まだ話は――」
ポンと軽い音がして彼の姿が大きくなる。人間の大きさになった彼は私の体を掬い上げると手のひらに乗せた。
「いい子で待ってな」
ぽんぽんと頭を撫でられる。
むやみに人の大きさになることは禁止されているのに、彼はお構いなしなのだった。大きくなった姿のせいか余裕すら感じられる。純粋な能力で言ったら私の方がイズミより上なのに。
私が睨みつけても小さく笑うばかり。私から手を離して去ろうとする。急に手を離されたって落ちやしないけれども、なぜだかその手から離れたくなかった。
「今度こそ大天使様に言いつけてやるから!」
それは最後の切り札だった。
その言葉に彼はぴたりと動きを止め、ゆっくりと振り返る。目が合って、彼が目を細めて笑う。それが意地悪そうな表情だと思うのは私の心のせいなのだろうか。
「そんなこと言って、一度もチクったことないだろ? だから、今回もお願い」
ひどく甘くとろけるような声で言う。彼の口にする言葉には、きっと何か力が宿っているに違いない。
じっと私を見つめる彼の瞳にくらりと目眩がしそうになる。
「今度こそ本気だから!」
イズミにそれが効果ないことは分かっていた。けれどもこれは彼との根比べなのだ。
いつも私ばかりが負けてしまうのだけれども。
「行かないで」
私が未だ下界へおりる許しが得られないのは多分きっと、この身勝手な感情のせいなのだ。イズミを独り占めしたい。私が満たされたい。――他人のしあわせのことなんてちっとも考えられていないのだ。
「ちゃあんと戻ってくるって」
そう言ってイズミは笑うばかりで、穴からひょいと身軽に飛び降りて行ってしまった。
彼は天使だ。彼のいるべき場所はこの天界である。そのはずなのに胸のあたりがざわざわする。
これではいけない。そう分かっているのに、どうしてもこの気持ちは止められなかった。
「もう! イズミのバカー!」
そう言う私の声は広く一面に広がる雲に吸い込まれていった。
2019.10.27