彼と私が初めて会ったのもバイト終わりだった。

その日は昼のシフトで、たまたま空閑くんと同じ上がり時間だった。「虎石」と口から驚きの声を漏らす空閑くんに彼は「よっ」と軽い挨拶をしたのだった。空閑くんの友達らしく格好良い人だなぁと思いはしたのだけれど、このあと私も友達とごはんを食べる約束があったので、「お疲れ様でーす」と横をすり抜けて帰った。

後ろから「バイバーイ、子猫ちゃん」と追いかけてきた声が妙に耳に残った。

 *

彼と再会したのはその三週間後だ。バイトを上がって帰ろうと通用口を開けると暗い通りの正面に人影があったので驚いたが、すぐに一度見たことのある顔だと分かった。

「あっ」

口から思わず声を漏らすと、彼も私の顔を見てピンときたのか「おつかれさま〜」と笑顔で言ってくれた。以前一瞬会っただけの私を覚えててくれるなんて記憶力が良くて驚いてしまった。こちらが彼のようなイケメンを覚えているのとは訳が違うのに。

「あの、空閑くんはまだ店長と片付けしててもう少し時間掛かると思います」
「マジかー」

今日は閉店時間間際まで沢山のお客さんが来て混んでいたからいつもの片付けと閉店作業まで全く手が回らなかった。まだ時間が掛かるからこそ、彼らが私が女の子だということを配慮して帰っていいと言ってくれたのだ。その気遣いに簡単に甘えてしまったのだけど、空閑くんもお友達が待っているなら悪いことをしてしまった。ここ最近あたたかくなってきたとはいえ、夜は冷える。

「教えてくれてありがとね。えーっと……」
「……どうかしましたか?」
「名前、教えて?」

そういえば名乗っていなかったことを思い出した。彼が親しげに話しかけてくれるものだから名前すら知らないなんて何だか変な感じがした。こちらは以前空閑くんが彼の名前を呼んでいたので知っているのだけれど。

です。えっと、虎石くん?」
「覚えててくれたんだ。ちゃんはもう上がり?」
「はい。先に帰っていいって」
「そっか、じゃあ行こ」

彼が当然のように私の肩に手を置いて歩き出そうとするものだからドキドキするよりも先にぎょっとしてしまった。さらに驚きで足が動かない私の顔を彼が至近距離で覗き込んでくるものだから、今度は足ではなく心臓が止まってしまうかと思った。

「オレが送ってってあげる」

耳元で彼がひどく甘い声で言うものだから、思わず首を縦に振ってしまいそうになった。彼の言葉はざらりと私の表面を撫でて、耳からじわじわと私の中に染み込んでいくようだった。裏口の通りの切れかかった街灯がチカチカしているのか、私が目眩を起こしているのか分からなくなりそうだ。くらくらする脳みその、まだまともに働く部分をかき集めて何とか一歩分距離を取る。

「でも、空閑くんを待ってるんじゃないんですか?」
「いいの、いいの。愁はまだ片付け終わんねーみたいだし、少しくらい待たせたって構わねーし」

バイト終わりを待つほどの大切な用事があったはずなのに、彼はそんな風に軽く言うのだ。男の子とはこういうものなのか、それとも彼らが特別気を許した仲だからか。

「女の子がこんな時間にひとりで歩くなんて危ないでしょ」

確かにいつもの帰り道はシフトが同じバイト仲間と一緒に帰っている。そう言われると夜道をひとりで歩くのだということを強く意識してしまって、少しだけ心細いという気持ちが湧き起こってくる。彼の声は私から正常な判断を奪っていくようだ。それを見計らったかのように「だから、ね?」と彼は最後の駄目押しとばかりに続けるのだ。

「オレに送らせて?」

彼の言葉を聞くと、瞬く街灯の明かりも何だかやさしく見える。

2017.04.24