「おお〜〜!」
「さすがティエラさん!」
「頼りになります!」
甲板に出ると、向こうに小さな人集りが出来ていた。どうやらその中心にいるのはティエラらしい。何を話しているのか、時折歓声が上がっている。
「何で盛り上がってるの?」
ひょいと覗き込もうとすると目の前に立っていたクルーも同じ方向に体を傾けて視を遮る。目が合うと彼はにこーっと気持ち悪いくらいの笑みを浮かべる。彼らがこういう笑い方をするときというのは決まっている。――都合の悪いことを誤魔化そうとしているときだ。
「ちょっと何で隠すのよ!」
それならばと反対側に体を傾けると今度は中でもガタイの良い二人がそちら側に立ってティエラの姿を隠してしまう。こうなったらいよいよ怪しい。
「にはまだ少し早いってことだよ」
男たちを押しのけてティエラが人の輪の中から出てくる。
「じゃ、あとは頑張れよ」
ひらひらと彼らに手を振ってティエラはその場から去ろうとする。私も船員たちに混じってその背中を見送りかけたところで、質問の答えをもらっていないことに気が付いた。
「ちょっとティエラ!」
「ん? どうした?」
私が名前を呼べば振り返るものの、後ろ向きのまま歩く足は止めない。私が一歩前に出れば彼も一歩後ろへ、二歩出れば二歩後ろへ。私が走り出せばそれと同じスピードで遠ざかる。
「待って!」
もう少しで手が届くというところでひらりと身を躱して逃げてしまう。彼はいつもそうだ。空を掴む指先が悔しい。
「何で逃げるの!」
「何でって、追いかけられたいから?」
そんな意味の分からないこおを言いながらもティエラは楽しそうに笑っている。こちらは息が切れかけているのに、彼の方は余裕そうなのがより一層腹立たしい。
「ほら」
彼の服の裾が指の少し先で揺れているのに、あと数センチが届かない。太陽は海の上で遮るもののなく、容赦ない日差しが降り注ぐ。天気が良いのは気分がいいが、今ばかりはそれが恨めしい。
「あとちょっと」
ぐいと手を限界まで伸ばしたのに、今度は海風が意地悪をして彼の服の裾を攫う。むきになって床を思い切り蹴り上げても、ティエラはまるで踊るかのように避けてしまう。
「……一体、何をやっているのですか」
甲板を一周したところで、いつからか様子を見ていたらしいアルベールが呆れたように言う。こちらだってもっと早くにティエラを捕まえられる予定だったのだ。
「ティエラ、それもきみの言う子守りなのですか?」
「いーや、これはそんなもんじゃねえ」
真面目な顔でティエラが答える。では一体何なのかとティエラの言葉を待っていると、彼がこちらを見てふと目を細めた。
「じゃれてるだけ」
「は猫ですか」
ティエラの答えに呆れたようにアルベールが息を吐く。子ども扱いも腹が立つが、猫ではそれ以下ではないのか。人間ですらない。「どういう意味!」と抗議すれば、ティエラは笑ってくしゃりと私の頭を撫でた。この流れでは素直に喜ぶことが出来ない。
ほんの僅かばかりのプライドをかき集めて、その心地良い手から逃れると、その様子を見てまたティエラが笑った。
「ま、そろそろ良いか」
そう言ってティエラがぽいっと小さな木箱をこちらに投げる。弧を描いて宙を舞うそれを両手でキャッチすると、木箱はすっぽりと私の手の中に収まった。
「なに?」
「開けてみな?」
持った感じはそう重いものが入っているわけではなさそうだった。キャッチしたときも中から音がしなかったので、何が入っているのか検討もつかない。――言われるがまま、そっと手の中の木箱を開ける。
「たまにはこういうのも良いだろ?」
中には一輪の大きな花が入っていた。可愛らしいピンク色の花。
「ティエラ、これ……」
思わずティエラを見上げると彼は箱の中から取り出して、それを私の髪に挿した。そのときに小さく溢された言葉に耳が熱くなるのが分かった。
驚きで私が喋れないでいるうちに、甲板の向こうから歓声が聞こえる。やっと彼らが必死で隠そうとしていた理由が分かった。そんなことしなくったって、ティエラはどんな状況でも上手くやってしまうのに。
「だから少し“早い”って言っただろ?」
いつも気が付くと捕まっているのは私の方なのだ。
2019.06.15