街の中を進むと色んな匂いが混じって、海の匂いが遠くなる。その街特有の匂いというものがあって、それを感じながらあちこち歩くのが好きだった。また遠いところまで来たのだという非日常感が得られる――そのはずだったのに。

「どうしてついてくるの?」
ひとりだと不安だから」
「子どもじゃないってば!」

アンリが船を降り、兄貴ぶれる相手がいなくなったからか、クリスは以前よりも私に構う回数が増えたように思える。

ここは治安の良い街で、久しぶりにひとり気ままに買い物が出来ると思っていたのに。

辿り着いた広場では市場が開かれていた。特別なお祭りというわけではなく、毎週末に開かれているもののようだった。買い物を楽しむ人で賑わい活気がある。その人々の様子を見ているだけで、どれだけここが素晴らしい街か伝わってくるようだった。

後ろをついてくるクリスを気に留めないようにして、ふらりと店を覗きながら歩いていると、綺麗な色の石が埋め込まれたブローチが目に付いた。足を止めて並べられた商品をじっと見る。どれも同じ種類の石が埋め込まれていた。職人によって施されたであろう細工も繊細で美しい。

「お嬢ちゃんはよそから来たのかい?」

並べられた商品をじっと眺めていると、その向こうから店員のおばさんが話しかけてきた。にこにこと人好きのしそうな女性で、ついこちらの気も緩んでしまう。「はい」と質問に対して肯定すると、彼女は「そうかい、そうかい」と深く頷いた。

「これはこの国の特産でね。お守りとしても人気があるんだよ」

そう言って彼女が取り上げたものは並べられているの中でも特に石の色が深いものだった。彼女が持ち上げると陽の光に反射してきらきらと中の輝きが変わった。思わず「ほう」と溜息が出る。幻想的な輝きは、守りの力があると言われれば信じてしまいそうなほどだった。

「一昨日俺があげたネックレスの方が綺麗だ」

クリスが不機嫌そうに言う。クリスはお守りだとか不思議な力だとかそういうことを信じていないからだろう、もうすっかりこの店に飽きてしまっている様子だった。店に並べられているのは女性向けのものばかりで、他に彼が興味を引かれそうなものもない。

クリスの言うネックレスというのはおそらく前回手に入れた財宝の私の取り分のことだ。クリスが私が受け取るものを決めたのは事実だけれど、クリスからもらったものではないのだから『俺があげた』という言い方は正しくない。それにあのネックレスは普段身に付けるには派手すぎる。

「あれとは別じゃない」
「そうだよ。お守りとして、この国にきたお土産として恋人に買ってあげたらどうだい?」
「こ、恋人!?」

声が裏返った。

「誰が!? どこに!?」
「おや、違うのかい? ずっと仲良さそうに話してるし、贈り物ももらったんだろう?」
「そういうのじゃありませんから!」

ついつい声が大きくなる。クリスとは兄弟のようだと言われたことはあっても、恋人に見られたことなんて今まで一度もなかった。だから、こういうとき、何て返したら良いのか分からない。

「クリス、行こ!」
「なんだ、買わないの?」
「もういいから!」

そう言ってクリスの手を引っ掴んで店の前から離れる。

「はは、またいらっしゃい」

急に帰ろうとしだしたにも関わらず、おばさんは何故だか上機嫌に笑ってひらひらと手を振った。数分前は商品を買う寸前だった客を逃したというのに、彼女は全く惜しそうにしていないのだった。



船に帰ってきてからのクリスは何故だか上機嫌だった。さっきの様子が嘘みたいだ。帰ってきてから仲間に陽気に話しかけている。

きっと陸ではなく海の上にいるからだろうと思うことにした。大抵の場合クリスは陸よりも海にいた方が元気だ。なぜ私について街までやってきたのか不思議かくらいだ。

「クリスさんに頼まれていたものも買ってきましたよ!」
「ありがとう。もうお腹ぺこぺこだよ」

人にお使いを頼むくらいなら、私についてうろうろしていないで自分で買いに行ったら良かったのに。お腹が空いたのなら途中で買ったら良かったのに。

自分も街に出たついでにそこで食事を取ろうと思っていたので、昼食を取り損ねてしまった。

街ではあんなに後をついてきたくせに、クリスはもうすっかり私のことなんて目に入っていないかのように目の前の食べ物に夢中になっている。それもなんとなく面白くなくて、このままこっそり自分の部屋に戻ろうかと思っていると、船員のひとりに「どうした?」と声を掛けられる。

