一昨日ついうっかりクーラーを点けっ放しで寝てしまったのがいけなかった。昨日の日中も少し頭痛がしてこれはもしかして失敗してしまったかもとは思ったのだ。それでも頭痛は大したことがなかったから結局講義の後に友達と買い物までして帰ってきてしまった。夕ご飯もおいしく食べて、その頃には自分が体調を崩しかけていたことも忘れていたのだけれど、そのあとどんどん体が重くなっていって、これはまずいと慌てて布団に入って寝たのだけれど。

――見事に熱を出してしまった。

布団から起き上がれなくて、とりあえず今日の講義は全部休むことにした。運良く今日は2コマしか入っていないし、レポートなど課題の提出も発表もない。ちょっとだけ出席に厳しい先生の講義だけれども風邪なのだから仕方ない。病院に行かなきゃという意識はあったのだけれども、とてもじゃないけれども外を歩ける気がしなかった。とりあえず風邪薬だけは飲んでもう一度眠ることにした。

 *

次に目が覚めたのは枕元のスマホが何回か短く鳴ったからだった。

アプリを開いてみると友達から『今日休み? サボり? それとも風邪?』というメッセージが入っていた。『熱が出ちゃったからノートお願い』とだけ打ち込んで送信するとすぐにオッケーと返ってくる。それを確認して私はパタリとスマホを持つ手を枕元に落とした。スマホの画面を確認するのすら目が回ってしまって難しかった。

 *

頭に何かが触れる感覚がする。覚えのある大好きなそれにまだ重い瞼を上げると、そうだと良いなと考えた通りの人物が枕元にいたので最初は夢かと思った。

「目覚めたか?」

いつからこうして頭を撫でていてくれたのだろう。虎石くんには合鍵を渡してあるので普通にそれで開けて入ったのだろうけれど全く気が付かなかった。

「と、虎石くん……?」

本当はものすごくびっくりして飛び起きてしまいそうなくらいだったのだけれど、体が言うことを聞かなくてひどく弱々しい声しか出なかった。私の声に虎石くんが表情を歪める。こんな声は死にかけの人間が出すものだ。薬を飲んでたっぷり寝たおかげか朝よりは少しだけ楽になっていたので心配しなくても大丈夫だよということを示そうとしたのだけれど、喋ろうとしたら代わりにゴホゴホと咳が出て、慌てて布団で口を塞いだ。万が一にでも虎石くんに風邪を移すわけにはいかない。けれどもこれでは余計に勘違いさせてしまったかもしれない。

「何で言わねーんだよ」

ぽとりと彼が言葉を落とす。一瞬、私が咳のせいで話を途中でやめたからそれを指しているのかと思った。まだ頭が正常に働いていないらしい。虎石くんのやけに真面目な表情を見てやっと熱が出たことを虎石くんには言わなかったことを指しているのだと気が付いた。

スマホを確認していないから分からないけれどもきっと虎石くんからのメッセージが何通も届いているに違いない。寝ていたから返せなくて当たり前なのだけれど、いつも虎石くんからの連絡にはなるべく早く返事をしようと心掛けているので、ずっと返信がないのを虎石くんは心配したに違いない。きっと私が熱を出したことは私の友達から聞いたのだろう。そこしか情報の出所はないはずだった。

「ごめんね」
「いや、別には悪くねーけど」

私が謝ってしまうと虎石くんは居心地の悪そうな顔をする。きっと病人を責める口調になってしまっていたとでも思ったのだろう。虎石くんがそんなつもりじゃないこともちゃんと分かってる。そういうことじゃなくて、虎石くんに心配を掛けてしまったことをこちらが勝手に謝りたかっただけなのだけれど、上手く伝えられない。

「そういうの、言えよな」
「わざわざ風邪だよって報告するのも変じゃない?」
「そうかもしんねーけど! そうじゃなくって」

そう言いながらも虎石くんが言葉を探しているのが分かった。その答えを私は知っているような気がしたけれども、それを虎石くんの口から直接聞きたくて、首元までしっかり掛けられた布団の端を握ってじっと待った。

「頼っていいんだよ」

じわりじわりと彼の言葉が私の中に染み込む。熱で頭がぼんやりしていたはずなのに、その言葉はやけにクリアに入ってきた。

「ほら、薬買ってきてーとか飲み物買ってきてーとかあんだろ」

今日は寝ている間に先に虎石くんが来てしまったから実際自分がどうするかは分からないけれども、それくらいだったら友達に大学に行く途中に届けてもらうよう頼んでしまったかもしれない。わざわざ虎石くんに時間を掛けてそれだけ持ってきてもらうのも申し訳ないし、何より彼に風邪を移すわけにはいかないと考えただろう。それを虎石くんはいいと言ってくれた。

「……じゃあ喉渇いたな」
「おう、いっぱい買ってきたぜー」

そう言って虎石くんがビニール袋の中からペットボトルを何本も取り出して並べる。本当にいっぱい買ってきてくれたみたいで、これなら熱でいくら喉が渇いても安心出来そうだった。きっと一人暮らしの風邪を本気で心配してくれたのだろう。こんな風に虎石くんが私のためにしてくれるひとつひとつが嬉しくて、もう少しだけ我が儘を言いたい気持ちになってしまった。

「あとね、もうちょっとだけここにいてほしい」
「いくらでも」

私の頭が熱でやられているせいだろうか。いつも甘い彼の声が今日は一層特別に聞こえるのは。

2017.07.18