もクリスさんと一緒に食べるだろ?」

振り返るとクリスは立ったまま、ひょいひょいと料理を口に放り込んでいる。その彼の隣が当然のように空けられているのだ。思い返せば今までもクリスの隣に座ることは多かったように思うけれども、何故だか今日ばかりはそこに収まることに戸惑いを覚えた。

「ほら、これの好物じゃなかったか?」
「こっちのジュースも、前においしいって言ってひとりで抱えて飲んでなかったか?」

そう言って船員たちが私をテーブルの方へ促す。クリスがお使いを頼んだからだろう。テーブルの上に並べられているのはクリスの好きな食べ物ばかりだったけれど、その中にいくつか私の好物も混じっていた。

せっかくだから少しくらい食べてもいいか。

そう思って空いた席の前までくると、ちょうど目の前に私の好きなものが並んでいたのでそれまでのもやもやも吹き飛んでしまった。クリスなんていないものだと思えばいいのだ。クリスも船員との話が盛り上がっていてこちらを気にも止めていないだろう。大喧嘩したときはそういう態度を取ったこともあるのだし、きっとそれと同じだ。そう思おうとしたのに。

「――そうだろ、?」

そう言ってクリスが私の肩に手を掛け、ぐいと引き寄せる。とん、と軽く反対の肩がクリスの胸に当たる。――それを意識した瞬間、勝手に体が動いていた。

ドタンと大きな音がした。

「いってぇ!」

そばにあった椅子ごと床に倒れこんだクリスが頭を押さえながらバッと起き上がる。ぱちりと目の合った海の色の瞳に、何故だか射抜かれたような心地がした。怯んでしまいそうになるのをぎゅっと押し込める。

「何すんのよ!」
「それはこっちの台詞だろ!?」

心配そうに覗き込んでいたクルーも勢いよく立ち上がるクリスを見て大丈夫だと悟ったのだろう、「ははは」と笑い声が起こる。こちらとしては笑い事ではない。

クリスがこうして肩を組んでくるのは良くあることなのに、こんな感覚は初めてだった。

クリスもいつもならすぐに言い返してきそうなものだけれど、彼は私の顔を見てぴたりと口を閉じた。そんなに私の様子がおかしかったのか、「ねえ」と顔を覗き込んで手を伸ばす。

「触んないで!」
「はぁ?」

さっとクリスとの距離を取る。さっきクリスに触れられた肩がまだ熱い。そこに傷はないはずなのに。

ぎゅっと自分の肩を抱え込むと、そこがじくじくと痛むような気さえした。もしかして気付かないうちに本当に怪我をしてしまったのかもしれないと思ったが、そこを確認しても血が滲んでいる様子は微塵もないのだった。

「今のはクリスが悪い」

いつもはクリスに対して一目置いた態度の彼らも、腕を組みうんうんと頷きながら子どもに諭すように言う。急に父親か兄にでもなったかのような彼らの態度にクリスがまたムッとした表情を作る。

「どういうこと?」

そうクリスが尋ねても彼らは曖昧な笑みを浮かべたまま誰ひとりとして答えようとしないのだった。彼らがなぜ私の味方をしてくれるのかは分からなかったが好都合だ。

クリスは彼らに言い返そうと口を開けたが、気分が変わったのか何も言わずにもう一度こちらへ向き直った。そうして何かに初めて気が付いたかのように驚いたような顔をした。

「……どこか痛いの? それとも熱?」

何でもない、構わないでと言おうと思ったのに声が出なかった。気が付けば左手がクリスに掴まれている。振り払おうと思ったのに、ぐっと強く掴まれてそれは叶わなかった。

今まで当たり前のように繋いでいたはずなのに、さっきもこの手を引いてここまで戻ってきたはずなのに、何故だか初めて触れるもののように思えて、早く解かなければと気ばかりが急く。

「離して」

ドクドクと自分の心臓の鳴る音は大きく聞こえるのに、もう周りの船員の何か言う声は聞こえない。

クリスもクリスで、海の色をした瞳をぱちぱちと瞬きさせるばかりで、まるで言葉を失ってしまったかのようにただ突っ立ってるだけなのだ。

2019.06.29